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2012/11/30

兵庫県たつの市 瀬戸内海の室津漁港

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瀬戸内海に出ると、室津漁港があります。

海産物の直売店や食堂もあって観光客もたくさんやってきます。

村内は旧い通りが残っていて、港を中心に歩くのもいいところです。
 
 
 
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2012/11/29

兵庫県たつの市 うすくち龍野醤油資料館 永富家住宅 紅葉谷

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写真は、たつの市の「うすくち龍野醤油資料館の仕込み樽、豪農だった永富家住宅の蔵の扉の取手、紅葉谷。
 
 

 
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2012/11/28

兵庫県たつの市 町並みと月

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2012/11/27

兵庫県たつの市 龍野城と紅葉谷

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自宅から630km。兵庫県たつの市は遠かった。途中、夜中に標高の高い小淵沢あたりを通ったときは荒れた天気でした。今朝は天気は回復傾向です。ただ、寒い。

龍野城界隈の武家屋敷の通りや紅葉谷をあるいてみました。趣のある町並みと紅葉はすばらしい。
 
 
 
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2012/11/26

TOKYO FM で聴いた「未来授業」 養老孟司氏の講義

121126(写真は茨城県筑波山から霞ヶ浦方向)

先日TOKYO FM 「未来授業」という番組で養老孟司氏の講義がありました。

その中で、「いじめ」の話が出ました。

前もって学生にアンケートをとっていて、今幸せかどうか尋ねたところ、ほとんどの学生が幸せだと書いている。このこと自体も俺はどうかと思いますが、問題はそういうことではなくて、その理由が「人との関係」だということなんですね。養老先生も、そこに「危うさ」を感じているらしい。

人間関係の「きずな」「つながり」が大切だという。たしかにそうだし、それなしで人は生きられないが、またそれは逆にも作用するということです。人との関係がいいときは「幸せ」だが、関係が悪くなるととたんに「不幸」を感じてしまう。学生たちの「幸せ」の理由がほとんどすべて人との関係だったようです。

人との関係で不幸になる典型は「いじめ」だといいます。人間関係が100パーセントの世界になると、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

そこで解決策は花鳥風月(自然)との関係をもつこと。人間関係で感じる「不幸」なんて些細なことに思われるはず。

養老先生は日本人が自然を身近に感じていたことがわかる鴨長明が書いた『方丈記』をすすめています。恥ずかしながら俺はまだちゃんとは読んでいません。

ツイッターでもときどき「いじめ」がみられます。「ときどき」じゃないですね。かなり多いです。

これははまさに花鳥風月とかけ離れた場所での「人との関係」がすべての世界になってしまった人たちの末路かもしれません。

とにかく、花鳥風月との関係回復ということは、身体の回復と同じことでしょう。要するに人は頭(脳)だけでは生きられない。花鳥風月の中での身体が伴わない幸せなんて、砂上の楼閣であるということなんでしょうね。

 
 
 
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2012/11/24

東京都奥多摩町 氷川渓谷の紅葉

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午前中は曇っていましたが、午後からは天気が回復するという天気予報を信じて奥多摩町まででかけました。

氷川渓谷はそれほど人で混雑するでもなく、ぽかぽか暖かい日差しも浴びることができてよかったです。

河原から上がって町中も歩いてみましたが、趣があっていいところでした。今まで何度も通過していますが、周辺をじっくり散策したのは初めてです。
 
 
 
 
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2012/11/23

『Exercise of snacks  おやつのエクササイズ』をYouTubeにアップ

 
 
 
 
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2012/11/21

11月22日は、二十四節気の「小雪」  茨城県筑西市母子島遊水池

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121122_2(写真は茨城県筑西市母子島遊水池)


毎年「勤労感謝の日」の前日、11月22日ころが、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」です。(今年旧暦では十月九日)

北国を除いて、まだ「雪が降る」というイメージはありませんが、寒さが増しているのは日々痛感します。妻から笑われるのですが、東北出身者なのに寒がりで、着膨れするのがこの時期です。もっと寒くなったころは、逆に寒さに慣れてマシなのですが、毎年今が一番寒さが身にこたえます。

また二十四節気を3分割した七十二候では、

初候: 虹蔵不見(にじかくれてみえず)

次候; 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)

末候: 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

初候の「虹蔵不見」ですが、そう言えば冬の弱い陽の光では、あまり虹を見た記憶がありません。昔の人はこんなところに季節を感じていたんですね。
 
 
 
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2012/11/19

2013年(平成25年) 年賀状用 干支 「巳・蛇」のトンパ文字のサンプル集

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2014年(平成26年)干支「馬・午」の「トンパ(東巴)文字」はこちらにアップしています。

Ya_2雲南館トンパ文字のページ


毎年恒例となりましたが、今年もこんな時期なんですね。

来年の干支は「巳」です。雲南省ナシ族に伝わる象形文字「トンパ(東巴)文字」で「巳・蛇」をアップします。画像は年賀状印刷にも対応できるだけのデータ量があります。自由にコピーして使ってください。無料です。

トンパ文字「巳」は、納西象形文字譜(雲南人民出版社 1981年)を参考にしました。

Ya_2雲南館トンパ文字のページ
 
 
 
 
                        【PR】

平成25(2013)年の「旧暦棚田ごよみ」ができました。NPO棚田ネットで販売中です。

http://www.tanada.or.jp/tanadanetwork/goods/

明治5年まで日本で使われ続けてきた、月の満ち欠けを1ヶ月とした、本当の旧暦(太陰太陽暦)カレンダーです。月の満ち欠けの絵や、「二十四節気」、「七十二候」、「雑節」も入っています。来年一月(睦月)は、西暦の2月10日からはじまります。新暦に慣れている頭にはちょっとだけ発想の転換が必要ですが、新暦の日付も小さく入っているのでだいじょうぶです。「妊婦も、釣り人も、宇宙飛行士も、渡り鳥も欲しがる旧暦カレンダー」です。一般的な新暦のカレンダーは巷にあふれているので、セカンド・カレンダーとして考えていただけるとありがたいです。

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2012/11/18

茨城県の撮影 鉄塔と送電線

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121118_4(写真は上から、筑西市、行方市、つくば市、石岡市の鉄塔)

関東平野は鉄塔が多いところですが、茨城県南部もその中に含まれます。「多い」というよりも「目立つ」と表現したほうが正確かもしれません。なにしろ平野なので、空が広く、鉄塔が目立つからです。

まぁ、理由はどうであれ、鉄塔を見るためには「いい場所」であることに違いありません。鉄塔を見るために茨城県を訪ねる人はまだ少ないとは思いますが。
 
 
 
 
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2012/11/17

茨城県を撮影中 常陸大宮市の那珂川

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2012/11/16

茨城県を撮影中 筑波山から石岡市方向を望む

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2012/11/15

茨城県を撮影中 霞ヶ浦ごしの富士山夕陽

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2012/11/14

茨城県を撮影中 夜明け前の筑波山

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2012/11/09

中国が尖閣列島を取りに来る理由 ---- 日本人とチベット人のDNA的つながりから考える

121109(赤いルートが俺のDNAの「ヒューマン·ジャーニー」の軌跡)

俺はナショナルジオグラフィックの「ジェノグラフィック·プロジェクト」に参加しています。「参加」と言っても、キットを購入し、自分の口内粘膜を擦った棒を送って、DNAを解析してもらうだけですが。(現在、プロジェクトがバージョンアップしたようで、俺が検査してもらった数年前とは価格・内容など違っているようです)

世界中から集められたDNAデータを解析して、現代人の遺伝子マーカーの出現頻度をマッピングして、「ヒューマン·ジャーニー」、つまり、どのように人間が地球上に拡散していったかを調べるプロジェクトなのです。

それで俺はどうだったかというと、「なるほど」とうなづいてしまいました。

一般的な日本人は、約10万年前に東アフリカから出て、アジア方向に拡散した集団の一部が日本列島に渡った人々ですが、ただ、途中は、いろんなルートがあります。

アラビア半島からイラン、チベット、雲南などを経由した集団。中央アジアからモンゴル、朝鮮半島経由で来た集団。インドや東南アジア経由で沖縄にたどりついた集団など、いろいろです。

俺は、そのなかで、東アフリカ→アラビア半島→イラン→アフガニスタン→チベット→雲南の集団であったらしい。ところが、雲南どまりで、雲南からどうやって日本に来たのか、そのルートはわからないようです。つまり、DNAレベルでは、一部の雲南人と同じなのです。(ただ2万年以上も前なので、現在の雲南人と同じかどうかはわかりません)

それで納得したのです。「なるほど」と。どうして俺はこんなにも雲南省にひかれて通い続けているかということです。その理由がわかったような気になりました。(ここは科学的ではありません、念のため)

ただ、これは個人の家系をたどるものではなくて、あくまでも「民族集団」レベルの話です。それと「DNAの移動」と「人の移動」とは必ずしも同じではないので、俺の祖先が東アフリカから歩いて(日本海は船で)日本列島にたどり着いた、という単純な話でもありませんが。

ちなみに日本人の成り立ちですが、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返していって現在の日本人ができました。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団ということらしいのです。

日本人とチベット人が持つ漢民族に対する宿命的な「血」のつながり
BLOBOS http://blogos.com/article/49443/

今度は、年代を遡り、視点をアジアに拡大してみると、アジア大陸に住んでいたのは、D系統(古モンゴロイド系、縄文系)で、数千年の間で、漢民族を中心にしたアジア系O系統が広がってきて、古モンゴロイドのDNAは、「辺境の土地」であるチベットと日本列島だけに残ったということらしい。だからDNA的には、日本人(特に縄文系)は、漢民族よりもチベット人により近いということがわかったそうです。

これも俺には納得できる結果です。漢民族よりもチベット人や雲南の少数民族に親近感が沸くのは、そういうことだったのかと。

DNAレベルでは、アジアでの数千年前からの主導権争いの攻防があるわけですね。漢民族を主とするアジア系O系統が拡大していくのを、なんとか食い止めようとしているのが、D系統(古モンゴロイド系)、俺たち日本人とチベット人。

これまでの流れから、中国が尖閣を狙ってくるのは間違いなさそうです。(尖閣の先には、当然日本列島がある) それが2ヵ月後になるのか、10年後になるのか、1000年後になるのかはわかりませんが。

「次の世代に棚上げする」という中国の発言は、DNAレベルでは嘘だということですね。いや、嘘というより「次の世代(アジア系O系統)が尖閣を奪う」という意味なのかもしれません。

あくまでもこれはDNAレベルでの話です。.

 
 
 
 
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2012/11/03

「写真家」とか「カメラマン」という肩書きについて

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こんなニュースが入ってきました。

「中国で一番有名な日本人」加藤嘉一氏に経歴詐称疑惑
週刊文春WEB http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1983 )

加藤氏という人物にそれほど興味はありませんが、もしこれが事実としたら、さすが加藤氏はよく中国のことをわかってらっしゃる人だと思います。この前も書いたけど、「騙される方が悪い」というのが中国の文化だから。中国の処世術を中国で忠実に実践した人物なのでしょう。

日本でも経歴・肩書きを詐称することが最近流行っているらしい。「アリバイ屋」と呼ばれる偽の各種証明書を作る仕事人もいるらしい。医師免許や建築士免許の偽造までいってしまうと社会に害ですね、やっぱり。

なんでだろうと思ってしまいます。それだけ日本では(外国でも)肩書きにこだわるということの裏返しでもあるんでしょう。俺もこだわってないフリしてこだわっているからこそ、こんな文章を書くんでしょうし。

「医者」とか「1級建築士」から比べると「写真家」なんていう肩書きは玩具みたいなものですが、俺は「写真家」になりたいなんて、今まで一度も思ったことがありませんでした。(だから当然「写真家」をやめたくなったこともない) ただ旅をして写真を撮るのが面白かったので続けてきたにすぎません。

だったらなぜ、今「写真家」と名乗っているかというと「旅人」では、仕事がもらえないから。ましてや「自由人」「放浪者」では怪しすぎるし、肩書きなしでは、相手が戸惑ってしまい、悩ませるのもかわいそうだし。それと税務署の確定申告で「旅人」「自由人」「放浪者」は認められないから。

俺も肩書きを利用して仕事をしているので、詐称したくなる人を非難ばかりもできないんですが。

肩書きって便利ですね。たとえ俺がホームレスと同じような生活していても、貧乏旅行者のようであっても、「写真家」と名乗りさえすれば、みんな「なるほど」とうなずいてくれます。世間に受け入れられます。

「写真家」は便利ですよ。資格も学歴もいらないので、「詐称」の心配もいらない。いや、ある意味俺も本心を隠して「写真家」と名乗っているわけだから、肩書き詐称しているって言えば言えないこともないな。

最近の映画では、やたら「カメラマン」「写真家」という設定が多いのも「便利だから」なんだろうなぁと感じています。逆に言えば、設定が安易すぎるとも思います。要するに「カメラマン」「写真家」という肩書きは、「無職」「自由人」というキャラクターに、見栄えをよくするためにつけただけ、と見えてしまうのです。それこそ「フリーの写真家/カメラマン」なら、突然フランス・パリに出かけることも、昼間っから犯人を長時間尾行することも、朝からビール飲んでいることも、それなりに不自然ではありません。

昔、ある女性がこんな俺に近づいてきたことがありました。俺が「写真家」だから。なんでも彼女が言うには、「写真家」は、犬(ビーグルなんかではなく大型犬だろうけど)を飼ってて、豪邸に住んでいるらしい。俺が「犬は大嫌いだし、住んでいるのは四畳半だよ」と言ったら、絶句してました。

バカじゃないかって思いましたね。肩書きに騙されちゃって。いや、騙したわけではなく、彼女が「写真家」という肩書きに、勝手なイメージを持っていただけですが。

「あなたは何者ですか?」って聞かれたら、肩書きの入った名刺じゃなくて、HPのURLを教えようかな。そのほうが俺が何をやってきている人間なのか、どんなことに興味を持っている人間なのか、よくわかるでしょうから。(今使っている名刺にはURLを一番大きく書いています)
 
 
 
 
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2012/11/01

11月1日は犬の日。 「人のペット化」について思う

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今年も犬の日がやってきました。早いもので、ヴィーノと暮らすようになって、ほぼ5年がたちました。

何度も書いていますが、ヴィーノはペットではありません。同居人(犬)といったらいいでしょうか。なので、自分の食い扶持くらいは稼いでもらわないと。フリーの写真家の家計は苦しいんです。

ヴィーノはビーグル犬ですが、猫のような性格で、あまりべたべたしません。そこが俺たちの性に合ってもいます。

この前テレビで、最近の若者の特集をやっていて、その中で「過干渉」の親が子どもをだめにしている、みたいな例が出ていました。

これを見て、「まるで子どもはペットだな」と感じました。出演していた井筒監督も同じように感じたようです。

親は子どもがかわいくて、気を回しすぎたり、先回りして、子どもが「脱線」しないようにする。その結果、何も考えられない、決められない子どもになっていく。(「子ども」とはいっても、分別のあるいい大人なんですが) 

俺も子どものころはたぶん過保護に育てられたような気がします。大学で実家を離れましたが、親への依存度は大きかったですね。実際友人からは「おまえなんか、外国へ一人で旅行するようなタイプではなかった」と言われているし。当時の俺は親になんでもやってもらう人間で、今さらながら恥ずかしいです。消してしまいたい過去のひとつです(たくさんありすぎるけど)。 でも運よく(?)外国旅行がきっかけになって、完全に親離れすることができました。(今は、離れ過ぎていますが)

俺は「脱線」した口なので、このペット化する若者には同情と同時に憤りも感じます。親を噛み付いてやれ、と思います。ヴィーノもそうですよ。いまだに俺や妻の手を噛むことがあります。こんな犬は、「しつけに失敗した」と世間は言うんでしょうね。でも、あえていいます。「飼い主のいいなりにならない」ことこそ生き物としての証なのではないかと思っています。どうしてかというと、俺自身がそうありたいと思っているからです。

親は子どもに噛み付かれて、たぶんびっくりするでしょう。でもいずれそのときは必ず来ます。俺の親も、今まで言うことをきいていた子ども(俺)から突然反抗されて、当時は激しく泣いたし怒りました。

でも、ここで誤解されるといけないのではっきり言っておきますが、俺はそんな若者の味方というわけではありません。

親から嫌われたくないと思うなら、自ら進んでペットになるのも、その人の人生です。いいんじゃないでしょうか? すべて親が決めてくれるし、餌を与えてくれる。これほど幸せな人生もないかもしれませんよ。ある意味うらやましいとさえ思います。
 
 
 
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