(写真は福井県美浜町の水晶海岸から見た夜の美浜原発)
俺も将来的には「原発に依存しない」のが理想だと思います。まずは、それがベースにあることは最初に断っておきます。けっして原発推進派ではないことを。
そして、脱原発のデモについても、基本的には賛成です。俺は参加しませんが(俺は別な方法でやりたいと思うので)、こういう人たちもいたほうがいいとは思っています。
その上で、でも、やっぱり引っかかるものがあります。
先日も書きましたが、俺は今まで電気がどこで作られているかも意識せず、ばんばん使っておいて、311後は手のひらを返したように「脱原発」を訴える恥ずかしさを感じます。
原発立地の自治体に暮らす人からみたら、さぞこっけいに映っているんだろうなと。
まるで、被害者になったように「脱原発」を叫ぶ人たち(俺も含めてです)。いつから俺は被害者になったんだろう? 今でも俺は加害者ではないのか? 故郷を失ったわけでも、被爆したわけでもありません。
とくに最近は、訴えていることを聞くと、「あれっ?」と思うようになってきて、だんだん共感できなくなりつつあります。「金より命」「たかが電気です」というのも、どうかと思いますよ。
とくにこのデモの主体が50、60以上の、今まで一番原発の恩恵を受けてきた人たちであることが関係しているのかもしれません。若い人の共感度が低いのはそのせいではありませんか。
「私はいいんです、この歳ですから。私の孫のためにやってきました」という老婦人がいました。
そりぁそうでしょうが。さんざん原発の恩恵を受けて、好きなことをやってきて、一番いい時代を生きてきて、年金もたくさんもらって生活の不安もなく、電車賃をかけてデモに参加できる。あとは自分の孫が、原発のない安全な「理想郷」で生きてくれると夢見ながら幸せに死んでいける。
今の若い人たちは、それと比べてどうですか? そして原発を停止しても、放射性物質はずっと残りつづけ、その処理の問題にずっと頭と心を悩まし続けるのも若い世代です。「即停止」すれば「安全」になるようなイメージを持っているとすれば、これもまた別の「安全神話」が生まれるだけです。
まず、反省がほしいですね。なぜ原発が今まで推進されてきたのでしょうか? 政府のせいばかりですか? 電力会社のせいばかりですか? そこをよく自分で考える。そこからしか新しいエネルギー社会の展望は開けないと思います。
加害者の意識を持ちながらやるデモなら、俺も参加するかもしれません。

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