ネパールの撮影旅 2013年秋 (20) ネパールの犬「ククル」たち
ネパールでも、「ぢいぬ」はたくさんいます。「ぢいぬ」というのは、特定の飼い主のいない地域犬です。江戸や明治時代の日本も、「ぢいぬ」が多かったらしい。『北斎漫画』にも「ぢいぬ」と描かれています。
『生類をめぐる政治』(塚本学著 平凡社)によると、
「柳田國男は、明治期の村について、村の犬というのが4、5匹は常にいたが、犬を飼っている家は一軒もなく、・・・(略)・・・少なくとも犬にあって、特定の飼主がなく、といって完全な野犬でもないものが、つい近年まで数多く存在した。」
と、あります。
ネパールの「ぢいぬ」も「野良犬」といっていいものかどうかちょっと迷います。それはスリランカでも同じでしたが、飼い主はいませんが、「ぢいぬ」たちはその地域全体で飼われているとも見えるからです。
棚田米のダルバートを食べたとき、近くに黒い犬がやってきたので(2番目の写真)、これは誰が飼っているのか?と尋ねたら、誰でもないとのこと。村の人によると、ちゃんと飼い主のいる犬には愛称も付けます。「ポピー」「ジョニー」など英語名が多いそうです。ポカラのゲストハウスで飼われていたのは、2歳になる「ミルキィ」でした。
「ぢいぬ」と飼い犬の違いは、首輪をしているかどうか、というのがわかりやすいですね。それとやはり雰囲気が違う。
「ぢいぬ」には愛称を付けません。じゃぁ、この黒い犬を呼ぶときは何て呼ぶの?と聞くと、「ククル」と学生たちがいいました。「ククル」とはネパール語で「犬」のことです。
愛称を付けないといっても、「ぢいぬ」が嫌われているのかというと、そうでもなさそうです。可愛がられているとも見えませんが、その地域で自然に暮らしている感じです。
村人との程よい緊張感もあり、悪さをすれば痛い目にもあう。でも、まったくの野犬と違って、人間のそばなら、何とか飢えずに済む。外敵が来たときは、吠えて知らせる番犬でもあるし、闘うこともある。それなりに、人間も「ぢいぬ」を認めているし、「ぢいぬ」たちもこの村の一員だとは感じているらしい。自然に放っておくと犬はこういうふうになるんでしょうか。
ここに「管理」とか「責任」とかの考えが入ってくると、とたんに「ぢいぬ」は存在できなくなってしまいます。それが欧米の価値観。
だから、明治期に日本を訪れた欧米人は、日本人は動物を甘やかしていると嘆いています。動物と人間に一線を引かないとと気がすまないのでしょうか。
ところで、上から3番目の写真の犬ですが、模様が変わっています。最初、ペンキで色を付けた人間の悪戯かなと思っていたのですが、よく見ると、模様は毛の色だったのです。これは、棚田の村で出会った犬ですが、ポカラのゲストハウス前の「ぢいぬ」にも、こんな模様の犬がいたので、数は少ないですがいることはいるようです。他の国では見たことないですが。
犬に咬まれやすい&犬に吠えられやすい俺ですが、意外とネパールでは犬から吠えられることはありませんでしたが、暗くなってからは注意が必要です。バイクのヘッドライトに照らされて、暗闇から犬が現れたりするとびっくりします。さすがに夜は身構えてしまいます。狂犬病の注射なんかもしてないだろうし。とくに「ぢいぬ」の場合は。
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