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2013/08/18

宮崎駿監督のアニメ 『風立ちぬ』  タバコ喫煙シーンと、飛行機の「両刃の剣」的存在について 【ネタバレ注意】

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宮崎駿監督のアニメ映画 『風立ちぬ』 を観てきました。【ネタバレ注意】

映画の感想・・・良かったですよ。宮崎アニメに出てくる飛行シーンは、今回もぞんぶんに出てきたので、あのなんともいえない浮遊感を満喫できました。

今回は主翼をバタつかせて飛ぶ飛行機とか、天空に浮かぶ城とか、豚のパイロットとか、箒に乗る魔法使いとか、奇想天外なものは出てきません。(夢の中のシーンでは一部出てきますが)

ほとんど正確に時代考証にのっとっていたといえるでしょう。いや、あまりにも時代考証が正確すぎたのかもしれません。やたらタバコを吸うシーンが多くなったのもそのせいなのかと。あの時代はタバコは当たり前のことで、なければないで、不自然さを感じさせるのかもしれないし。

この喫煙シーンについてNPO法人「日本禁煙学会」から「風立ちぬの喫煙シーンは条約違反」という抗議文(要望書?)が出されたようで、これについて、ネット上ではけんけんがくがくと議論が起こっています。

あくまでもこれはフィクションで、ちまたには、殺人シーンや麻薬を吸うシーンが満載のアニメどころか実写版の映画が氾濫しているのに、タバコだけを批判するのは、公平じゃないなと個人的には思います。そのことをもってきてこのアニメの評価をうんぬんするのはナンセンスではないのかと。

いや、むしろ喫煙シーンは必要だったのかもと思います。【ここからは特にネタバレ注意】

結核患者の妻、菜穂子が手を握りながら、夫、二郎に、結核患者には危険であるはずのタバコを許すシーンが好きです。どうして菜穂子はタバコを許したのか、そして二郎がそれを聞いて吸ったのか、ふたりの気持ちを想像すると、このシーンでふたりの関係の強さを感じるし、切なくなってきます。菜穂子が余命いくばくもないことをふたりも覚悟するのです。その覚悟の確認ではなかったでしょうか。悲しく、切なく、美しい印象的なシーンです。このシーンが必要だったために伏線としてタバコが何度も出てきたのかとさえ思うくらいです。(その証拠にモデルになった実際の堀越二郎氏は非喫煙者だったという話もある)

この映画の話だけではなくて、一般論ですが、人は「健康」だけで動いているわけではありません。むしろ健康に悪いことをやっている場合の方が多いと思うし(俺はそうです)、それがかえって生きていることを実感できることにもなっていたりするのです。(タバコじゃなくて酒はどうですか? 酒が体にいいなんてのは半分幻想です。脳細胞は破壊されるなんて聞いても、俺は酒は好きです)

もっとも「日本禁煙学会」の立場ではそう言わざるをえないんだろうなと理解は出来ます。それをしなかったらその存在意義もないですし。

別に宮崎監督も、教科書の教材作りをしたいわけではないのです。しかも今回の核心的テーマは、かなり深刻なものです。タバコのことにあまりにも気を取られていると、もっと大切な問題が見えなくなっていくようにも思うし。議論するならむしろこっちでしょ。

映画の見た目の美しさは、その深刻さを救ってくれたといえます。

物語中でもチラチラと触れられていますが、飛行機(あるいは技術)の両刃の剣的存在です。戦争の道具を作りたいわけではなく、純粋に美しい飛行機を作りたいんだと二郎たち技術者たちはいいます。

しかしどうなんでしょうか。「純粋である」ことで、すべてが許されるのかどうか。

飛行機(あるいは技術)、それ自体は、「善い」ものでも「悪い」ものでもありません。ただそれを使う人間によって意味合いは変わってきます。遠くへ人を運ぶことができて便利という立場になれば、高性能の飛行機は「善い」ものだろうし、爆弾を高速で運ぶことができるという立場に立てば、開発した人間には「善い」ものでも、爆弾を落とされる人間には「悪い」ものになってしまいます。

別に飛行機の技術者だけの話ではないし、戦争の道具を作ったから駄目なんだと非難しているのではありません。技術はつねに両刃の剣といいたいだけです。

たとえば、俺の写真についてだって言えます。いい写真を出すことで、そこへ観光客が押し寄せ、現地の人に迷惑をかけるということもあります。自分では「純粋にいい写真を撮りたいだけだ」と言っても、その写真は、ある人には「善い」もので、ある人にとっては「悪い」ものになる可能性があるということです。極端な物言いかもしれませんが、そういうことはつねに自分の中にジレンマとして抱えながら写真を発表するしかないのです。

だからこの飛行機の技術者たちの心情に興味が沸きました。少なくとも二郎たちは戦争を肯定していたからこそ、飛行機を開発できたということはあります。どう見ても「強制されて」飛行機の設計をやらされていたとは思えません。それとも戦争には目をつぶっていたのでしょうか。

彼らは飛行機が作れたから満足だったのか、それとも、戦争に加担した罪悪感にさいなまれたのか、そのあたりを知りたかったのですが。

たぶん、誰にもわからないんでしょうね。本人たちにも。そんなに勧善懲悪的な出来事なんて世の中ないですよ。その矛盾というか、ジレンマを抱えながらも、青い空と白い雲には感動するし、愛する人のそばでは幸せを感じるし、武器であっても飛行機は美しいし、健康に害があっても酒やタバコはうまいのです。

宮崎監督は、そこを描きたかったのではないかなと思います。そういう意味で人間のリアリティは矛盾の中にこそあると俺は思っているので、 『風立ちぬ』 の中にもちゃんと描かれていて、好きな映画になりました。

監督自身が、「神」にならず、矛盾をさらけだしているところに好感を持つし、そこがすごいのです。


Ya_2NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、宮崎駿監督の『風立ちぬ』密着ドキュメンタリー
 
 
 
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