中国の「反日デモ」で思い出したミャオ族の祭り「四月八」
最近の「反日デモ」のニュースを聞いてあるお祭りを思い出しました。
それは天安門事件の直前だったと思います。貴州省の省都、貴陽で見たミャオ族の祭り「四月八」です。「四月八」というくらいなので4月8日の祭りですが、これは「西暦」ではなくて「農暦」なので、だいたい5月中旬だったのではないでしょうか。
当時の写真はどこかにあるはずですが、探すのが面倒(ポジフィルムだし)なので、イメージとしてミャオ族の別の祭り「芦笙会」の写真を掲載しました。
そこでこの「四月八」なのですが、今はどうか知りませんが、1989年は貴陽の街中で大々的に行われました。
俺は事前にこの祭りがあることは知っていたので、1~2日前から、お祭りが行われる大きな交差点広場に面したホテルに泊まっていました。そこからは広場が全部見渡せるからです。
当時の中国の祭りは、「その日ある」とわかっていても、いつからなのか、情報はなく、だんだんと人が集まってきて、自然に始まるみたいな感じだったので、人が集まり始めている様子を午前中からずっとホテルのベランダで見ていました。
午後2時くらいでしょうか。だいぶ人が集まってきて、いよいよ始まるかなと思ったとき、民族衣装のミャオ族の女の子2、3人、広場の真ん中を突っ切るように歩いていったのです。
そのときでした。その女の子たちに誘われるように何人かの青年たちが動いたことで、別の見物人たちも「何か始まったようだ」という感じで、青年たちのほうへ動いたのです。それをきっかけにして群集全体が女の子たちをめがけて移動を始め、ざわつきだしました。そしてあっという間に、女の子たちに広場全部の群集が押しよせました。
群集が混乱して、彼女たちがいる場所に殺到します。彼女たちは群集が迫ってきて、恐怖だったでしょう。
でも、一番外側にいる人たちは、何をやっているかはまったくわからないのです。たまたま俺は上から見ていたのでその様子がわかったのですが、真ん中に女の子たちがいることも見えないし、知りません。ただ、人が動くから、自分も動く。それだけです。
このときは下に居なくてよかったと正直思いました。身の危険さえ感じる混乱になったのでした。もちろん当時は外国人も少なく、俺が仮に下にいても、だれも日本人だとは気がつくことはなかったでしょう。だから「日本人だから」怖かったわけではありません。あの群集の盲目的な動きなのです。
群衆が何かを期待(あるいは警戒)しているとき(この場合は祭りがいつ始まるんだろうという期待)、何かがきっかけで「それが起こった」と思ってしまう。間違いであっても、いったん火が着いた群集心理を修正することはほぼ不可能。そこには「正しいかどうか」とか冷静に判断する回路はもうありません。とにかく、隣の人間がやっているから自分もやる。その連鎖が広がってとんでもないことになってしまう。
この群集の恐ろしさを間近に見たので、祭りの内容そのものはほとんど記憶がありません。
祭りが終わってすぐ帰国しました。そしたら1ヶ月たたないうちに天安門事件がおきました。ニュース映像を見て、「四月八」の祭りを思い出しました。たぶん、群集の端っこにいる人たちは何が起こっているかわからない。だけど参加している。そしてあれよあれよという間に撃たれて死んだ参加者もいたのではないでしょうか。結局、何をやっていたか、何が起こったかわからないままに、です。たぶんそんな感じなんだろうなと。
そして今中国に吹き荒れている「反日デモ」。
どこまで「反日」なのかはわかりませんが、あの暴徒化した群集を見ていると怖くなります。理屈はどうでもいい。「反日」なんてどうでもいい。目的さえないかもしれない。車を倒し、商店から略奪し、日の丸に火をつける。群集の中で行われる行為には一種麻薬のような恍惚感があるのかもしれません。
これは何も中国人だけの話ではありません。群集心理の怖さを言いたいだけです。日本人にも起こりえます。きっかけはなんでもいい。集団としてまとまる事は諸刃の剣です。つくづくそう感じています。
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