「アメリカ側」に立たないと楽しめない映画 『アルゴ』 を観て
『アルゴ』を観ました。
あらためて「どちらかの側」に立たないと、映画は楽しめないものだと思った一本になりました。
Wikiの『アルゴ』にも「典型的親米プロパガンダ映画だ」とありました。
ただ、もしこれが単なる奇想天外な救出作戦が成功してメデタシメデタシの映画ではなくて、もっと双方の人間を描いていたら話は別なのです。人間を追究する映画だったり、普遍的なテーマを描いた映画なら「プロパガンダ映画」という批判も受けなかったはずです。
「アメリカ側」に立たないと楽しめないのです。いや、こういう映画はしかたないのでしょうか。客観的に観るなんてことは不可能かもしれないからです。
今回はたぶん、普通の日本人は、無意識のうちに「アメリカ側」の目で見ているので、無事にイランを脱出してよかったと思っているでしょう。イラン人をまんまと騙すことができて痛快だったのではないでしょうか。
でも逆の立場なら?
アメリカ人(とくにCIA)は、イランでどういうことをしてきたのか、イラン人の怒り方を見れば想像がつきます。イラン人から見たら「悪人ども」に逃げられてしまう話です。
映画としては、普通に面白いのです。俺も楽しみました。(あくまでもアメリカ側に立ってですが) ただ、アカデミー賞をとるほどの映画か?というと疑問がわいてきます。
そこで勘ぐってしまいます。今のイランとアメリカの関係がこの賞にも影響しているのではないかと。
このタイミングの良さ。「アルゴ作戦」をまんまとやってしまう国ですよ。映画を使って世界をアメリカの味方につけるプロパガンダにも成功しているのではないでしょうか。
そうか、「アルゴ作戦」は、このアカデミー賞受賞までも含めた長い作戦なのかもしれません。
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