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2012/07/30

何かがひっかかる 脱原発デモ『国会大包囲』

120730(写真は福井県美浜町の水晶海岸から見た夜の美浜原発)

俺も将来的には「原発に依存しない」のが理想だと思います。まずは、それがベースにあることは最初に断っておきます。けっして原発推進派ではないことを。

そして、脱原発のデモについても、基本的には賛成です。俺は参加しませんが(俺は別な方法でやりたいと思うので)、こういう人たちもいたほうがいいとは思っています。

その上で、でも、やっぱり引っかかるものがあります。

先日も書きましたが、俺は今まで電気がどこで作られているかも意識せず、ばんばん使っておいて、311後は手のひらを返したように「脱原発」を訴える恥ずかしさを感じます。

原発立地の自治体に暮らす人からみたら、さぞこっけいに映っているんだろうなと。

まるで、被害者になったように「脱原発」を叫ぶ人たち(俺も含めてです)。いつから俺は被害者になったんだろう? 今でも俺は加害者ではないのか? 故郷を失ったわけでも、被爆したわけでもありません。

とくに最近は、訴えていることを聞くと、「あれっ?」と思うようになってきて、だんだん共感できなくなりつつあります。「金より命」「たかが電気です」というのも、どうかと思いますよ。

とくにこのデモの主体が50、60以上の、今まで一番原発の恩恵を受けてきた人たちであることが関係しているのかもしれません。若い人の共感度が低いのはそのせいではありませんか。

「私はいいんです、この歳ですから。私の孫のためにやってきました」という老婦人がいました。

そりぁそうでしょうが。さんざん原発の恩恵を受けて、好きなことをやってきて、一番いい時代を生きてきて、年金もたくさんもらって生活の不安もなく、電車賃をかけてデモに参加できる。あとは自分の孫が、原発のない安全な「理想郷」で生きてくれると夢見ながら幸せに死んでいける。

今の若い人たちは、それと比べてどうですか? そして原発を停止しても、放射性物質はずっと残りつづけ、その処理の問題にずっと頭と心を悩まし続けるのも若い世代です。「即停止」すれば「安全」になるようなイメージを持っているとすれば、これもまた別の「安全神話」が生まれるだけです。

まず、反省がほしいですね。なぜ原発が今まで推進されてきたのでしょうか? 政府のせいばかりですか? 電力会社のせいばかりですか? そこをよく自分で考える。そこからしか新しいエネルギー社会の展望は開けないと思います。

加害者の意識を持ちながらやるデモなら、俺も参加するかもしれません。


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コメント

すててこどんどんさん

>脱原発デモも大きくなり過ぎると、なんらかの作用が働くと思います。

たしかに。デモを大きくして政治家を動かそうという目的が、いつのまにか、「反原発」に擦り寄ってきた政党や政治家に、逆に利用されているように見えてきたのも、デモに共感できなくなっている部分です。あいつらのために、くそ暑い中、貴重な時間をさいて叫ぶのは嫌です。

総理に会おうとなんかしないほうがいいのでは? そしてデモの現場で政治家に演説なんかもさせないほうがいいんじゃないかと、個人的には思います。

参加者は「純粋」なのかもしれませんが、それを利用する人たちの「利益」になっているとしたら、どうかなぁとも思うのです。

まぁ、何度も言うようですが、参加するのも参加しないのも、自分の頭で考えたことなら、いいんじゃないでしょうか。

投稿: あおやぎ | 2012/08/08 10:49

青柳さんのおっしゃることは、よく判ります。
そういう見方も正しいと思います。

僕も今は参加していますが、「これは妙なことになってきたな」と違和感を持つようになれば、すぐに止めると思います。

現に、このデモが一般的に大きく取り上げられるようになり、多くの方が参加するようになって、多種多様な人々がうごめき出し、意見も多様で、この先はどこに向かうのか混沌としてきているように思います。

よくある運動のパターンは、一部の過激?な人の行動が作為的に報道されたり、逮捕者や負傷者が出て、嫌悪感や白けが生まれ自然に波が引いていく。
脱原発デモも大きくなり過ぎると、なんらかの作用が働くと思います。

人間の行動はどう流れていくのか、僕もそこに興味があるのかもしれません。

投稿: すててこどんどん | 2012/08/08 02:29

すててこどんどんさん

毎週金曜日はネット中継を見ています。ただネット生中継というのは、しょせん撮影者の目でしかないので、実際に自分の目で見てから意見を言ったほうがいいのかもしれません。実際現場に立つと、モニターで見ていたのと印象が変わるということは、私自身何度も体験していることなので。

そのうち、デモに行ってみます。(あくまでも取材者としてですが)

何度も書いていますが、私も将来的には、原発に頼らないエネルギーが理想だと思っているし、事故がまだ収束していない、活断層の危険性が言われているなかでの再稼動は、時期尚早だと思うし、急に「反原発」に擦り寄る政党や政治家には怒りを感じています。それと同時に、デモの場を借りて、福島を愚弄し、ことさら危険を訴える人たちにも怒りを感じます。もちろん一部だとはわかっていますが。

何が正しいのかなんて正直わかりません。すててこどんどんさんも同じかもしれませんが、何かやらねば、と思って参加しているのだと思います。だからそういう人がデモをやることに反対しているのではありません。デモが無駄だとも思っていません。あたりまえですが「したい」と思った人はしたほうがいいし、「したくない」と思ったらしないほうがいい。ただそれだけです。だから私がデモに対して批判めいたことを言うのは、間違いなのかもしれませんが。

生理的に、参加できないというのが正直なところです。もしかしたら、私の性格なのですが、「集団」に対する拒否反応かもしれません。仮に「脱原発」ではないデモでも、自分が参加する姿は想像できないからです。

投稿: あおやぎ | 2012/08/07 17:34

時々青柳さんのブログを読ませてもらっています。
自分の視点とはまた違うところからの発言が、大変役に立ったり刺激になったりしています。

今回は原発デモに対することでしたので、私も少し参加させて頂きます。

私も何度か原発デモに参加しています。
私がこのデモに参加するのは、政府の方針に異を唱えたいからです。
他にも方法は色々ありますが、署名もパブリックコメントもしていても、どうも力がないように思えてです。

どうしてあれだけの大事故を起こしておきながら、福島をはじめ多くの被災地をほったらかしで、原発を動かそうとするのでしょうか?
電力不足解消の為や国民生活を守る為に動かそうとする、などという嘘ももう通用しません。
どうして事故を起こした責任者とも言える保安院の方々なども誰一人辞めさせられることなく、大飯原発の安全を唱え、またそこから原子力規制委員会メンバーも決めようとされています。

以前は政府からの情報がほとんどで、今のように、政府や電力会社が隠しておきたい情報を知ることが少なかったのですが、今は昔に比べると多くのことを知らされるようになりました。
黙っていれば、また同じ事を繰り返す。
「政府の言いなりになりたくない」、という意思表示で行っています。

デモの参加者は多いので、中には変な人(野田さんの顔写真を破ったり蹴ったり、デモに参加しない人に対して悪口のような発言をする人)もいますが、多くの人は、
「このままではまた同じことをしてしまう。」
「今、反対の声を上げておかなくては」
という想いではないかと思います。
50、60代も多いですし、若い人も多いです。
あの猛暑の中、また夜の議事堂前で、赤ちゃんを連れたお母さんの姿もとっても多くて、ちょっと心配してしまいました。
簡単に来られることではないです。でもそれだけ止むに止まれぬ気持ちがあってのことと、そのお母さんの顔を見れば判ります。

お祭り気分で太鼓を鳴らして歌って踊っている一団もけっこうありますから、それが不謹慎と見られるむきがあるかもしれません。
私もどちらかというと楽しく反対したい方です。
「楽しく反対」というのも変かもしれませんが、しかめっ面や怒った顔でやり続けるのは辛いです。
そういう姿を見たくない福島の方もいらっしゃるでしょうし、またデモに参加している福島からの方々もたくさんいます。

福島のような事故が二度と起こってはならない、その為に何をしたらいいのか、私にも本当はよく判らないのです。
でも原発は事故を起こさなくても永遠に、人間が手をつけられない放射能廃棄物を出し続ける、そのことを今知ってしまったのですから、
福島の事故前にも知っていたのに、止められなかった。事故後では遅いのですが、せめて何かしなくては、という気持ちです。

被災地の方々とこの原発デモに参加している人々との気持ちは、大きく隔たりがあるものかもしれません。
また、青柳さんのような視点を持った人に、この原発デモの実態を自分の目で見て欲しいと思います。

投稿: すててこどんどん | 2012/08/07 09:08

高坂さん

原発立地の人たちの怒りはその通りだと思います。私がこのデモに引っかかっているところも、この点にあります。

デモの様子を見ていても、自分たちが加害者(希望の牧場・ふくしま代表の吉沢氏は受益者と呼んでいたと思いますが)である意識が感じられません。原発立地の人たちに対する配慮も感じられません。

中には、瓦礫の広域処理反対や、福島県産農産物を危ないなどと、感情を逆なでするようなことを平気で叫んでいる参加者もいて、私はそういう人と同じ場に立って「原発反対」などと叫ぶ自分の姿を想像できないし、想像したくもありません。

ある人は、今が正念場なんだから、小さいことは目をつぶって、大きな目標(脱原発)に向かいましょう、といいますが、「小さい」こととは私には思えないので、やっぱり今のところ参加はできません。将来、デモの雰囲気が変わってきたら参加するかもしれません。デモしたい人はやればいいと思います。それはその人の自由です。

高坂さんは腹立たしく感じるかもしれませんが、デモには参加しませんが、でも私も、将来は「脱原発」の方向で進んだほうがいいと思っています。これ以上人間の手に負えない危険物を増やして、日本国中(外国へ、なんてもってのほか)で、たらい回しにすることの不幸。今までの原発立地の人たちへの

>加害者として被害者に対してけじめをつける

ことはした上で。(どいうことをすればいいのか、もし具体的な意見がありましたら、聞かせていただきたいと思うのですが)

受益者である私も同罪なので、私はこれから、自分のやれることで、「反省」を表していくしかないと思っています。私は田舎の風景や文化を撮影していて、この原発の問題以外も、田舎に対する都会人の傲慢さを感じることがあります。なので「田舎の大切さ」を訴えることで、間接的に都会人がどれだけ田舎に依存しているか、ということの気づきのきっかけになればとは思います。これくらいしか、今のところ考えられません。

投稿: あおやぎ | 2012/08/04 12:12

東京電力の原発から約20kmのところに住んでいます。
原発立地交付金とかの恩恵を受けたことは一切ありません。

なぜ、東京電力の原発が、福島や新潟にあるのでしょうか。
原発国民投票のサイトでも「今までは立地地域の人間が勝手にエネルギー政策を決めてきた」と書いてありましたが、泥を被らせ、リスクを強い、それでいながら今度は原発災害の犯人のような書き方をする。
この傲慢さは何なんでしょうか。

もう一度言います。
なぜ、東京電力の原発が、福島や新潟にあるのでしょうか。
金に目がくらんだから?
では、なぜ金と引き換えになるような状況ができたのでしょうか、東京電力管内でもない、遠く離れた地で。

首都圏はある意味、脱原発してるんですよ、ずっと。
なぜなら、東京電力管内の地域には商用原子力発電所はありませんから。
その彼らが「放射性物質は恐ろしい」とか言ってデモやってるんですから、悪い冗談ですよ。
何言ってんのさ、お前らずっと自分で使うための電気の放射性物質を俺たちに押し付けてきたじゃないか、って。

「原発に反対するのに理屈はいらない」って、いい加減にして欲しいですね。
そんなのは、加害者である人間の責任逃れでしかありませんよ。
と言うか、理屈無しに危ないような代物を福島と新潟に押し付けておきながら、その大罪の総括もしないままに被害者ぶってデモとか、本当に何様のつもりだよ、お前ら、としか思えません。

自分の保身にばかり走るロートルの醜い言い訳など必要ありません。
「お前らは被害者ではない、加害者として被害者に対してけじめをつけろ」
それに尽きます。

投稿: 高坂 | 2012/08/03 19:03

オークさん

最終目標は「原発に頼らないエネルギー社会」なので、その手段として、新しいエネルギーを開発したり、デモをやったり、ネットで発信したり、選挙で適当な候補者を選んだり、節電をしたり、ということではないでしょうか。あくまでもこれらは手段の一部です。

だから目標は正しくても手段が間違っている場合もあるので、その場合は手段をいい方向へ修正していけばいいのだと思います。

「反対」と言わないと賛成してるのと同じだわ、という意見は、たしかにそうなのかもしれませんが、全員が簡単にそうできる人ばかりじゃないということも考慮していただけるとありがたいです。声を上げていなくても、節電をいっしょうけんめいにやっている人も「脱原発」に貢献しているわけです。だからあえて言わせていただければ、デモのように派手に自分の意見を主張しない人もいるんだということです。そういう雰囲気がデモに見えれば、デモに共感する人はもっと増えると思います。それとしつこいようですが、反省がなければ(とくに福島県人に対して)ダメだと思います。

安全で、安価で、持続可能なエネルギーが手に入るようになれば、たとえ「原発推進派」と言われる人たちも、原発である必要はないと思うでしょう。(現にシェールガスを使い始めたアメリカはそうなりつつあります) 核技術は、幼児が車を運転するようなもので、しょせん人間には取り扱えないものだったんだと反省し、別の方法を考えていくということが、人間の知恵でもあるように思います。ただ、完全に核のゴミを処理するためには、必要最低限の技術や研究は必要ですね。

投稿: あおやぎ | 2012/08/02 09:51

そうですね。「デモに共感できない人が増えないような」運動、ゆる~やかな連帯の運動が大切でしょうね。民主主義下で力を持つ人たちに対抗するには「数」も大事です。何らかの形で声を上げることが必要でしょう。勿論最終的には選挙ということになりますが。
六ヶ所村の農家のお婆ちゃんが『はっきりと「反対」と言わないと賛成してるのと同じだわ』、と述懐してるのが心に刺さりました。私の生きてる間に日本が舵をきれるかどうか分りませんが、もう二度と美しい里山を失うような惨劇を繰り返してはいけないと思っています。老人の域に入った私たち二人(女房は山形出身です)ですが何らかの形でデモを企画する若い人たちをバックアップして行きたいと思います。

投稿: オーク | 2012/08/01 22:49

オークさん

コメント、ありがとうございます。

私もオークさんの考えと近いと思います。老婦人に対しての書き方が多少過激だったかもしれませんし、それで感情を害された方がいましたら、申し訳ありません。

ただ、私は、「私の役目」ということを意識しています。私は「脱原発」に限らず、何かグループでまとまろうとしたときに、「主流」にはならず、窓際で疑問を投げかける役目だと自覚してきました。

だから私ももちろん最終的な理想は「脱原発」だし、参加者が自分の考えで行動できるようになった現状をすばらしいとも思っています。今まで情報を独占してきた人たちの「嘘」を見抜けるようになったのも、このネットという力は大きいでしょう。

それとは別に、デモに参加しない、デモに参加できない、デモを批判している「脱原発派」もいるということに理解もほしいとも思っています。デモの参加者だけが「脱原発派」ではないことを。

できれば何も悩まずにデモに参加したがっている人はたくさんいるはずです。ただ、「どうすればいいんだろう?」「何が正しいんだろう?」と悩んでいる人に私は共感してしまうのです。優柔不断ですね。私もそうなんです。ただ、悩む、考えることも良いのではないかとも、私は思っています。こういった大きな問題のときは。

どうして悩んでいるのでしょうか? それは自分への反省であったり、被災者への後ろめたさだったり、電力がなくなって危険に陥る人のことや、温暖化問題はどうするんだ、など、いろいろでしょうが。

だから何度も言うようですが、デモに参加して「脱原発」を叫ぶ人もいていいわけです。大きな「脱原発」を勝ち取るための、それぞれの役目だと思っています。そしてオークさんもおっしゃっているように、いろんな思いで参加する人がいてもいいわけです。私もそれについてはまったく同感です。ただ私自身は参加しないというだけです。

とくに「脱原発派」の内部に「批判者」を持つことは重要だと考えています。せっかく個人個人のばらばらな意思で参加したのが、いつのまにか「デモに参加」という一体感といったらいいか、高揚感を感じて、グループに埋没してしまったら、この運動は、個人個人の意思とは関係ない方向へ流れていってしまうような気がするからです。

デモに共感できない人が増えないような、デモのありかたを期待します。

投稿: あおやぎ | 2012/08/01 11:10

こんばんは。棚田の写真からWEBサイトそしてBLOGへと辿り着いて写真と記事を楽しませていただいてます。ありがとうございます。
今回の青柳さんのご意見は多くの方が持つ疑問かも知れません。多くの方が原発には不安を持っているにも係わらず脱原発の署名を集めると高々1000万人程度に留まっていることがその証明のような気がします。
しかし私は今回のデモに参加している方が青柳さんがおっしゃるような方々だからこそ希望が出て来たと思っています。今まで偉い人達がうまくやってくれるだろうと自分では動かなかった人たちが自分の意志で声を上げるようになったのは日本の与えられた民主主義体制下では大きな変化のような気がします。当然自分の意志で動き出したということは自分勝手な都合も含まれることになります。今までの理論的な整合性を持った小さなプロの運動から、自分の意志(都合)からの大衆的な運動へと変わってきたように思うのですが。それだけ311は衝撃的であった、そして偉い人たちが必ずしも自分たちの味方ではないことを教えてくれたように思います。
私は311以前より原発には反対でした。それでも311では自分の生き方に強烈なショックを受けて未だに引き摺っています。今まで電気はバンバン使ってきました。夏にはクーラー、冬には暖房、そしてパソコンなどの電子機器。でも都会の生活には必要だし他に無いから。だからと言って原発はイヤです。原発がイヤなら電気を使うなと言う人がいますが、それはちょっと違う気がします。
私も年金生活の高齢者です。高齢者が1時間以上も掛けて東京のど真ん中に出かけるのは苦痛です。他のことなら行かないでしょう。孫のためというのは罪滅ぼしではないでしょうか。それからデモの参加者には若い人たちも多いですよ。それは首都圏でもチェルノブイリの基準からすると避難した方がいい地域(特に幼児には)に入ったりギリギリの線に居るからです。
使用済み核燃料がどんどん溜まってます。処理の方法が未だに見つかっていないから。多分後何十年も、下手すると永久に見つからないでしょう。今回の事故とは比べ物にならないような量でこれからも増え続ける核廃棄物をどうするんでしょう。
原発に旧から反対の人、自分の生き方に疑問と反省を持って参加する人、幼い子供の健康を心配して参加する若い夫婦、俄かに選挙のために参加する国会議員、様々です。それでいいんじゃないでしょうか。原発に反対するのに理屈はいらないように思います。小異を残して大同につく。民主主義の下では目的を遂げるためには大事なことですがこれがなかなか難しいことです。
それから世代間格差に触れてますが、グローバリズムの進展に合わせて拡大した格差は必ずしも若者が無関係とは思いません。労働争議に明け暮れた中で上がった労働条件、その後の物言わぬ若者の育成と労働条件低下、そしてグローバリズムの進展は世代を越えた課題ではないでしょうか。ここにも原発に似た根があるように私は思っています。
青柳さんの発信内容には興味をもっています。そして美しい農村風景やアジアの情景、楽しみにしております。

投稿: オーク | 2012/08/01 00:25

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