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2012/06/30

モンゴル総選挙、最大野党が勝利宣言 のニュース

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モンゴル総選挙、最大野党が勝利宣言
MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/world/news/120629/asi12062922380001-n1.htm

与党・人民党が負けたのは、貧富の差が拡大し、利権構造が肥大化していることに対する国民の不満があるかららしい。

元横綱、朝青龍は、選挙に出るか注目されていましたが、結局出ませんでした。朝青龍の兄で元プロレスラーのスミヤバザル氏は落選したという。

数年前モンゴルに行ったので、モンゴルのニュースは気になっていましたが、その中でも、1年前、けっこう衝撃的なニュースがありました。

モンゴル、核廃棄物受け入れを拒否 「処分場」構想は頓挫か
J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2011/07/28102734.html
「モンゴル国内に日本の核廃棄物処分場を建設する構想をめぐり、日本がモンゴル政府から核廃棄物の受け入れを断られていたことが明らかになった。」

というものです。

日本の田舎では反対される、だからもっと田舎(モンゴル)で、という発想なのでしょうか。「明らかになった」ということは、こっそりと進められていたということですよね。つまり「後ろめたさがある」ということなのでしょう。

核のゴミを外国へ捨てる、という発想。こんなことまでして続けようとする核技術って、なんなのでしょうか。

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2012/06/28

近々未来予想ショートストーリー  『レバ刺しポリス、ガンの苦悩』

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レバ刺し禁止カウントダウンで“特需”に沸く焼肉店
週プレNEWS http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120627-00000225-playboyz-soci

とうとうレバ刺しが店から姿を消します。7月1日以降レバ刺しを提供すると「2年以下の懲役か200万円以下の罰金」だそうです。かなり厳しい罰則です。

「安全」のためという大義名分はわかるのですが、いきなりの全面禁止。行き過ぎではないんでしょうか? もう少し「自己責任」を認めてほしい。俺たちはバカじゃないんだから。


             ☆☆☆

ガンとマックは、拳銃を強く握りしめ、タレコミがあった部屋のドアを足でけった。

「動くな! LSPだ!」

中では男と女がテーブルを囲んで、例の物を口にしているところだった。ふいを突かれた彼らの口からは、赤い色のプルンプルンしたものが垂れ下がっている。ガンとマックがふたりに銃口を向ける。

「飲み込むなよ」

とガンは言って、ふたりの口から垂れ下がったそれを引き抜いた。そしてポケットから試薬を取り出した。

「いいか、この試薬かけて青色になったら正真正銘のレバ刺しだからな」

レバ刺しが禁止されたのは2012年。その数年後「レバ刺し取締法」ができて、提供者だけではなく、食べた本人も処罰の対象になった。

そして食べるのを手伝った人間も「レバ刺し幇助」の罪に問われる厳しいものだ。たとえば、焼肉店で、レバ焼きを頼んだ客に生レバーを出したら「レバ刺し幇助」になる。客がそれを焼かずに生で食べてしまうという事件が続発した。だから店では、レバー焼の注文を受けたら厨房であらかじめ焼いてから出すしかなくなった。

ガンとマックは警視庁の特殊部隊「LSP」に所属している。違法となったレバ刺しを取り締まる部署、通称「レバ刺しポリスeba ashi olice」だ。

禁止になった当初から、レバ刺しの食感や味をまねた擬似レバ刺しが出回っていた。「マンナンレバー」だ。こちらは「脱法レバ刺し」と呼ばれている。

悪人たちは、「脱法レバ刺し」では満足できなかった。本物を食べるために地下にもぐったのである。危機感をつのらせた当局は、取締りを強化した。

その背景には、2012年レバ刺しの提供が禁止されたころと同時期、「脱法ハーブ」というものが出回っていたが、こちらは明らかに人体に危険を及ぼすことがわかりながら、野放し状態であった。その後取締りが始まると、地下にもぐった。そのことに対する批判があいついだ。それで当局は、先手を打って、危険なレバ刺しを、今の段階で根絶することを世間に向けてアピールする意味あいもあったのである。


試薬は青を示していた。本物のレバ刺しだ。男と女は言い逃れができなかった。

「許してください。私、貧血ぎみで、医者から鉄分を取りなさいといわれていたんです。だからつい出来心で・・・」

と女は泣きながら訴えた。ガンは青色に変わったレバ刺しを、女の目の前に突きつけながら言った。

「そんな言い訳が通用すると思うのか? 100gあたりに含まれる鉄分の量では、ヒジキとキクラゲのほうが上なんだ。「食品摂取法」に書いてあるだろ? 鉄分はヒジキとキクラゲで採れと。でも、ヒジキの場合は、体に吸収されにくいので、ビタミンCや動物性タンパク質を含む食品と組み合わせて採る必要があるんだがな。「食品摂取法」に違反しても懲役5年だ。ましてやレバ刺しで鉄分補給だと? 重罪だぞ」

テーブルには天秤が置かれ、片方の皿には錘が、片方の皿にはレバ刺しの切り身が乗っていた。冷蔵庫の中からは、20gに小分けされた冷凍レバ刺しの入ったビニール袋が大量に見つかった。男はレバ刺しの売人、女はその顧客らしい。

「どこから手に入れた?」

闇ルートがあるはずだった。最近では、レバ刺しが中国から密輸される事件もあいついでいた。尖閣諸島で日中双方の漁船が近づき、そこで受け渡しが行われていたのだ。

ガンは密輸船の摘発現場に立ち会ったこともあった。そのとき漁船からは末端価格10億円の冷凍レバ刺しが見つかった。これを廃棄処分すれば、何人もの日本人の命を助けられるのだと、ガンは、自分の仕事に対する誇りと満足感にひたったのだった。


それは一瞬の隙だった。

男がガンに突進し、試薬に染まったレバ刺しを手に取ると、ガンの口にねじこんだ。その衝撃で、ガンの銃口からは弾が発射され、天井をぶち抜いた。あわててマックが男を取り押さえた。

「ガン、大丈夫か?」

と、マックは男の顔を床にねじふせて言った。

「あぁ、大丈夫」

そういって、ガンは床にレバ刺しを吐き出した。


男は取調べの結果、日本における闇レバ刺し販売の元締めだとわかって、死刑の判決を受けた。

客の女は、裁判でも「鉄分を採るため」という証言を繰り返した。裁判員からは「レバ刺しよりヒジキやキクラゲだと、まだ反省していないのですか?」と厳しく問いただされた。しかも悪質なことに、ごま油と塩で食べていたことが発覚。これは裁判員たちの心証をさらに悪くしてしまい、女に無期懲役が言い渡されたのだった。

そのテレビニュースをガンとマックはLSPの本部で見ていた。

「ごま油と塩じゃぁ、無期はやむをえないだろう」

と、マックは吐き捨てるように言った。

ガンは、どこかうつろな目で眺めていた。あのとき、ガンは、レバ刺しを少し食べてしまった。マックからは、「多少口に入っても、ただちに健康に害はない。気にするな」といわれたが、ガンが悩んでいたのはそこではなかった。

「どうしてあんなにうまいものが禁止されているんだろうか」

LSPに配属されて2年、彼はこれが正しいことだと思って働いてきた。しかし、レバ刺しのとろけるような舌触りと味に、彼の信念は揺らぎ始めていたのだった。

「今度はごま油と塩で食べてみたい。いやニンニク醤油のほうがいいだろうか。迷ってしまう・・・」

禁断の味を知ってしまったガンの苦悩は、いまや、レバ刺しをどうやって食べるかだったのである。

(おわり)


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2012/06/27

千葉県鴨川市大山千枚田保存会  鴨川バレエ団の『里舞』

Satomai_ine

Satomai_hana(↑: 「稲」    ↓: 「華」)

大山千枚田保存会、長村順子さん主宰の鴨川バレエ団『新・里舞 ~いのち~』のDVDをいただきました。

この棚田や稲をモチーフにしたダンスでは、音楽CD『ASIAGE』の中から、何曲か使ってもらっています。たいへんありがたく、光栄に思うし、長村さんの「勇気」もたたえたいと思います。

「音楽」と「写真」、一見違うもののようですが、棚田の風景から「切り取る」という意味では同じです。切り取るのが「音」か「光」かの違いだけで。

だから俺の音楽は、棚田や稲を表現するダンスにも合うのではないでしょうか。(と、自画自賛しておきます。誰もほめてくれないので) そもそも曲は、メコン川流域や棚田の写真展のBGMのために作曲したものでした。音楽(BGM)は、写真展の一部で、とても大切な要素なのです。写真展は「場」を作ること。その「場」がいいものになっていれば「いい写真展だ」と俺は思っています。

先日、長村さん他、棚田関係者数人が集まり、今後の『里舞』について話をしました。俺は今は曲を提供しているだけですが、今後、東京公演をやるとのことで、ぜひもっと協力しようと思いました。

地方から新しいものを発信していく。棚田そのものもそうですが、棚田から生まれる芸術作品、その意味でも、『里舞』の東京公演は面白い挑戦だと思います。

ただ「全部青柳さんの曲でいったほうがいい」というみんなの意見には、簡単にうなずくことはできませんでした。曲作りはそう簡単ではないのです。俺の場合、過去20年間あたためてきた音楽が『ASIAGE』になったもので、新しく作るとなるとそれなりのエネルギーがいります。時間もかかります。でも「やってみたい」という気持ちもあるので葛藤はありますね。

さらに話は盛り上がり、フランス公演をやりたいね、みたいな大きな話になってきました。これを聞いて俺もがぜんやる気が起きてきました。フランスには特別な思い入れがあるからです。

写真を始めたきっかけがフランス・パリでの、ある写真集との出会い。そしてフランス人とは気が合うということ。それ以上に、生ハムやチーズをはさんで食べるフランスパン、バゲットを食べられると思うと、それだけでモチベーションがあがってきます。

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2012/06/26

中国雲南省と四川省の境で24日午後マグニチュード5.7の地震のニュース

120626(写真はガンム山と泸沽湖)

地震の死者4人に=2万人以上が被災―中国南西部
Yahoo NEWS http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120625-00000054-jij-int

地震があった一昨日は、たまたま少数民族の言葉について書いていて、「雲南」のことを久しぶりに思い浮かべていた日でした。

震源地は雲南省麗江市ニンラン・イ族自治県と四川省凉山イ族自治州の境界付近。

世界遺産の麗江の街から北東へいったニンラン・イ族自治県では観光客も巻き込まれたらしい。

ここには泸沽湖という美しい湖があります。まわりはモソ人、プミ族、イ族、ナシ族、チベット族などが暮らしています。奥地なので救援活動は遅れてしまうかもしれません。

中国版ツイッター新浪微博(Sina Weibo)の「泸沽湖」では、いろんなつぶやきが。
http://s.weibo.com/weibo/%25E6%25B3%25B8%25E6%25B2%25BD%25E6%25B9%2596&Refer=index

新华网はこちら。
http://news.xinhuanet.com/photo/2012-06/24/c_123323382.htm

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2012/06/25

絶滅危機の言語の話の続き  宮古島の言葉で「もずく」は「すぬず」、「うみぶどう」は「んきゃふ」

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昨日はGoogleのプロジェクトについて触れましたが、宮古島のページに、島の言葉を使って歌を歌っている下地勇さんというミュージシャンの動画があります。なるほどなと考えさせられる話がありました。

Isamu Shimoji on the Miyako language
http://www.endangeredlanguages.com/lang/4730/samples/4434

宮古の言葉(ミャークフツ)じゃないと表現できない世界観がある。だから宮古の言葉でやっているだけであって、宮古の言葉を後世に残そう、残さなければならないとはあまり思っていないと。その世界観に興味を持ってくれる人が増えれば結果的に島の言葉が残っていくだろうと。

そういえば、俺にもあります。どうしても方言でないと伝えられないニュアンスです。

たとえば、山形弁に「やばつえ」というのがあります。

水しぶきが当たったときなど使うことばですが、標準語に訳すと「冷たい」になるんでしょうか。 (県民の皆さん、もっといい訳語があるでしょうか?)

でも、「冷たい」というふうにいったん標準語で言い換えてしまうと、「やばつえ」のニャンスの大部分が抜け落ちていることに気がつきます。

まず「やばつえ」には、水しぶきを俺にかけた相手に対する「ちょっとした非難」のニャンスを含んでいるのです。

「やばつえな」、「やばつえがら、やめでくれ」

といって相手に文句を言います。たんなる「冷たい」なら「つったえ(冷ったえ)」でいいわけです。なら、何が違うのかというと、「やばつえ」には、他者との関係性を含んでいるということではないでしょうか。

自分ひとりで水しぶきを浴びたとき「やばつえ」とはあまり言わない気がするからです。ここは「つったえ」で十分でしょう。

「やばつえ」は単なる一例ですが、これひとつとってみても、方言は、ただ単に単語が違うというだけではなく、その背景にある世界観が興味深いのです。

逆に言うと、言葉がひとつ消えるということは、それに伴った大きな世界も消えてしまうということで、意外と深刻な問題なのかもしれません。

それと下地さんの話を聞いて思ったのですが、最近は郷土料理、ローカルフードが見直されていますが、料理と同じように、言葉も地元の財産だということです。

宮古島の言葉では「もずく」は「すぬず」、「うみぶどう」は「んきゃふ」というらしい。その島の言葉で表記したほうが、外の人たちに興味を持たれるのではないかと言っています。その通りだと思います。

方言を使った地域興しということもありえますね。

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2012/06/24

「Google、絶滅危機の言語を保存するプロジェクトを公開」のニュース

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120624_3(中国雲南省の民族  ↑:ハニ(アイニ)族   中:ワ族  ↓:アク人)

Google、絶滅危機の言語を保存するプロジェクトを公開
(ネットベンチャーニュース 
http://www.netventure-news.com/news_aNhs9t2J9S.html?right

アジアの民族文化にひかれてかれこれ20数年。とくに若いころは中国南部やインドシナ半島を周っていました。

そのとき各民族ごとに違う言葉の多さに驚かされました。隣村の言葉が違ったりするわけです。それと言葉の世代間断絶という現場も目にしています。

雲南省南部、西双版納タイ族自治州の山中だったと思いますが、「プドゥ族」の村を訪ねたことがありました。中国少数民族の中には数えられていない民族で、中国の場合、「民族」と認められていない下部集団を「@@@人」と呼んでいるので、この場合「プドゥ人」になるんでしょうか。

プドゥ人のおばあさんと小学生の孫の話です。孫はおばあさんと話ができないのだそうです。孫は学校で「普通話(中国の標準語、北京語)」で勉強していて、家でもプドゥ語は使っていないので、おばあさんが話すプドゥ語がわからない、というのです。かろうじておばあさんの子どもの世代では、プドゥ語も少しわかるようですが、2世代離れるともうわからないようです。おばあさんの寂しそうな顔が忘れられません。

これは何もプドゥ族だけではなくて、日本でも聞く話で、俺の母親は山形訛りがはげしく、たまにわからない言葉をしゃべります。俺にも言葉の世代間断絶の経験があります。

言葉はとくに「形」や「物」として残らないので、無くなるのも早い。録音技術が生まれてようやく記録として残るようになりました。こういった無形文化財を残していくプロジェクトも必要だなと思います。

プロジェクトのHPはこちら。
http://www.endangeredlanguages.com/

ただ皮肉なことに、Googleなどインターネットを広めてきた側が、弱小言語を駆逐してきたという側面もあるそうで、このプロジェクトがその懺悔の意味もこめている(もしかしたら免罪符になっている)というとことに、少し引っかかりはありますが。でも、やらないよりはマシでしょう。とくにこの10年20年の少数言語の失われるスピードの速さといったらないでしょう。時間との闘いなのです。

日本では今のところ、「アイヌ」「奄美大島」「沖永良部」「与論」「沖縄」「宮古」「八重山」「与那国」などが登録されています。

ページには「sample」があって、実際の言葉を音声で聴くことができます。アイヌのページでは、音楽や唄などもアップされています。これは面白いですね。

まだ始まったばかりで、「sample」がない言葉もありますが、もっともっと充実させていけば、すばらしい言葉の図書館になるでしょう。期待したいです。

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2012/06/21

韓国ドラマ 『ロードナンバーワン』 をDVDで観て

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韓国ドラマ 『ロードナンバーワン』 (全20話) を見終わりました。

『ロードナンバーワン』 (Wiki参照
「朝鮮戦争真っ只中の韓国を舞台に、その激戦下でジャンウ・スヨン・テホの3人の中心に繰り広げられる人間模様を描く。朝鮮戦争60周年記念にあわせ製作された。タイトルは南北朝鮮を縦断する「国道1号線」から命名され、物語も国道に沿う形で展開されていく。また本物の戦車も登場するロケによる大掛かりな戦闘シーンが繰り広げられ、総制作費は130億ウォン。」

朝鮮戦争が舞台ですが、基本、友情と愛情を描く人間ドラマです。

ひとりの女性スヨンを同時に愛するふたりの男。主人公のジャンウとテホ。

ふたりは同じ中隊で戦友となっていくのですが、最初は恋敵というので、何かと敵対します。やがてテホは、中隊長になったジャンウとの友情にめざめ、尊敬するようになります。そしてスヨンを諦めるのでした。

スヨンとは結婚できませんでしたが、でも、テホはもてる男です。スヨンの妹からも、野戦病院の女医からも。けっして不幸な男ではありませんでした。

主人公に近い登場人物が、意外と早い段階で死んだり、嫌われ役だった新中隊長が、あっけなく死んでしまうところなど、「あれっ?」と思うところもありますが。

戦闘シーンはさすがに迫力があったし、スヨンが生きるために戦場に放置された死体から食べものをあさるシーンは、鬼気迫るものがあります。すさまじくもあり、美しくもありました。俺にとっては一番印象的なシーンです。「生きる」とはこういうことなんだと、理屈抜きで思い知らせるものになっています。生々しいシーンが敬遠される日本のドラマがまるで学芸会のお芝居のように感じてしまうほどです。

また音楽もいいですね。いつかこの曲にインスパイアーされて(= 要するにこの曲をパクって)、曲を作ってみようかなと思います。

お勧めのドラマです。

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2012/06/20

福岡県柳川市へ行ってきました (03) 柳川名物「うなぎのせいろ蒸し」と「柳川鍋」

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120620_2(写真は↑: うなぎのせいろ蒸し  ↓: 柳川鍋)

柳川といえば、うなぎが有名らしい。「うなぎのせいろ蒸し」という名物料理があります。知らなかった。

どじょうを使った「柳川鍋」は「柳川」と付いているくらいだから、柳川と関係あるんだろうなぁと思っていましたが、違ったようです。

それほど「名物調理」というものに関心はない俺ですが(ローカルフードには関心があります)、今回は写真のリクエストもあったので、立派な観光客になって、ふたつとも食べてみました。

「おいしかった?」と聞かないでください。けっしてまずいわけではないことはわかるでしょう? でもひねくれ者の俺なので、特別変わっていておいしくなければ、素直に「おいしい」とはいえないのです。それとも俺はうなぎを食べ慣れていないので、おいしさがわからないということなのでしょうか。

どうも「名物」といわれるものに引っ掛かりがあります。

数年前、佐賀平野のクリークを取材したとき、佐賀市の居酒屋で、いわゆる「有明もの」と呼ばれる食材、たとえば「がん漬 (しおまねき蟹を潰して、唐辛子、醤油、塩で味付けした塩辛です)」、「いそぎんちゃく (コリコリした食感)」、「くちぞこ (ひらめの一種、平たい魚)」、「わらすぼ (姿は「エイリアン」と似ている細長い魚。干物の空揚げ)」などを食べましたが、こっちはけっこうローカルフードそのものといった感じで、素直に「おいしい」といえました。

名物は、名物で終わってしまうとしたら残念です。期待を裏切るような衝撃(まずいとか)があったらまだマシかなぁ。

いや最初は「名物」ではなかったはず。もともと地元で食べていたとか、誰かが考え出したとか。それが「名物」に固定化されていくのが、なんとなくつまらなくなる原因かなぁと思ったりもします。

柳川のみなさん、「うなぎのせいろ蒸し」にいちゃもんつけているわけではありません。「名物」についての一般論です。


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2012/06/19

福岡県柳川市へ行ってきました (02) 旧戸島家住宅の「式台」

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佐賀空港からレンタカーで柳川市へ入りました。

翌日は天気が崩れることを聞いていたので、撮影はできるだけ今日やっておこうと、市内あちこちを回りましたが、たぶん、30度は超えていたのではないでしょうか。熱中症になるくらいの暑さでした。中国貴州の涼しいところから急に暑いところへいったもので、夜にはちょっと微熱が。

雑誌では主に北原白秋についての撮影でした。直接関係ないと思うので、旧戸島家住宅の写真をアップします。

柳川藩の中老職にあった吉田兼儔の隠居所として建てられたもので、柳川地方の武家住宅の典型例として、建物と庭園が福岡県の文化財に指定されています。

ここが気に入った理由は「式台」です。

式台というのは、玄関とは別に作られた入り口で、身分の高い来訪者の出入りに使われたらしい。

式台の正面の壁に三日月形の透かし窓があります。

それ自体すごくモダンなデザインで感心したのですが、裏側から見ると、外の明かりが床の間の障子を三日月状に光らしていたのです。この仕掛けには恐れいりました。

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2012/06/18

福岡県柳川市へ行ってきました (01) 羽田発着便から東京スカイツリーは見えるのか

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雑誌の取材で、先週福岡県柳川市へ行ってきました。

今回は佐賀空港までの往復です。

飛行機に乗るときは、なるべく一番後ろの窓側に座ると前回の記事に書きましたが、日本国内線のときもそうです。

なので、富士山の写真は何度も撮っています。

今回(中国行きも羽田から出ました)は、東京スカイツリーがオープンしてはじめての羽田発着便なので、なんとかスカイツリーを見たいと思っていました。

中国への行き帰り、羽田空港離着陸のときは、注意してみていましたが、出発便は雲があったし、帰国便は横浜のほうから北上して着陸したので、残念ながら見えませんでした。

佐賀便の窓から瀬戸内海の光る海の写真を撮っていると、客室乗務員が、

「写真撮るの、ご趣味なんですか?」

と、声をかけてきました。大の大人が、左右の窓を頻繁に行き来して、熱心に写真を撮るのは、最近では珍しいことなのかもしれません。

「そうです。趣味なんです」

と、俺は答えました。ついでに羽田発着便からスカイツリーは見えるのか聞いてみました。すると、羽田空港には滑走路が4本あって、その日の天候(風向き)によってルートが変わりますが、見えるルートもあるそうで、彼女も夜の便で見たことがあるそうです。ただ、意外と光は弱く、むしろ東京タワーのほうが目立っていたとのこと。

それで、佐賀空港から羽田空港に戻る便では、客室乗務員に、今日はスカイツリー見えるのか?聞いてみました。すると、機長に今日のルートを確かめてくれて、着陸3分前に、右手前方に見えるかもしれないという情報を教えてくれました。

ここまで聞いてくれるんですね。ちなみにANAです。ここはLCCと違う点なんだろうなぁと思いました。LCCではこんなサービースをしてくれるのかどうか。

結果は、スカイツリーは、わかりませんでした。もっといいルート、次回を期待したいと思います。見えるとしたら右側らしいですよ。

ところで、帰りは、『佐賀県』のはなわも同じ便でした。

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2012/06/17

中国貴州省の撮影旅2012 (09) 北京-貴陽間の飛行機の窓から

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北京から貴州省の省都、貴陽までは約2時間半。

俺は飛行機に乗るとき、たいてい一番後ろの窓側に座ります。

中途半端な席だと、翼が邪魔して、風景が見れないからです。それ以上に、圧迫感に耐えられません。

それで今回も一番後ろの窓側にしてもらいました。

高いところが好きです。地上の風景は変化があって退屈しません。

ちょうど中間地点ですが、大きな街の上空を通過しました。湖北省あたりだと思います。四角い水路(道路?)に囲まれた街の様子がはっきり見えました。

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2012/06/16

中国貴州省の撮影旅2012 (07) 山中の工事現場 高速道路と高速鉄道

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貴州省の山の中を走っていると大規模な工事現場にでくわします。それは高速鉄道だったり、高速道路だったりします。

貴陽と広東省広州を結ぶ高速鉄道は2、3年後完成予定だそうです。写真は溶江県を流れる都柳江にかかる高速鉄道の橋です。

この橋を見て「何か」がひっかかりました。比べるものが映っていないので、高くないように見えますが、実際に目の当たりにすると、写真から受ける印象以上に、この橋の高さを感じます。それと、ちょっとした「不安感」みたいなものです。高さに比べて、橋げたが細いからでしょうか。ちょっと日本にはない高さの橋ですね。

新しい高速道路も開通していました。高速道路で2分されたミャオ族の村がありました。村の民家の横にダムのような遮蔽物ができてしまって、圧迫感を覚えます。

でも高速道路ができたことで、今まで「秘境だった村」が、とつぜん「開けた村」になってしまいました。この村人にとっては激変です。10年後はどうなっているでしょうか。

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2012/06/15

中国貴州省の撮影旅2012 (06) 昔と比べると吠えなくなった貴州省の飼犬と里犬たち

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村へ行ったとき、犬が気になります。今までさんざん書いてきたことなので詳しくは繰り返しませんが、俺は中国で犬に複数回咬まれて犬嫌いになりました。今はヴィーノというビーグル犬と暮らすまでにリハビリして、犬に対する恐怖心はだいぶ少なくなりました。でも、やっぱり「咬まれるかも」というのが頭をよぎり、つい注意して見てしまうのです。

ところで、貴州省や雲南省の少数民族の村の飼犬や里犬には、あまり愛称をつけません。それは雲南でも聞いたし、前回の貴州の旅でも確かめました。

じゃぁ犬を呼ぶとき何て呼ぶのか聞いたところ、自分たちの少数民族の言葉で「犬」と呼んでいるとのこと。ただ最近では、あきらかにペットとして飼われる犬もいて、そういう犬には、「四つ目」とか「黄色い毛」という意味の愛称を付けているらしい。

どうして愛称を付けなかったのかは、たぶん、こういうことかなぁと想像できますが、確かめたわけではないので、それは後日書くことにします。

昔と比べると、中国の犬が吠えなくなっているように感じます。穏やかになったのです。犬も人と同じように、改革開放の恩恵を受けて腹が満たされ、攻撃的ではなくなってきたせいかもしれません。

あるいは俺自身が、「犬に吠えられない体質」に変わったためかもしれません。

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2012/06/13

中国貴州省の撮影旅2012 (05) 市場の色

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120612_6(写真は上から、豚の血、塩納豆「豆鼓」、豆の一種の漬物、3色のおこわ、瓜の一種、カブの漬物、ナレズシ「腌魚」、豚の血の「紅豆腐」、ドクダミの根、何かの漬物)

市場を歩くのは楽しいものです。屋台での食べ歩きもいいですが、食材を写真に撮ってみるのもおもしろいですね。「これは何?」というものがたくさんあります。

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2012/06/11

中国貴州省の撮影旅2012 (04) 黎平県肇興村の屋外映画

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黎平県の肇興村は中国のもっとも美しい村のひとつといわれているそうです。村と呼ぶには大きな規模ですが、たしかに、周りを山に囲まれ、村の中を川が流れ、木造の建物が密集し、風雨橋や鼓楼が点在する肇興は、しっとりと落ち着いた風情があります。

まだ交通の便がいいとは言えないことが、こういった古いものを残すことになっているのではないでしょうか。「昔は良かった」とはあまり言いたくないのですが、雲南省北西部の、今ではわんさと観光客が押し寄せる世界遺産の麗江も、かつてはこんな素朴な味わいがありました。ここもそのうち変わってしまうんでしょうね。

夜、お菓子を買いに外へ出たら、鼓楼のひとつで、屋外映画を上映していました。鼓楼の下層の屋根にスクリーンを垂らして映画館にしています。

昔、雲南省ではよく屋外映画を観たものです。星空をバックにしたハニ族村での映画では、星が移動したのも同時に記憶にあります。

ここ肇興の屋外映画も、テレビが普及する前は、観客も超満員になっていたと想像できます。しかもこの村にはもともと映画館はなかったようだし。

内容もいまだに「反日映画」。日本軍と戦う勇敢な中国人の話ですが、古い映画だし、さすがに今の時代、これでは人が集まらないでしょう。

もっと面白い映画をやればいいのに。鼓楼をバックにした屋外映画自体は、最高に贅沢なものです。観光客にはウケるんじゃないでしょうか。

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2012/06/10

中国貴州省の撮影旅2012 (03) 黎平県の伝統的なトン族村 紀堂

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初めて黎平県の紀堂村を訪ねたのは、今から15年ほど前です。

あのときと村の様子が変わったか?と聞かれても、変わっていないように見えます。いや、それは外見だけなのでしょう。生活の質はたしかに変わっています。

コンクリート・レンガの建物や、家電製品も増えました。通路はコンクリートで歩きやすくなっています。服装もきれいになっています。お尻に穴のあいたズボンを穿いている子どももいなくなりました。おばあさんたちは、売店でDVD鑑賞しています。犬は、やたらに吠えなくなっています。

今回もある民家で、「腌魚」を分けてもらいました。瓶に漬け込んだナレズシです。かなり強烈な匂いです。

夕方、町に戻ってから、レストランで調理して出してもらいました。油で揚げてあります。塩と唐辛子の辛さはそのまま残っているので、酒の肴にはもってこいです。同行の生徒さんにも、意外と評判が良かったので驚きました。(ただし、酒飲みの人)

この伝統食は、いつまで自宅で作り続けるでしょうか? 若い人たちはあまり食べなくなったという話も聞きます。「腌魚」も、そのうち探すのが難しくなってしまう時代が来るのかもしれません。

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2012/06/09

中国貴州省の撮影旅2012 (02) 一大観光地になるかもしれない貴州省の棚田

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中国雲南省の元江県の棚田をみたのは1992年のことでした。その後、もっとすごいところがあると知って元陽県に行ったのは1994年ころです。

まだ観光客もなく、静かなところでしたが、その後一大観光地になりました。

今のところ貴州省を訪れる観光客の多くは、少数民族の祭りや生活に興味のある人たちです。「棚田」だけを目当てに来る観光客はまだそれほど多くはありません。

でも、俺の直感ですが、雲南省の棚田を見たときの「観光地の予感」みたいなものを、貴州省の棚田にも感じます。

雲南省の棚田は、とにかく巨大です。規模の大きさで言えば、貴州省の棚田は負けるかもしれません。でも、貴州の棚田は、形にバリエーションがあります。言ってみれば、箱庭的なのです。こじんまりしているところでも(もちろん日本と比べればそれでも大きいのですが)形に面白さがあったり、点在するミャオ族、トン族などの村にも個性があります。自分で棚田を発見する楽しみがあります。

もしかしたら貴州省の棚田のほうが、日本人好みかもしれません。将来大きな観光地になる気がします。

今回そんなことを思いながら、東南ミャオ族トン族自治州の棚田を周りました。

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2012/06/08

中国貴州省の撮影旅2012 (01) 貴州に再び

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中国貴州省の黔東南ミャオ族トン族自治州へ行ってきました。今回は、撮影ツアーの講師という立場で、9日間の旅でした。

もちろん写真は、棚田とトン族、ミャオ族の生活風景です。

晴れ間が一度もなかったという、貴州らしいといえば貴州らしい天気が続き、後半は、テレビの天気予報で大雨注意報や土砂崩れ注意報が出るくらいで、実際雨が降り、土砂崩れの跡は何ヶ所も通過したし、一ヶ所、トン族の一番古い鼓楼が残る村へは、道がぬかるんで行くことができずに諦めました。

中国・湖南省で洪水被害、8万人が避難日テレNEWS24  http://news24.jp/articles/2012/05/14/10205591.html
「中国・湖南省で、先週から続く大雨によって各地で洪水が発生した。国営メディアによると、これまでに8万人が避難、多くの民家が流され、被災者は190万人に上るという。」

貴州省は、この洪水被害が出た湖南省の西隣にある省で、割と近いところです。

そんな天気でしたが、かえって棚田の緑はきれいに見えたのかもしれません。そして葬式(90歳以上のおじいさんが亡くなった葬式だったので写真も許されました)や新築式などにもでくわしたし、乗り継ぎの北京空港ではちょっと迷子になったりと、はらはらする場面もあって、なかなか楽しい旅になりました。

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