原発再稼動に反対するデモ 動物の本能を信じたい
原発が建っている自治体に住む人たちは再稼動に賛成します。それは現実問題として、今まで原発に支えられてきた生活が失われることへの不安はあるでしょう。
そもそも原発なんて、辺鄙なところに建ててしまおうという、電気をよりたくさん使う都会人の思惑があって、仕事もない地元はそれを、お金と引き換えに受け入れたという事情があります。
今まで、原発がどこにあるかも知らないで、さんざん電気を使っておきながら、今度は危険だといって、原発をなくせと叫んでいる。そういう人間を見ると腹も立つでしょう。その感情はわかります。(似たようなことは沖縄の基地問題でも言えるのかもしれません)
だから、それについては申し訳なかったと反省するしかありません。あまりにも知らなさすぎたと。
でもです。だからこそといったほうがいいかもしれませんが、将来の日本、いや世界を考えたときに、その反省を生かさなければならない、とも思います。人間は学習していく生き物であるはずです。
原発再稼動に反対するデモが急激に増えています。組織だったデモではなく、個人的に集まってきた人がほとんどです。たぶん、いてもたってもいられないからという理由ではないかと思います。
なんだかあのデモを見ていると、動物的に見えます。動物が、何かの危険を察知して集まっているような姿です。
「いてもたってもいられない」というのは本能的に何かを感じているからなのでしょう。それは、去年の311の直後、「これで何かが終わった」とか「何かがかわらなければ」と感じたことと同じ動物的な勘です。
311の衝撃を忘れてはならないし、その動物的な勘は大切にしたいと思うのです。
今、原発稼動に賛成している人も、電力が他から得ることができるなら、そっちのほうがいいと思っているはずです。何万年も核のゴミを抱えなければならない原発を使う意味はどこにあるのでしょうか。どうしても原発でなければならないと思っているのは、一部の原発村住民だけでしょう。
ここで変わらないで、いつ変わるんだ?ということです。もし変わらなかったら、「どうして2011年ころ当時の日本人は、これだけの犠牲を出した原発事故の教訓を、生かせなかったんだろう?」と、将来の人間に言われるに違いありません。
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コメント
すててこどんどんさん
昨日金曜日のデモの様子をネット中継で見ていたら、いてもたってもいられない、とか、言葉にはできないけど、やってきた人のインタビューがありました。
自分でも理由がわからず、それでもやって来ざるをえないというのは、もう理屈ではなく、本能の行動そのものだと、あらためて思いました。
それだけ強い思いなんでしょうね。
ただ、それと同時に、ある青年が、怒りに任せて「即停止」を叫ぶことにも違和感を持つという言葉は印象的で、俺もそうだなと、思いました。疑いもなく「即停止」を叫ぶことができるのは、ある意味、うらやましくもあるし、もしかしたら、「別な安全神話」(即停止すれば安全になる)が生まれるのではないかと、心配でもあります。
投稿: あおやぎ | 2012/07/14 18:24
確かに。
動物本能だと言われて、そうか!
と思いました。
投稿: すててこどんどん | 2012/07/14 06:56