東日本大震災の現場 (39) 陸前高田 「津波桜」はなくなっていた
(写真は、上から金剛寺の桜、ご詠歌をうたう人たち、山田洋二監督寄贈の黄色いハンカチがはためく鎮魂のモニュメント、「希望の松」)
陸前高田で満開の桜が咲いていたのは、成田山不動尊金剛寺という寺でした。
急な石段をあがると、カメラを持った人が。地元のデザイナーで、津波で会社が流され、陸前高田の桜を含む、いままでの写真データを全部失ったという。
去年は桜どころではなかったけれど、今年は町の桜でも撮ろうかとやってきたそうです。
10時から施餓鬼法要があるというので、いったん寺を離れ、去年、海岸沿いの桜が地盤沈下で海に落ち、海上で咲いていた「津波桜」を探しました。
塩水に1年も漬かっていて生きているはずはないと、常識ではわかっていても、どこかに奇跡を見たい気持ちもありました。そう思ったのは、次のような伝説を聞いたからでもあります。
千葉県の漁村だったか詳しい場所は忘れましたが、「海桜」という伝説が残っていて、昔、海に桜を植えて、帰ってくる漁船の目印にした。海水で何年も生きていたという伝説です。
その場所は確かに「そこ」でした。でも瓦礫置き場になっていて桜はなくなっていました。
去年の「津波桜」はこちら。
「東日本大震災の現場 (18) 海の上で咲く桜「津波桜」 」
実は、もう一本、石巻市水浜にも「津波桜」があったのですが、こちらは木はありましたが、すでに枯れていました。
10時前に再び寺へ。住職はあいさつの中で、これから毎年法要を続けていきたいといいました。お経のあと、みんなで焼香しました。
ご詠歌をうたう地元の婦人たち。鎮魂の歌声が桜の下に響きます。
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