NHKスペシャル 「火星大冒険 生命はいるのか?」を観て
2011年11月26日に打ち上げられたマーズ・サイエンス・ラボラトリーが搭載していた探査ローバー「キュリオシティ」が今、火星に生命はいるのか?を最大のテーマとして火星を調べています。
http://www.nhk.or.jp/space/mars/
もし生命が見つかれば、大ニュースであることは間違いないし、地球とか生命とか人生とかを考える思想や哲学にまで、変化を及ぼしてしまうだろうと予想できます。
たとえば、宇宙船からの映像で、初めて青い地球を知ってから、我々は、地球の全体をイメージできるようになりました。「温暖化問題」などはその典型でしょう。
だから地球外生物の存在を実際に知って、はじめて我々人類は、「地球人」としてのアイデンティティに目覚めるのだと思います。
そうなったとき、民族・国家間の争いや、領土についての感覚もおそらく変わってきます。たぶん。
火星で生命を見つけるということの最大の意義は、「見つかった、すごいねぇ」という科学的な好奇心(キュリオシティ /Curiosity) の満足というより、今地球にはびこる民族・国家間の争いが「ばかばかしい」と思える感覚が新しく生まれてくることなのだと思います。そうなって人類は次のステップに上がれるのではないでしょうか。いや、今の世界の閉塞感を救うのは、それしかないと逆に言うことができるかもしれません。
埼玉県秩父に「虫送り」の行事があります。短冊状の御幣に「悪い虫」を付かせ、それを村の外へ持っていって川へ流すのです。つまり、これは村の悪いものを、村外へ出せば、村内は平和が保たれるという発想です。
ところが、下流にも人が住んでいて、自分たちの流した「悪い虫」が、下流に住む人たちに災いをもたらすことに気が付いてくるのです。今は、「ゴミ」を川に流せなくなったのでやってはいませんが、意味的に言えば、これは法律の問題というより思想・感覚の問題ではないかと思います。
こうして村外の人間も、内側の人間となってひとつにまとまっていく。
歴史的にみればこういうことが人類には繰り返されてきました。小さな集団から、一歩抜け出て次のステップに進むのは、「他者」の存在に気が付くことです。
ところで、今、火星が生命の誕生地だという説もあるらしい。まるでSF的ですが、科学が発展してきて宇宙のことがわかってきて、逆にそういう可能性が出てきた、というのも面白い話です。
30億年くらい前の地球は水ばかりで生命の誕生には不向きな環境でした。それと比べると、陸地もあった火星では生命の誕生を促す条件がそろっていた。そしてあるとき小惑星が火星に衝突し、巻き上げられた岩石の中に、生命体が入っていて、地球に隕石として落下して、地球でそれが進化していったというのです。
もしこれが事実とすれば、人類の思想にかなりの変化をもたらすのは必至です。先祖が火星から来たわけですよ。想像するだけでわくわくしてきます。
それと余談ですが、キュリオシティはもちろん機械(ロボット)なので感情はありませんが、あの広大な火星の上で動いているのが自分だけなのだと想像すると、なぜか「絶対的な孤独感」みたいなものを感じてしましました。
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