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2012/09/30

今日、2012年9月30日、中秋の名月 (旧暦八月十五日)は中国でも名月

120929(写真は2011年12月10日の皆既月食)

「中秋の名月」は、旧暦の季節「秋」である七・八・九月の真ん中、旧暦八月十五夜の月のことです。

2012年は新暦9月30日12時19分が満月なので、今年も中秋の名月は満月になるそうです。年によっては必ずしも満月になるとは限りません。

ただし関東地方は台風が来るとのことで、天気はよくない予報。今夜、月見をすることは難しいかもしれません。

中国でも今日は「中秋節」で、同じ月を見上げる中国人も多いのではないでしょうか。月見の慣習は、太陰太陽暦とともに中国から学んだもの。

日中ともお互い、縄張り争いにやっきになっている最中ですが、月から地球を眺めたとき、尖閣諸島は小さくてわからないくらいでしょう。ただ、足の裏に刺さったトゲと同じで、小さくても、無視できないのが領土問題らしいです。俺だって、今の中国の主張を聞いていると首を傾げたくなることも多い。俺にも縄張り意識はあります。

「宇宙」や「月」さえも、人間の縄張り争いは際限ないですが、一説には犬 or オオカミから学んだという縄張り意識。いつまでも縄張り争いしている場合なのかな?と、一方では思います。

少なくとも、愛国心とは縄張り争いすることじゃないとは思います。
 
 
 
 
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2012/09/28

映画 『天地明察』 ----- 改暦がどれほど大切だったかがわかる映画

120928(新潟県十日町市星峠の棚田と星の軌跡)

映画 『天地明察』を観てきました。【ネタバレ注意】

公式サイトはこちら
http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html

偶然にも今、旧暦カレンダーを作っているので、これはぜひ観ておかねばと思ったからです。

原作の冲方丁著『天地明察』はまだ読んでいないので、そのうちぜひ読んでみたい。映画は原作とは違ったところもあるだろうし。

映画は面白かったですよ。とくに全国を周る「北極出地(北極星の高度を測って、その土地の位置を知る)」の旅と、命がけの改暦の仕事。

幕府の碁方(碁の先生役)であった主人公の安井算哲が命を受けて、「北極出地」の日本全国を旅するようになります。これが算哲が改暦の責任者に抜擢されるきっかけだったのですが、こんな旅がしてみたいと俺も思います。全国の棚田を周ることも、何か通じるものを感じてジーンとしてしまいました。(伊能忠敬の旅にもあこがれます)

算哲は天文学に興味を持ち、数学も得意で、碁方という役職がら、京都と江戸を行き来して、著名な学者たちとも交流がありました。こんな算哲が改暦の大事業を行うことは、天命だったのでしょう。

当時は「宣明暦」「大統暦」「授時暦」などがありましたが、そのなかで算哲は中国の元王朝が採用した「授時暦」が一番正確だと思いながら研究を続けました。でも、これもわずかにずれていて、日食を外してしまい、挫折します。そこから何とか立ち直って、ふたたび日本独自の暦作りに挑みます。

そしてとうとう、日本と中国の緯度を考慮することで、もっと正確な「大和暦」を完成させます。

最初は採用されませんでしたが、世間の評判を取り、ついには採用されたのでした。それは「貞享暦」と命名されました。

算哲は幕府の天文方に任命され、それからは渋川春海と呼ばれるようになりました。

映画の中で、算哲の「暦は、天と人との約束。人と人との約束」というセリフがあったように思います。その通りなのです。暦が正確であることは、人心の安定につながり、社会の安定につながっているのでした。安定の根拠となるのが、天の動きであり、その動きを正確に把握して暦を作る人間のみが、一般人に安定を約束できる。だから暦を作ることは幕府にとっての大事業だったのです。

もちろん今でも(日本では西洋暦/グレゴリオ暦ですが)、暦(カレンダー)は大切です。暦は人の生活を支配しています。暦によってライフスタイルは大きく変わるのは、昔も今も同じです。

日ごろ俺たちは何気なく暦を使っていますが、これが突然無くなったら、あるいは、違ったものになったらと想像してみてください。大混乱です。暦は空気と同じように普段は意識されませんが、とても大切な決まりごとなのです。

ところで、またマニアックな話題をひとつ。

「北極出地」のシーンで、富士山が見える小田原が出てくるのですが、北極星の計測器を設置した石垣の城は、たぶん、ロケ地が兵庫県朝来市の「竹田城」ではないでしょうか。「天空の城」と呼ばれている城跡です。もちろんここから富士山は見えないので、合成ですが。
 
 
Ya_2「旧暦 棚田ごよみ」注文フォーム(NPO棚田ネットワーク)
 
 
 
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2012/09/26

自民党総裁に安倍晋三氏。棚田関係者(要するに俺)だけが注目していた総裁選の裏の「争点」

120926

冗談で「総裁選で、もし安倍さんが勝ったら。記者会見で後ろに飾る絵、山口県長門市の棚田の絵が復活するかもしれない。」などとと、ツイッターでつぶやいたら、まもなくして、実際に安倍さんが108票の過半数獲得して勝利しました。

これで、もしかしたら、安倍さんは再び日本の総理大臣に返り咲くかもしれません。

とすると、安倍さんが当時総理大臣だったころ、記者会見の背景には、いつも棚田の絵が飾ってあったので、またこの絵が復活するのではないかと考えられるわけです。

当時は、その棚田の絵が気になって、首相官邸や山口県の安倍さんの事務所にまで直接電話して確かめたのでしたが、その詳しいことは、昔の記事でどうぞ。

Ya_2「安倍総理会見の後ろの絵」(2006/11/19)

この支援者が描いている絵の場所は、棚田百選の場所「東後畑」とは離れていますが、安倍家のお墓がある高台から見た油谷湾だそうです。実在する棚田の風景でした。

つまりこういうことです。安倍総理の会見は、先祖が眠るお墓の前でしゃべっているような格好になっていたわけです。

またこういうシーンが見られる日が来るんでしょうか。

当時、(この話、つづく、かもしれない・・・)と最後に書いたのでしたが、まさか本当になるとは・・・。

ちなみに「山口新聞」の記事にこんなのがありました。

「安倍首相会見場に油谷の絵 下関の支援者が贈呈」(2007年1月1日(月)掲載)

これで事情がはっきりわかりました。
 
 
 
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2012/09/24

平成25年 (2013年)用の旧暦 「棚田ごよみ」 を現在作成中

120924(新潟県十日町市 星峠の棚田に映る三日月)

現在、NPO 棚田ネットワークでは、青柳撮影の棚田写真を使った、来年2013年用の旧暦 「棚田ごよみ」(仮タイトル)を作成中です。

よくありますが、旧暦も小さく書いてある新暦(西洋暦/グレゴリオ暦)のカレンダーではありません。これはまったくの旧暦カレンダーなのです。(逆に、小さく新暦の日付も書いてありますが)

旧暦は明治5年まで日本で使われていた太陰太陽暦で、月の満ち欠けを1ヶ月のサイクルとしているので、「棚田ごよみ」にも月の満ち欠けの絵が入っています。旧暦は新暦と比べると、より「月」を意識にした暦といってもいいでしょう。(月を観るには便利です)

月の周期は女性の生理の周期とほぼ一致していることから、世界中いろんな言語でも、「月」と「女性の生理」の名前が同じという話もあります。

中国では「農暦」と呼んでいますが、今でもちゃんと使われています。「中国正月・春節」はもちろん「農暦」の新年です。

日本でも「中秋の名月」は、旧暦の季節「秋」である七・八・九月の真ん中、八月十五夜の月のことです。(年によっては満月ではないときもあります) 沖縄では旧暦でお祭りや行事を行っています。

東アジアでは今でも旧暦を使っていて、使わなくなったのは日本だけで、そういう意味でも変わっている国なのです。

旧暦の1ヶ月を1枚とする暦なので、来年旧暦一月(睦月)一日は、新暦2月10日からはじまります。年によっては閏月があるので、13枚の暦になります。ちょっと頭が混乱しそうです。新暦に慣れている頭には多少の発想の転換が必要です。

たとえば、南北を逆さまにした地図や、景色が上下逆に見える「逆さメガネ」の例もありますが、最初は戸惑っても、慣れればどうってことないことに気がつきます。この「棚田ごよみ」もそうだと思います。新暦で1年365日を普通に使っているのは、「自然」だからではありません。人間が決めた「決まりごと」でしかないのです。

昔は、権力者が独占していたくらい、暦を作ることは大切な仕事でした。暦を作ることは時間を支配することでした。現代は、そんなに大げさではないかもしれませんが、より自然(月)を意識し、日々の暮らしを考えなおすきっかけにはなるかもしれません。

スタッフ一同「日本一使いづらいけど、面白くておしゃれな暦」を目指しています。

個人的には、農業と深い関わりのあった旧暦のこよみを棚田ネットワークから出すことになってうれしく思います。職業柄、月の写真を撮ることが多い俺としては、月の満ち欠けを元にした暦は実際に使えるし。

一般的な新暦のカレンダーは巷にあふれているので、それはそっちで買ってもらうとして、「棚田ごよみ」は、セカンド・カレンダーとして考えていただけるとありがたいです。誰かにプレゼントするのもいいと思いますよ。
 
 
Ya_2「旧暦 棚田ごよみ」注文フォーム(NPO棚田ネットワーク)
 
Ya_2「旧暦 棚田ごよみ」プロモーションビデオ(YouTube)
 
 
 
 
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2012/09/22

俺たちは危うい時代に生きている (1000隻の漁船が尖閣を攻めてくるというイメージ)

120922(この写真は尖閣とは関係ありません)

今回の尖閣に対する反日デモは、一応収束に向かっているようです。

毛沢東の肖像画まで出てきて、「反日」が「反政府」の様相を帯びてきて、中国政府にとっても、これ以上のデモ拡大は危険だと思い始めたようです。だから、中国監視船が日本の接続水域にいるのは、日本に圧力をかけるためという表向きの理由のほかに、日本の領海を侵犯しないように中国漁船を監視しているという意味合いもあるらしい。

今回のことで、もしかしたら戦争に・・・などと思った人は多いのではないでしょうか。まぁ、戦争は遠い世界の話で、日本には関係ないと、たかをくくっていた平和ボケ日本人にとって、シリアでの内戦やイラクでの爆破テロも、もっと身近に感じられるようになるかもしれません。

「戦争は起こりえる」と思っていたほうが、「戦争は起こしにくい」と俺は思います。

一番緊張が高まった日、1000隻の漁船が尖閣を目指す、という報道があり、実際何隻もの漁船の船出シーンが流れました。専門家たちでさえ、1000隻が攻めてきたらどうするんだ、みたいなことを言いだし、あの映像を見ると、まるでほんとうに大量の漁船が日本に襲ってくるようなイメージが作られました。

ところが、あのシーンは、東シナ海の禁漁期間終了を受けて、いっせいに船出する漁船団で、毎年のことらしいのです。

「尖閣諸島がある沖縄県石垣市。八重山漁協の上原亀一組合長(50)は中国の浙江省と福建省から出航する漁船群の映像に対し、「中国漁船が攻めて来るかのようなイメージを流すのは、日中ともにやめてもらいたい」と苦々しげに語った。」 (2012/9/18 朝日新聞東京判夕刊 11頁)

同じ映像でも、「1000隻の漁船が尖閣に攻めてくる」という説明か、「1000隻の漁船が待ちに待った漁が解禁されて意気揚々と船出した」という説明では、受け取るイメージは180度違ったものになります。ただし、中国政府も、この1000隻を利用して、日本に圧力をかけているという面は否定できませんが。

そういえば、関東大震災の時、事実無根の噂を信じた人たちが、次々に無辜の朝鮮人を虐殺した事件がありました。あれも、背景には日ごろ日本人たちが朝鮮人から恨まれていると思っていたことがあります。その思い込みが「朝鮮人が襲ってくる」というデマを生み出しました。この1000隻の船出シーンにも、それと通じる怖さを感じます。

連日の反日でデモを見続けてきた日本人には、「中国人は野蛮で危険な人たちだ」というイメージが植えつけられた時に、この船出シーンを見せられると、どうしても、「襲ってくる」という意味に受け取とりやすい状況にはなりました。そんな精神状態になっていたときに、もし中国人が本当に尖閣に上陸したら、どうなったことでしょう。

戦争は意外とちょっとしたことで起きてしまうのではないでしょうか。もともとの原因は、中国が尖閣を日本の領土として認めないことですが、実際に戦争になるきっかけは、そういう大きな理由とは違っているのかもしれません。日ごろからの中国人の反日感情と、日本人の中国人嫌いの感情が、背景にあります。

どういうことで戦争が起こるのか、身近なところでシュミレーションしておくことが、戦争を起こさないことでもあるように感じました。

まずは「相互不信」をどうやってなくしていくか。何度も中国へ行っているし、中国人の知人友人もいますが、それでも難しい問題だと俺も自覚しています。

ましてや、中国人と接したことも無く、ただイメージだけの「中国人」を相手に強気発言をしている一部の人たちは気をつけないといけません。

こういう人たちは「愛国」を名乗ってはいますが、実のところ日本の社会を嫌っている人たちであるかもしれません。自分の不満を、外国人に向ける。けっきょく、反日デモの暴徒と何も変わらない。変わらないどころか、両者は一番の「お友だち」になれると思いますよ。
  
  
  
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2012/09/20

栃木県那珂川町の水田と 馬頭温泉郷 ゆりがねの湯

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那珂川に沿った水田がありました。朝もやに煙る水田は半分ほどが稲刈りが終わっていました。

馬頭温泉郷 那珂川町営温泉浴場 ゆりがねの湯というところが良かったので紹介します。道の駅ばとうの数キロ北、那珂川に沿ったところにあります。

大人500円、小中学生・70才以上 300円 

利用可能時間 10:00~21:00 定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)

気に入ったのは、内湯のほか、10人ほど入れる岩風呂ふう露天風呂があるのですが、塀やすだれなど、まったく遮るものがありません。だから那珂川の風景をぞんぶんに楽しめます。とくに夕陽を眺めながらの入浴は最高ですね。

おじさんがひとり、腰に手を当てて夕陽に向かって仁王立ちになってました。俺もおじさんがいなくなってから同じように仁王立ち。真っ裸で気持ちがいいです。(風紀上、問題がありますので、その写真は掲載いたしません) 風呂場でなければできないことですね。
 
 

 

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2012/09/18

栃木県茂木町の棚田

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栃木県茂木町には、「棚田百選」の「石畑の棚田」をはじめとして、「残したいとちぎの棚田21」に選ばれている棚田がたくさんあります。

写真は、上から「大峰山の棚田」「石畑の棚田」「猫田の棚田」です。それと「残したいとちぎの棚田21」には入っていませんが、棚田オーナーによる「かぶとの棚田」というものがあります。
 
 
 
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2012/09/17

栃木県那須烏山市の棚田

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「棚田百選」にも選ばれている那須烏山市の「国見の棚田」。

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2012/09/16

中国の「反日デモ」で思い出したミャオ族の祭り「四月八」

120917

最近の「反日デモ」のニュースを聞いてあるお祭りを思い出しました。

それは天安門事件の直前だったと思います。貴州省の省都、貴陽で見たミャオ族の祭り「四月八」です。「四月八」というくらいなので4月8日の祭りですが、これは「西暦」ではなくて「農暦」なので、だいたい5月中旬だったのではないでしょうか。

当時の写真はどこかにあるはずですが、探すのが面倒(ポジフィルムだし)なので、イメージとしてミャオ族の別の祭り「芦笙会」の写真を掲載しました。

そこでこの「四月八」なのですが、今はどうか知りませんが、1989年は貴陽の街中で大々的に行われました。

俺は事前にこの祭りがあることは知っていたので、1~2日前から、お祭りが行われる大きな交差点広場に面したホテルに泊まっていました。そこからは広場が全部見渡せるからです。

当時の中国の祭りは、「その日ある」とわかっていても、いつからなのか、情報はなく、だんだんと人が集まってきて、自然に始まるみたいな感じだったので、人が集まり始めている様子を午前中からずっとホテルのベランダで見ていました。

午後2時くらいでしょうか。だいぶ人が集まってきて、いよいよ始まるかなと思ったとき、民族衣装のミャオ族の女の子2、3人、広場の真ん中を突っ切るように歩いていったのです。

そのときでした。その女の子たちに誘われるように何人かの青年たちが動いたことで、別の見物人たちも「何か始まったようだ」という感じで、青年たちのほうへ動いたのです。それをきっかけにして群集全体が女の子たちをめがけて移動を始め、ざわつきだしました。そしてあっという間に、女の子たちに広場全部の群集が押しよせました。

群集が混乱して、彼女たちがいる場所に殺到します。彼女たちは群集が迫ってきて、恐怖だったでしょう。

でも、一番外側にいる人たちは、何をやっているかはまったくわからないのです。たまたま俺は上から見ていたのでその様子がわかったのですが、真ん中に女の子たちがいることも見えないし、知りません。ただ、人が動くから、自分も動く。それだけです。

このときは下に居なくてよかったと正直思いました。身の危険さえ感じる混乱になったのでした。もちろん当時は外国人も少なく、俺が仮に下にいても、だれも日本人だとは気がつくことはなかったでしょう。だから「日本人だから」怖かったわけではありません。あの群集の盲目的な動きなのです。

群衆が何かを期待(あるいは警戒)しているとき(この場合は祭りがいつ始まるんだろうという期待)、何かがきっかけで「それが起こった」と思ってしまう。間違いであっても、いったん火が着いた群集心理を修正することはほぼ不可能。そこには「正しいかどうか」とか冷静に判断する回路はもうありません。とにかく、隣の人間がやっているから自分もやる。その連鎖が広がってとんでもないことになってしまう。

この群集の恐ろしさを間近に見たので、祭りの内容そのものはほとんど記憶がありません。
 
 
祭りが終わってすぐ帰国しました。そしたら1ヶ月たたないうちに天安門事件がおきました。ニュース映像を見て、「四月八」の祭りを思い出しました。たぶん、群集の端っこにいる人たちは何が起こっているかわからない。だけど参加している。そしてあれよあれよという間に撃たれて死んだ参加者もいたのではないでしょうか。結局、何をやっていたか、何が起こったかわからないままに、です。たぶんそんな感じなんだろうなと。

そして今中国に吹き荒れている「反日デモ」。

どこまで「反日」なのかはわかりませんが、あの暴徒化した群集を見ていると怖くなります。理屈はどうでもいい。「反日」なんてどうでもいい。目的さえないかもしれない。車を倒し、商店から略奪し、日の丸に火をつける。群集の中で行われる行為には一種麻薬のような恍惚感があるのかもしれません。

これは何も中国人だけの話ではありません。群集心理の怖さを言いたいだけです。日本人にも起こりえます。きっかけはなんでもいい。集団としてまとまる事は諸刃の剣です。つくづくそう感じています。
 
 
 
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栃木県那須町の棚田

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栃木県那須町の棚田は2ヶ所、「石倉の棚田」(写真上)と「大ケ谷の棚田」(写真下)。

毎日同じような天気なので、同じような写真になってしまいます。ここで一雨ほしいところです。
 
 
 
 
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2012/09/15

栃木県大田原市の棚田

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栃木県では、平成14年3月に「残したいとちぎの棚田21」というのを認定しました。その棚田には看板が立っています。

数年前のことなので、今は、当時と比べると耕作放棄地も増えているそうです。農家の人たちの高齢化はますます進んでいます。
 
栃木県大田原市の、旧黒羽町の山際には認定された棚田がありました。「尻高田の棚田」と「大久保の棚田」です。

「大久保の棚田」(一番下の写真)はかなり山の中なのですが、棚田の先(上)には目立つ鉄塔が立っていて、面白い光景でした。
 

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2012/09/14

栃木県那珂川町の棚田

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茨城県と栃木県にまたがった地域に棚田は多いですが、栃木県那珂川町の棚田は2ヶ所周りました。

 
 
 
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2012/09/13

茨城県常陸大宮市の棚田

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茨城県常陸大宮市も棚田が多いところです。

市内の何ヶ所か周ってみました。山方町の棚田にいったとき、農家の奥さんと話をしました。

蕎麦の花が満開でした。稲刈りはあと1週間ほどあとだそうです。

この棚田には、数年前までたくさんのカメラマンが来ていたそうです。「どうして今は来なくなったんですか?」と聞いたら、「みなさん、飽きたんではないでしょうか」という。

奥さんはがんばってやっていますが、だいぶ耕作放棄が進んで、ところどころ緑色の荒地が目立ちます。(下の写真) 奥さんが言う「飽きた」というのも当たっているでしょうが、耕作放棄地が進んだせいかもしれません。ゲンキンなカメラマンですが、「棚田力」のバロメーターであることも確かなのです。

まぁブームで来てた人が来なくなるのはしかたありません。これから来る人たちは、ほんとに棚田が好きな人だと思いますよ。耕作放棄地があるから写真には不向きでも、耕作放棄地も含めて、棚田がある(あった)集落が好きな人。棚田は少なくなっても、まだ集落の魅力がすべて無くなったわけではありません。
 
 
 

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2012/09/12

茨城県常陸太田市の棚田

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120912_3

茨城県常陸太田市は、棚田が意外と少ない茨城県の中では、山があって棚田をよく見かけるところです。

写真は市内中心部から北へ10kmほどいったところの西河内の棚田地帯。


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2012/09/11

茨城県筑西市のひまわり畑 & 笠間市「蛍の棲む棚田」

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120911_2

今回はヴィーノのお世話をしながらの撮影旅行です。

筑波山の北側、茨城県筑西市を通過中、ひまわり畑を見つけました。ただ見ごろは終わったらしく、展望台を解体している作業員だけで、他の観光客はいませんでした。

花も半分枯れかかってはいましたが、ものすごい数です。まだそれなりに風景を楽しむことができます。背景に三角形の筑波山が見えるのもいいですね。

笠間市の南にある「蛍の棲む棚田」に寄りました。まだ稲刈りは終わっていませんでした。棚田自体はそれほど大規模なものではありませんが、蛍の時期は多くの観光客がやってくるそうです。
 
 

 
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千葉県関宿町 鉄塔と電柱の風景

120910_1

120910_2

関東平野は「電線王国」です。

この写真は茨城県との境、千葉県関宿町の鉄塔と電柱の風景。
 
 
 
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2012/09/08

犬の擬人化について (1) 犬の肖像権やら個人情報の保護

120908_1

120908_2

犬の擬人化というと、どんなイメージでしょうか。

犬に着物を着せて、似合うとか似合わないとか。

犬にとってはどうでもいいことで、服によって締め付けられて窮屈か、寒い季節なら、少しは暖かいかもしれません。

犬の誕生日だといって犬用のケーキを食べさせる。

犬にとってはどうでもいいことで、そのケーキの材料が好きなものであれば食べるだけで、ケーキだろうがなんだろうが、形なんて関係ない。ましてやロウソクが立ててあるのはまったくどうでもいい。むしろ食べるのに邪魔なだけです。

と、こう書くと、いかにも犬の擬人化は百害あって一利なしのような感じになってしまい、飼い主のアホさ加減をあざ笑うようですが、飼い主の一人でもある俺とすれば、そのアホさ加減は認めるとしても、「一利なし」でもないなぁと日々思っているのが正直なところです。

俺も犬を飼うまではそういうふうに見ていました。でも実際の飼い主になってみると、服を着せることも、ケーキを食べさすことも、それなりにメリットもあることがわかってくるのです。

まず服を着せることですが、これは飼い主にとっては大きなメリットがあります。かわいく見えるからと同時に、汚れないから、という飼い主側の理由は大きいかもしれません。じゃぁどんな物でもいいわけで、ならば、かわいらしい服を着せれば飼い主も満足するわけだから、これは言ってみれば一石二鳥というもんです。犬にとっては締め付けがきつくなく、暑くないなら問題ありません。寒い季節なら保温のためにもメリットはあります。

ケーキについても同じです。犬を飼っていない人から見ればばかばかしくても、ケーキの材料が犬に問題ないなら、形がどうであれかまわないので、飼い主がハッピーになれば犬もそれを感じてハッピーになるので、結果として悪いことではありません。

ところで、掲載の写真を見てどう感じるでしょうか? 

これはヴィーノの写真に黒い帯を付けて目を隠したものですが、こういう写真をある動物病院で見かけたのでした。これはかなりの「擬人化」だなと思ったので、写真を再現してみました。

犬の目を黒い帯で隠した写真は、犬の病気に関するチラシですが、ここで病院側の考えが垣間見えます。

病院側に確かめたわけではないので、俺の推測なんですが、たぶん、チラシの犬のように病気にしないようにという飼い主に対する注意のためのものですが、この犬が「@@@ちゃん」と特定されるのは悪いと思ったのではないでしょうか。少なくとも病院側にとっては、この犬は「お客さん」でもあるわけだし、実際は飼い主に対する配慮から、こういった写真を貼ることになったのではないかなと。

当然、人間の患者ならこういった写真は見たことがあるのですが、犬は初めてです。この病院はほんとうにまじめな病院なのだと思います。まじめに考えているから、こういった写真になったのでしょう。(まじめすぎるから可笑しいとも言えるのですが)

いや 「犬の権利」ではないですね。これは「飼い主の権利」を考慮したものなのでしょう。そうするとこういう写真になると。

そのうち、犬の肖像権やら個人情報の保護だとか言って、勝手に街中の犬を写真に撮れなくなるかもしれません。撮ったら撮ったで、顔にぼかしを入れたり、目を黒い帯で隠したり、しなければならない時代が来るかもしれません。上に掲載した写真のように。そこまでの「擬人化」はありなのか。

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2012/09/07

大正時代に建てられた木造校舎 長野県上田市の浦里小学校の火事

Kizawa_shogakko(この写真は火事とは関係ありません。旧木沢小学校(長野県飯田市)の写真です)

長野県上田市浦野の市立浦里小学校の木造校舎が全焼しました。

放火の疑いもあるそうです。

この旧校舎は1924(大正13)年に建てられましたが、現在は、教室としては使われていませんでした。そのかわり多くの映画やドラマのロケ地に使われていました。主な作品を調べてみると、

「南極大陸」
「スパイ・ゾルゲ」
「リング0~バースデイ~」
「ゼロの焦点」
「私は貝になりたい」

など、ざっとこれだけあります。

火事の様子を泣きながら見ている生徒や住民の人たち。思い出が目の前で失われていく生徒や住民の悲しみは想像できます。

俺は全国の旧学舎(廃校)の写真を撮り続けています。まだ浦里小学校旧校舎は訪ねたことはありませんでした。でも、各地の旧学舎が取り壊される現場を見て、地元の人たちの気持ちが少しはわかるつもりです。だからこころの準備も何もなしに突然火事で校舎を失うことの衝撃は、解体されるとき以上の大きなものがあると思います。

学校は単なる建築物ではありません。学校の行事がその地域の行事そのものだったりします。学校は地域の中心でした。校舎がなくなるのは、自分と地域の歴史をなくしてしまうような気がするのかもしれません。

思い出がどんなにか大切なものか。311の津波で思い出を失った人たちと同じような気持ちなのではないでしょうか。

「ロケ地の小学校全焼 大林宣彦監督の話」
NHK「かぶん」ブログ http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/130567.html )


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2012/09/06

無袋ふじ発祥の地、山形県朝日町 「和合りんごまつり」のお知らせ

120905_1

無袋ふじ発祥の地、山形県朝日町和合の秋を丸ごと味わう「和合りんごまつり」のお知らせです。

2012年10月8日(体育の日) 午前11:00~15:00 (開場10:00)

旧 和合小学校 (国道287号 産直和合より西へ200m)
 
  
祭りのちらしはこちらからダウンロードできます。

ringo_matsuri.pdf
120905_2

 
 

 より大きな地図 を表示
 
 
  
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2012/09/05

テレビCM 「日本全国綾鷹試験 米農家さん篇」 ロケ地は新潟県柏崎市荻ノ島環濠集落

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最近放映中のお茶、綾鷹のテレビCMのロケ地は?

綾鷹(あやたか) 「日本全国綾鷹試験 米農家さん」篇

特徴的な茅葺民家がチラッと出てきますが、ロケ地は新潟県柏崎市荻ノ島環濠集落「かやぶきの里」だと思います。

何度もコマーシャルでロケ地になった「日本の原風景」のイメージにぴったりの農村のひとつです。村内の茅葺屋根民家ふう宿で宿泊や食事をすることもできます。

駐車場に立っている説明書きによれば、古老の伝承では、「もうぎヶ原沖の島」といわれたのが、いつしか「荻ノ島」になったという。環濠集落は、外敵から水田を守り、貴重な水をエガワ(水路)で全戸に効率的に配る優れた方法だそうです。

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2012/09/04

茨城県古河市 黄色い田んぼと鉄塔の風景

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Ya_2「電線王国 電線・電柱のある日本の空」 (aoyagi)

 
 
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2012/09/02

茨城県つくば市の稲刈り直前の田んぼ

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2012/09/01

今朝、2回目の「ブルームーン」の月見、と思ったら・・・

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今朝、5時半ころ、昨日の「ブルームーン」が西に沈むところでした。

1ヶ月に2回目の満月を「ブルームーン」と呼び、見ると幸せになるかもと言われていることは、昨日書きました。

2回月見をしたので、2×2で、4倍幸せになるかもしれません。

と、思ったら、今日はすでに9月1日でした。残念でした。
 
 
 
 
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