オリンピック男子柔道に金メダルがなかったというニュース
柔道は4年ごとのオリンピックで観戦するくらいで、柔道に関しては何も知らないのですが、さかんに「男子柔道に金メダルがなかった」ということが大きく取り上げられていて、素人ながらも、これは大事件なのか?と。
他の競技の選手たちの明るい表情とコメントに比べて、柔道選手たちの、なんと悲壮感いっぱいの表情と暗いコメントか。日本柔道を背負わされて出場した選手たちの重圧がひしひしと伝わるだけです。試合前から出場選手は、すでに一本を取られているような感じです。見ていても辛くなってきます。
なぜ、問題になっているかというと、柔道は日本が発祥の地である、だから一番強いのがあたりまえ、一番強くあらねばならない、というプライドといったらいいか、使命感みたいなものがあるからなのでしょう。
これは日本人力士が横綱になれないことを嘆く感覚と通じるものがあります。
「一本」にこだわる日本の「柔道」とポイントを取りにいく「JUDO」の違いのようなことも言われています。
もし、オリンピックで「一本」にこだわる「日本的美意識にかなった柔道」を求めるのであれば、ルールを決めるときにそれを反映させなければならないでしょう。ルールが決まった以上、そのルール内で勝つことは何の問題もないからです。
よく言われるのが、世界に対しての「主張」や「交渉」がヘタな日本人だそうです。試合以前に、オリンピックのルールを決める議論で負けているという現状があるらしい。
そんなに「日本的美意識にかなった柔道」が「良い」というなら、英語が堪能で、押しが強く、頭がいい人間を、世界柔道連盟(?)に送り込み、理事長かなにかにしてしまうしかないかもしれません。
ただ、あるスポーツ記者が言っていましたが、「日本人が弱くなった」というより「世界が強くなった」ということで、柔道のレベルの底上げが行われている現状は悪いことではない、といった内容の発言に、なるほどなぁと思いました。「日本人」のためではなく「柔道」のためにはいいことなのかもしれません。
スポーツに限りませんが、世界に出たら、お人よしだけではない、むしろずるい人がたくさんいるんだという、性悪説を持って臨むことも、これからは必要になってくるかもしれません。
俺も外国へ出たときは自己嫌悪に陥るくらいに人を疑ってしまうわけですが、でも、「わるいやつがいる」ということを常に思いながらも、やっぱり信用できる人間もいるわけで、その見極めは、「わるいやつがいる」と思っているからこそ、はっきり見えるということもあるのです。
みんな和気あいあい、みんな正直で、みんな助けあって、みたいな、日本人には麗しい面もありますが、それは裏を返せば、島国だけで通じる常識であって、世界の常識とは違っています。柔道が世界のJUDOになるのを拒否しないのなら、形が変わっていくのも、ある意味しかたないことだと思います。
でも、あくまでも「日本的美意識にかなった柔道」にこだわって、「柔道」を「JUDO」と切り離し、日本柔道がガラパゴス島の絶滅危惧種のようになって生きるのも悪くないかもしれませんが。
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