日本の無秩序に見える電柱電線が外国人にうける理由
こんなおもしろい記事が載っていました。
なぜ?外国人にウケるモノ「マンホール」「電柱」「五円玉」
(nifty ニュース http://news.nifty.com/cs/item/detail/mnwoman-20130818-mw538316/1.htm )
「マンホール」「電柱」「5円玉」そして「ホストクラブ」。たしかにねぇ。外国人の目には不思議で、面白いと映るのでしょう。
そういえば、フランス人写真家の友人が一番興味を持っていたのは台場とかの近未来的な建物だったような気がします。
わざわざ「日本的伝統の風景」を見せてあげようと、秩父の祭りや川越へ連れていったときは、それほど興味を示していませんでした。
ただ、俺が「電柱電線」の写真を撮っていることは、共感してもらえたようです。彼とふたりで、近所の電柱と電線を撮影して歩きました。東京のど真ん中よりも、その周辺の中途半端な街で電柱電線は目立つような気がします。
電柱電線がこれだけ無秩序に街中にはびっこっているのは、先進国では日本がダントツでしょう。確かにアジアではよく見る光景です。でも先進国である日本だから外国人はより不思議がるんだろうなと思います。どうしてこんなに進んだ国なのに?と。
電柱電線を「無秩序」と言いましたが、実は、そうじゃないとも思います。どうしてかというと、金がかかるから電線を地下に通さないらしいのです。つまりこれはEconomic Landscape (経済的風景)なんですね。だから「経費節約」という立派な理由はあるので、「無秩序」ではないかもしれないのです。
じゃぁ外国ではどうして電線を地下に埋めるのかというと、それだけの経費をかけても、景観を美しくしたいということなのでしょう。(街の作りの違いもあるかもしれませんが)
そこで俺はあることに思い当たります。日本では、「風景はただ」と思われていることです。日本の棚田を撮影するようになって、とくにそう感じるようになりました。
棚田の風景は、あたりまえのことですが、農家が稲を作って、農地を手入れしているから維持されるのです。つまり、農家の労働力のコストがかかっています。けっしてタダではありません。
電柱電線の話に戻りますが、風景がタダだと思うから、当然、そこに不必要なコストをかけたくない。そういう心理が働らいているのではないかなと思うんです。
「費用対効果」とはよく聞かれることですが、これだけのコストをかけて、得られるメリットはどのくらい?という計算でしょう。電柱電線を地下に埋めるコストを払ってまで、景観を美しく保とうとする気がないということなのです。
景観が人間に与える精神的な影響は、俺はかなり大きなものだと考えていますが、一般的にはそうは思われていないようだと日々感じています。
最近では、TPPの加盟問題ですね。俺は写真を撮っている立場上、TPPが日本の田園風景に与える影響は気になります。きっと田園風景は変わってきます。でも、ほとんどの人たちは、経済的関心からの議論で、失われるかもしれない風景が日本人に与える精神的影響を考えた議論なんて、ほとんどされていません。かなり大きな問題だと思うのですが、風景は経済の後回しにされます。これを考えても、日本では「風景はタダ」と考えるのが多数派ということがわかります。
話をふたたび電柱電線に戻します。
これがアジアの最貧国ならわからないでもありません。というか、経済的風景なのだから、電柱電線にコストをかけないのはあたりまえです。でも、先進国である日本が、このことに無頓着であることの不思議。すごくおしゃれな街並みなのに、突然頭上に電線が走っていて、しかも誰も気にしないなんて、日本では常識でも、外国人の目から見たら、不思議に見えるということなのでしょう。
とは言え、俺は、この電柱電線が面白いと思って写真を撮っています。たぶん、あと100年たったら、なくなってしまう風景だろうなと思っているところもあります。だから記録写真としてですね。この視点は外国人と共通するのかもしれません。
でも、そうじゃない理由もあります。それは、この無秩序に見える電柱電線の日本の風景に、気取った西欧文明に対する反発・反逆みたいなものを感じるのです。人間の欲望やらなにやらの、人間の正直な心が現れているというふうにも思って、写真に撮っています。
だから、正直言うと俺にとっては、電柱電線はなくなってほしくないのです。良くも悪くも、これが日本の「独自の風景」だと思うからです。棚田と同じレベルで、俺は自慢したいくらいです。
| 固定リンク
コメント