岐阜県恵那市 坂折の棚田で「田毎の月」を撮る
「田毎の月」という言葉を初めて知ったのは、ここ岐阜県恵那市の坂折棚田だったと思います。
棚田を見ながら地元農家の奥さんと立ち話をしているとき、「昔は田毎の月もきれいだったですよ」と聞いたのでした。
そのときは特別「田毎の月」について興味が出たわけでもなかったので、聞き流したのでした。
奥さんは「農作業から帰るとき、田んぼに映った月が私を追ってくるんです」」といった意味のことを言いました。
なんだか黄泉の国へ連れて行かれそうな、ぞくぞくっとする感じがしました。
先週金曜日は満月の前日。まだ明るさが残っているころ山の稜線から白い月が出て、かなり下の方の田んぼに映りました。そこが民家の横の田んぼだったのです(中の写真)。こんな田毎の月は見たことありません。
その後、だんだん暗くなってきて、月も下の段の田んぼから上の段の田んぼに移動してきます。満月に近いので日が落ちても月明かりが棚田を照らし、独特の風景になりました。それこそ一人で見ていたら自分を失いそうで怖かった。
翌日は、日の出を待ちました。土曜の朝ということもあって、30人ほどのカメラマンが朝日を待ちました。そのとき前日放送のNHK BS『美の壷』の棚田が話題に上っていました。番組を見て棚田へやってくる人もいるんですね。テレビの影響力はすごい。
朝日はそれほど良くはなかったのですが、朝の棚田はそれなりに美しく(下の写真)、カセットコンロで沸かしたコーヒーを片手に、移動していく太陽をボーっと眺めていました。
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コメント
西川瀞二さま
コメント、ありがとうございます。
寺田寅吉氏は「田毎の月」に言及しているんですね。知りませんでした。
「スラブの民には「田毎の月」の深甚の意義が分ろうはずがない。」という言葉はよく納得できます。
お問い合わせの件、詳細については、メールでご返事いたします。少々お待ちください。
投稿: あおやぎ | 2017/06/24 10:38
青柳様 私は現在、仮称「生物多様性を考える」という印刷物を発行すべく執筆中です。その中で戦前の物理学者寺田寅吉博士の随筆を引用していますが、その中に「田毎の月」という名文があり、それに写真を入れれば更に博士の言わんとしていることが良くわかると考えています。可能であれば2013.05.26の一番最初の素晴らしい写真を使わせていただきたいと思っています。なお、寺田博士の一文は次のとおりです。「ロシアで猫の額のような稲田の小区画に割拠して働く農民の仕事の映画を見た観衆がふきだして笑ったという話がある。茫漠たる原野以外の地球の顔を見たことのないスラブの民には「田毎の月」の深甚の意義が分ろうはずがない。」
投稿: 西川瀞二 | 2017/06/24 10:10