東日本大震災の現場 (38) 宮城県石巻市波板 村の再生を願う伊藤さん
石巻市波板。
震災の2年前、小さな入り江にあったこの村が気に入り写真に撮りました。その写真を、去年写真監修した『復活への記憶』(マガジンハウス刊)で使わせてもらいました。
この写真の隅に偶然人が映り込んでいましたが、、住民の伊藤さんでした。
震災前の波板の写真はこちらに載っています。
それがわかったのは、『一心一写』を見た波板出身の伊藤さんの娘さんからメールをもらったのがきっかけです。波板の震災前の写真を譲ってほしいということだったのでデータを送りました。そのとき「画面に映っている畑仕事をしているのは私の父です」と教えてくれたのです。
今回も波板に寄り、国道から写真を撮りました。すると、畑のところに車が停まっていて、仕事をしている人の姿が。「もしかしたら」と思い、国道から海岸のほうへ降りていきました。
そして『復活への記憶』を持って、車から出て「こんにちは」と声をかけたとたん、待ってましたとばかりに「山形の人?」と聞かれたのです。どうしてわかるんだろうか?
「さっき、車が国道で停まって写真を撮っていたので、もしかしたら、おたくさんではないかと」
やっぱりここで写真を撮るのは俺しかいないのでしょうか。まぁそれは冗談としても、偶然の出会いに驚いたわけです。娘さんとは何度かメールのやりとりはありましたが、伊藤さんとは初対面です。
この2日後晴れたので、ふたたび波板を訪ねて、伊藤さんの写真を撮らせてもらいました。
伊藤さんは桜の若木を見せてくれました。ちょうど花を咲かせていました。かつて波板にも桜の木が何本かあったのですが、神社の1本を除いて、全部流されてしまいました。また桜を復活させたいとのこと。
桜ばかりではありません。この村の将来をどうするのか。それは大きな問題です。
もともとこの村は、漁村ではなくて、スレート石を採取することを生業としていたという。
そういう石採取の産業を復活させ、若い人たちがなんとか食べていける方法を考えたいというのが伊藤さんの望みです。周りの海からは海産物が取れるし、畑では野菜を作れる。コメ以外は自給自足できるというのも、自然豊かなこの村の強みです。
瓦礫撤去のためにここで働いてくれたボランティアの若者のような人を望んでいるようです。
「若い人に来てもらい、将来の方向性を決めてもらいたい。100年先も、ここにすばらしい村があったんだよと、伝えてくれる人が住んでくれればいいかな。小さいところだから、行政をあてにするんじゃなくて、自分たちでやるしかない。流されたときは、何も思わなかったんですが、だんだんと自分の生まれたこの自然豊かな村に戻りたいと思うようになってきました。生かされたんだから、何かやらなければ」
伊藤さんの挑戦は始まったばかりです。だれかここに住んでもいいという若い人がいたら、ぜひ連絡してみてください。
「村が消滅するのが嫌なんですよ」
伊藤さんの強い思いが伝わってきます。
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コメント
伊藤さん
お礼を言わなければならないのは私のほうです。
伊藤さんはじめ、いろんな人と話して、震災という辛く悲しい出来事ではありますが、そのことを通して、人間にとって大切なものを教えられたような気がします。
伊藤さんの村を再生する意気込みに感心し、陰ながら応援したいと思っています。
そしてこの若い桜の木がいつか満開の花を咲かせ、その下で、笑って花見ができる日が来ることを願ってやみません。
その花見にはぜひ、私も参加させてもらいたいと思います。
投稿: あおやぎ | 2012/05/16 22:15
波板の伊藤(娘)です。父が自分の想いが全部文面に表現されていて感動したと伝えてほしいとのことでした。本当にありがとうございます。
投稿: 伊藤 | 2012/05/16 20:15