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2012/11/01

11月1日は犬の日。 「人のペット化」について思う

121101

今年も犬の日がやってきました。早いもので、ヴィーノと暮らすようになって、ほぼ5年がたちました。

何度も書いていますが、ヴィーノはペットではありません。同居人(犬)といったらいいでしょうか。なので、自分の食い扶持くらいは稼いでもらわないと。フリーの写真家の家計は苦しいんです。

ヴィーノはビーグル犬ですが、猫のような性格で、あまりべたべたしません。そこが俺たちの性に合ってもいます。

この前テレビで、最近の若者の特集をやっていて、その中で「過干渉」の親が子どもをだめにしている、みたいな例が出ていました。

これを見て、「まるで子どもはペットだな」と感じました。出演していた井筒監督も同じように感じたようです。

親は子どもがかわいくて、気を回しすぎたり、先回りして、子どもが「脱線」しないようにする。その結果、何も考えられない、決められない子どもになっていく。(「子ども」とはいっても、分別のあるいい大人なんですが) 

俺も子どものころはたぶん過保護に育てられたような気がします。大学で実家を離れましたが、親への依存度は大きかったですね。実際友人からは「おまえなんか、外国へ一人で旅行するようなタイプではなかった」と言われているし。当時の俺は親になんでもやってもらう人間で、今さらながら恥ずかしいです。消してしまいたい過去のひとつです(たくさんありすぎるけど)。 でも運よく(?)外国旅行がきっかけになって、完全に親離れすることができました。(今は、離れ過ぎていますが)

俺は「脱線」した口なので、このペット化する若者には同情と同時に憤りも感じます。親を噛み付いてやれ、と思います。ヴィーノもそうですよ。いまだに俺や妻の手を噛むことがあります。こんな犬は、「しつけに失敗した」と世間は言うんでしょうね。でも、あえていいます。「飼い主のいいなりにならない」ことこそ生き物としての証なのではないかと思っています。どうしてかというと、俺自身がそうありたいと思っているからです。

親は子どもに噛み付かれて、たぶんびっくりするでしょう。でもいずれそのときは必ず来ます。俺の親も、今まで言うことをきいていた子ども(俺)から突然反抗されて、当時は激しく泣いたし怒りました。

でも、ここで誤解されるといけないのではっきり言っておきますが、俺はそんな若者の味方というわけではありません。

親から嫌われたくないと思うなら、自ら進んでペットになるのも、その人の人生です。いいんじゃないでしょうか? すべて親が決めてくれるし、餌を与えてくれる。これほど幸せな人生もないかもしれませんよ。ある意味うらやましいとさえ思います。
 
 
 
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