NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、宮崎駿監督の『風立ちぬ』密着ドキュメンタリー
先日、NHKで宮崎駿監督の『風立ちぬ』密着ドキュメンタリーを見ました。『崖の上のポニョ』のときも密着ドキュメンタリーがあって、そのとき書いたものはこちらです。
NHKの番組 『プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル▽宮崎駿のすべて~“ポニョ”密着300日 』
この中で、
「ストーリーや、キャラクターも、「こう作ってやる」といった能動的なものではなくて、「こうならざるをえない」といった、必然性みたいなものを、うまく取り入れることができる人なのかなと思いました。必然性があれば、形になり、そして動き出す、と言ってもいいかもしれません。「森を見てたら、トトロが浮き上がってきた。それを描いた」みたいな。もし、ならなかったら、それまでのこと。そういうことを、ひたすら「待つ」ことができる天才なのでしょう。たいていの凡人は、すぐに決着をつけようと、自分の「腕力」でキャラクターを作り、ストーリーを作ってしまう、ということなのかもしれません。」
と書きましたが、今回もまったく同じように感じました。映画の結末は最後までわからなかったのです。主人公たちが考え、行動する中から、必然的に出てくる結末をひたすら待つ監督。
宮崎監督のこの言葉が印象的でした。
「時代は選択できない。それはまったく今も同じ。そこでせいいっぱい生きるしかない。」
正確な言い回しは忘れましたが、だいたいこんな感じです。
二郎たちは「美しい飛行機を作りたい」という純粋な気持ちでやっていたことですが、それが「兵器」をつくることにもなっていた悲しい時代でした。
でも、二郎たちは選択の余地はなかった。こんな時代でもせいいっぱい生きるしかなかった。「こんな」と思わず俺は書いてしまいましたが、いつの時代も、生きている人間にとっては唯一無二のもので「こんな」とか、他の時代の人間が悲観的なことを言うのは筋違いなんでしょう。「だったら今はいい時代なのか?」と反対に聞かれても答えられないし。
宮崎監督の、時代を肯定するこの感覚がすばらしいんだなぁと思いました。矛盾をはらんだ時代そのものを丸ごと受け入れるような感覚。ファンタジーを封印し、真正面から時代と向き合った映画になりました。
だからそこで描かれる人間は生き生きとしているのでしょう。二郎と菜穂子の生き様は、時代を超えて、普遍性を持つのです。
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