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2012/07/31

文化発信の場所、門前仲町にある「門仲天井ホール」

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先日、富田和明太鼓芸能生活35周年記念公演が行われた門前仲町にある「門仲天井ホール」。

残念ながらこのホールは今年9月末で営業を終了してしまうそうです。富田さんにとって、ここでの最後の公演になりました。

なので、富田さんからの依頼もあって、公演の様子以外、楽屋なども記録写真として撮影しました。

公演の写真は富田さんのHPで。

月刊・打組

去年「門仲天井ホールの今後を考える会」が立ち上げられ、ホールの存続を求める署名が5000筆以上集められましたが、ホールの形状が興行場法に適合出来ないということもあり、今後はオフィスなどに活用されるらしいとのこと。

富田さんの公演を写真に撮ったり、忘年会に参加して太鼓をたたいたり、去年は311後の「東日本大震災チャリティー 大太鼓ライブ」で写真スライドショーで参加したりと、俺にとってもこの「門仲天井ホール」は思い出深い場所になりました。

文化発信の場所としては、程よい規模のホールであっただけに、なくなってしまうのは残念でなりません。

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2012/07/30

何かがひっかかる 脱原発デモ『国会大包囲』

120730(写真は福井県美浜町の水晶海岸から見た夜の美浜原発)

俺も将来的には「原発に依存しない」のが理想だと思います。まずは、それがベースにあることは最初に断っておきます。けっして原発推進派ではないことを。

そして、脱原発のデモについても、基本的には賛成です。俺は参加しませんが(俺は別な方法でやりたいと思うので)、こういう人たちもいたほうがいいとは思っています。

その上で、でも、やっぱり引っかかるものがあります。

先日も書きましたが、俺は今まで電気がどこで作られているかも意識せず、ばんばん使っておいて、311後は手のひらを返したように「脱原発」を訴える恥ずかしさを感じます。

原発立地の自治体に暮らす人からみたら、さぞこっけいに映っているんだろうなと。

まるで、被害者になったように「脱原発」を叫ぶ人たち(俺も含めてです)。いつから俺は被害者になったんだろう? 今でも俺は加害者ではないのか? 故郷を失ったわけでも、被爆したわけでもありません。

とくに最近は、訴えていることを聞くと、「あれっ?」と思うようになってきて、だんだん共感できなくなりつつあります。「金より命」「たかが電気です」というのも、どうかと思いますよ。

とくにこのデモの主体が50、60以上の、今まで一番原発の恩恵を受けてきた人たちであることが関係しているのかもしれません。若い人の共感度が低いのはそのせいではありませんか。

「私はいいんです、この歳ですから。私の孫のためにやってきました」という老婦人がいました。

そりぁそうでしょうが。さんざん原発の恩恵を受けて、好きなことをやってきて、一番いい時代を生きてきて、年金もたくさんもらって生活の不安もなく、電車賃をかけてデモに参加できる。あとは自分の孫が、原発のない安全な「理想郷」で生きてくれると夢見ながら幸せに死んでいける。

今の若い人たちは、それと比べてどうですか? そして原発を停止しても、放射性物質はずっと残りつづけ、その処理の問題にずっと頭と心を悩まし続けるのも若い世代です。「即停止」すれば「安全」になるようなイメージを持っているとすれば、これもまた別の「安全神話」が生まれるだけです。

まず、反省がほしいですね。なぜ原発が今まで推進されてきたのでしょうか? 政府のせいばかりですか? 電力会社のせいばかりですか? そこをよく自分で考える。そこからしか新しいエネルギー社会の展望は開けないと思います。

加害者の意識を持ちながらやるデモなら、俺も参加するかもしれません。


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2012/07/28

男女平等をうたう今回のオリンピックの開会式

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オリンピック開会式が盛大に行われました。

俺には棚田に見えてしまいましたが、会場には緑の丘が造られていましたね。最初は見ていないので、この丘が何を表しているか説明はあったんでしょうか。そこに各国の国旗が掲揚されました。

今回は、参加する204の国・地域が全て女子選手を派遣しました。それとボクシングを含めて、全ての競技で女子も参加できることになりました。これらはオリンピック史上、初めてのことだそうです。

今まで許されなかったサウジアラビアやブルネイやカタールからも女子選手が参加します。直前まで関係者はサウジアラビア側を説得していたらしい。この女子参加の実現にはかなり力を入れているなぁと感じます。

行進のときも、約4割が女性の旗手でした。

IOCのロゲ会長は今回の女性選手出場を「五輪における男女平等に努めた。大きな進展だ」と評価しているそうです。

男女平等に加えて、やはり、ラマダン時期についての配慮も含めて、イスラム諸国を意識しているなぁとあらためて感じました。

開会式ではサウジアラビアやブルネイの女性選手たちがクローズアップされました。今回のオリンピックの象徴的存在ではないでしょうか。

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2012/07/24

「ウォシュレットG」が機械遺産に。そのうち和式ウォシュレットができるか?

120724(写真はマレーシア・クアラルンプールの路地)

機械遺産、新たにウォシュレットGなど5件選出
J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2012/07/23140256.html

ウォシュレットが機械遺産に選ばれたというニュース。

「ウォシュレット(Wikipedia)」によると、TOTOが販売したのは1980年6月だそうです。

1964年には、「東洋陶器(現・TOTO)が、米国から温水洗浄便座「ウォッシュエアシート」を輸入、販売を開始」とあるので、それ以前からアメリカでは原型となるものがあったらしい。

ところで、これは前にも書いたことですが、カイロのユースに泊まったとき、トイレへ行ったら「ウォシュレット」だった話。

もちろん、当時(1982年)は「ウォシュレット」なんてなかったので、そんな呼び方はしませんでしたが。「これはすごい」と感心したものです。

アジア、アフリカのかなりの国々では、「大」の方の用を足したあとは、紙は使わずに、水で洗うという方法です。エジプトもそうでした。

ただカイロのユースの便器は、一般庶民の使うしゃがむタイプの和式ふう便器ではなくて、腰掛けるタイプの洋式便器でした。外国人が多く泊まるからでしょうか。その便器の中には、パイプ(ノズル)が上を向いた状態で取り付けられていました。ちょうど肛門のあたりです。用が終わったら、蛇口をひねって水を出して肛門を洗うという仕掛けです。これは「ウォシュレット」そのものだったのです。

ところで、今年2月に訪れたマレーシアのクアラルンプールの公衆トイレでは、また違ったタイプのウォシュレット式トイレに遭遇しました。

ウォシュレット式は洋式トイレが普通ですが、クアラルンプールで見たのは、しゃがんでやる和式ふうトイレだったのです。もちろん中東などでも、しゃがんでやる和式ですが、脇に水道の蛇口とホースがあって、ホースの先は、自分で肛門に向けなくてはなりません。

ところが、ここのは優れものでした。ホースが見当たらなかったのですが、水道のコックのようなハンドルが付いていたので回してみました。すると、便器の後ろから水が肛門めがけて噴射されたのです。

ノズルは目立たなかったので、まさかそこから水が出るとは思っていなかったので驚きです。その距離30cm。角度といい、水量といい、絶妙なんです。TOTOも人の肛門の位置を研究したそうで、たぶん、マレーシアでも何人もの肛門の位置データを取った成果でしょう。

和式でもウォシュレットができるんだ、さすが肛門を水で洗う先進国は違うなぁと感心しました。日本では、和式ウォシュレットは、まだないのではないでしょうか? マレーシアにあるんだから、日本の技術をもってすれば、和式もできると思います。ぜひ作ってほしいと願っている、痔持ちの俺でした。

調べてみたら、過去発売されていたんですね。

「1996年に和式便器用の機種も発売されている。しかし、和式では使用しにくいことや一般家庭が洋式への移行が進んだことから普及せずに生産が終わった。」(wiki

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2012/07/16

2012年のテーマは 『棚田と民俗 人々のくらしと棚田』

120716(写真は山口県長門市油谷東後畑の棚田)

棚田学会大会シンポジウム 『棚田と民俗 人々のくらしと棚田』

2012年8月5日(日) 14:00~

会場: 三越劇場(日本橋三越本店6F)
資料代:1000円(会員は無料)
主催:棚田学会
協賛:(公財)損保ジャパン環境財団
 
 
今年のシンポジウムのテーマは「棚田と民俗」。あたりあえの話ですが、棚田は、そこに暮らしている人が作ってきたものです。人が作ったから、俺も写真に撮っています。もし自然の造形ならここまでのめり込むこともなかったでしょう。

1週間前、あるインタビューを受けましたが、棚田に行くのは、棚田を含めた「場」が好きなのです、と話をしました。その「場」には、地元農家の人たちの歴史も文化も含みます。

「棚田が美しい」ということは、空間的なものだけではなく時間的なものも関わっていて、「人々の日々のくらしが美しい」という言葉に置き換えても間違ってはいないでしょう。その「美」を視覚化するものが、棚田の曲線なのかもしれません。

また日本の棚田は、「丹精込められている」と再認識したのでした。

「丹精」

いい言葉ですね。「心をこめて物事をすること」

日本人の自然との付き合い方が表れている気がします。


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2012/07/14

太鼓芸能生活35周年、富田和明さんの公演『 鼓(つつみ)かくさず 叩きます』

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太鼓の富田さんのソロコンサートがあります。会場となる門仲天井ホールは、9月でとうとう閉館になるそうです。なので、このホールでの公演は最後になります。


太鼓芸能生活35周年、富田和明55歳、165センチ、75キロ、GO GO Tomida!

鼓(つつみ)かくさず 叩きます

7/20(金)暮夜7時始め/開場30分前

7/21(土)夕刻5時始め/開場30分前

※開演10分前頃より、無打噺(むだばなし)始めます

出演/富田 和明

会場/門仲天井ホール・Art Kitchen
東京都江東区門前仲町 1-20-3 8F Tel 03-3641-8275
地下鉄大江戸線「門前仲町」6番出口徒歩1分 東西線「門前仲町」3番出口徒歩3分/1Fがモスバーガー

入場料/全席指定・前売一般 3,500円(当日+500円)
学生(小中高)割引 2,500円 (当日+500円)

チケット&詳細は富田さんのHPへ。

http://www.tomida-net.com/natsuda2012.html

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2012/07/04

「渡良瀬遊水地」、北海道「大沼」、兵庫県「円山川下流域・周辺水田」などがラムサール登録

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120704_3(↑: 丸山川  中2点:渡良瀬遊水地(ヨシ焼き)  ↓:渡良瀬遊水地(焼く前))

ラムサール登録 渡良瀬、世界の遊水地に
YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20120703-OYT8T01575.htm

今回ラムサール条約に登録された日本国内の湿地は、大沼(北海道)、渡良瀬遊水地(群馬、栃木、茨城、埼玉県)、立山弥陀ヶ原・大日平(富山県)、中池見湿地(福井県)、東海丘陵湧水湿地群(愛知県)、円山川下流域・周辺水田(兵庫県)、宮島(広島県)、荒尾干潟(熊本県)、与那覇湾(沖縄県)の9ヶ所です。

この中で行ったことがあるのは、「渡良瀬遊水地」、「大沼」、「円山川」の3ヶ所。

とくに栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県にまたがる渡良瀬遊水地は春の「ヨシ焼き」の行事で有名です。

もらったパンフレットによると「ヨシを焼くことにより、害虫を駆除したり、落ち葉等も焼くことによってヨシを育ちやすくしたり、飛散するヤナギの種等を焼くことによって林のようになるのを防いだり、ヨシが成長する前に成長する春植物の発芽を促進する等の効果がある」とのこと。

1000人以上の見物人が集まり、お祭りのようでした。

Ya_2「渡良瀬遊水地のヨシ焼き」(2007/03/17)

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2012/07/02

原発再稼動に反対するデモ 動物の本能を信じたい

120702(写真は美浜原発)

原発が建っている自治体に住む人たちは再稼動に賛成します。それは現実問題として、今まで原発に支えられてきた生活が失われることへの不安はあるでしょう。

そもそも原発なんて、辺鄙なところに建ててしまおうという、電気をよりたくさん使う都会人の思惑があって、仕事もない地元はそれを、お金と引き換えに受け入れたという事情があります。

今まで、原発がどこにあるかも知らないで、さんざん電気を使っておきながら、今度は危険だといって、原発をなくせと叫んでいる。そういう人間を見ると腹も立つでしょう。その感情はわかります。(似たようなことは沖縄の基地問題でも言えるのかもしれません)

だから、それについては申し訳なかったと反省するしかありません。あまりにも知らなさすぎたと。

でもです。だからこそといったほうがいいかもしれませんが、将来の日本、いや世界を考えたときに、その反省を生かさなければならない、とも思います。人間は学習していく生き物であるはずです。

原発再稼動に反対するデモが急激に増えています。組織だったデモではなく、個人的に集まってきた人がほとんどです。たぶん、いてもたってもいられないからという理由ではないかと思います。

なんだかあのデモを見ていると、動物的に見えます。動物が、何かの危険を察知して集まっているような姿です。

「いてもたってもいられない」というのは本能的に何かを感じているからなのでしょう。それは、去年の311の直後、「これで何かが終わった」とか「何かがかわらなければ」と感じたことと同じ動物的な勘です。

311の衝撃を忘れてはならないし、その動物的な勘は大切にしたいと思うのです。

今、原発稼動に賛成している人も、電力が他から得ることができるなら、そっちのほうがいいと思っているはずです。何万年も核のゴミを抱えなければならない原発を使う意味はどこにあるのでしょうか。どうしても原発でなければならないと思っているのは、一部の原発村住民だけでしょう。

ここで変わらないで、いつ変わるんだ?ということです。もし変わらなかったら、「どうして2011年ころ当時の日本人は、これだけの犠牲を出した原発事故の教訓を、生かせなかったんだろう?」と、将来の人間に言われるに違いありません。

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