11月1日は「犬の日」 犬と飼い主は顔が似ている、そのポイントは「目」というニュース
(我が家に来たばかりのころのヴィーノ。こんなつぶらな目が俺と似ているんでしょうか?)
明日、11月1日は「犬の日」です。
「飼い主と犬は似ている」とは、前から言われていることですが、最近、飼い主は、自分と似ている目の犬を選んでいるのではないか、という研究結果が発表されました。
犬と飼い主は顔が似ている そのポイントは「目」だった
(JCAST ニュース http://www.j-cast.com/2013/10/29187445.html )
「40頭の犬(純血種)とその飼い主のカラー写真を用意し、」とあるんですが、それを選んだのは誰か?ということが俺は気になります。この点については何も書いてないので分かりませんが、選んだ人が「似ている同士」を選んだ可能性はないのでしょうか。もちろん無意識にです。(意識して選んだらこれは「捏造」に近くなってしまうので、ありえないでしょうが) この実験の場合、サンプルを用意すること自体、気をつけなければならない点だと思うので。
それと、犬や人間ばかりではなく、動物の顔が「似ている」と感じるのは、そもそも「目が似ている」からであって、当たり前のことをいっているのではないか、とも思います。これは写真を撮っている経験上から常日頃感じていることです。
そしてもうひとつ、俺も、「あの犬は飼い主とそっくりだったなぁ」という記憶があります。それがあまりにも似ていたので鮮明に覚えているケースが数件。
でも、考えてみれば、似てない同士もいっぱいいるはずで、というより、本当は、似てない同士の方が多いのかもしれず、これは、血液型で人の性格を当てるのと似ていて、自分の都合のいい、当たったことだけをしっかり覚えていて、外れたことは忘れるということと同じなのではないかとも思います。「似ている同士を見た。だから全部似ているはずだ」という思い込みです。自分の記憶を探っていくと、そういうことにも思い当たるんですよね。
それと、実際に犬を飼いはじめる時に、そんなにみんな選択の余地があるものなのかどうか、ちょっと疑問でもあります。ヴィーノの場合も、たくさんいた中から選んだわけではなく、ペットショップにいたビーグルはヴィーノだけだったし。
ずいぶん疑り深いやつだと思うでしょう? でも、疑っている俺ですが、犬と飼い主が似ているということは日々感じているのです。感じているからこそ、それを「科学」で解明しようとするなら、きちんとやってほしいと思うわけですよね。科学者には。
性格は似ているというか、似てくるのかもしれません。それはいっしょに暮らしている者同士が似てくる、たとえば夫婦も同じことでしょう。ただこの研究では、「飼っているうちに似てくるという可能性は低い」のだそうです。
「帰属意識が薄い」「わが道を行く」「他人と仲良く出来ない」「内弁慶」などのヴィーノの性格は、そのまま俺自身の性格でもあり、ヴィーノを見ていると、俺を見ているように錯覚するときも、ときどきあるくらいです。
ところで、「犬の日」に便乗して、ちゃっかりPRをさせてもらいます。
来年2015年も「犬旅」が卓上カレンダーになります。写真の内容は同じです。
「犬旅」は2009年から1010年の約1年かけて、北は北海道から南は沖縄まで、妻とビーグル犬ヴィーノといっしょに全国すべての都道府県をまわった車中泊旅の記録です。
あれから4年も経ってしまいました。ヴィーノも6歳になって、当時より落ち着いたかなと思いきや、まったくそんなこともなく、相変わらずやんちゃです。
でも、本人も気がついていないんですね、歳のことを。がむしゃらに走ったあとなんか、突然へたり込んでしまうこともあって、やっぱり2歳のときとは違います。このあたりも俺と似ているかもしれません。最近では、座布団代わりの毛布をヴィーノと共用しています。匂いまでヴィーノと似てきていることを感じます。もっとも、犬臭さは、もともと人間の加齢臭と似ているような気がしますが。
ヴィーノに出会わなかったら、することはなかったかもしれない「日本一周の旅」。
犬の視点で日本の風景を見るなんて、なかなかきっかけがないとやりません。やる意味があるか?という根本問題はありますが。
いえ、「無意味なこと、馬鹿げたことだから無性にやりたくなった」というのも、正直ありました。なんだか息詰まりを感じていて、妻の提案「犬連れ日本一周」に乗っかったということでもありました。
でも、結果として、カレンダーや雑誌に掲載しているんだから、「無意味」の目的は達成できなかったのですが。
旅行中は、だいぶ意識して、なるべくヴィーノ以外の写真を撮らないようにしていたつもりなんですが。悲しいものですね。人の行動って、かなり無目的、無計画、衝動的にやったとしても、意味を持ってしまうものなのかもしれません。もしかしたら、それが「歳を取る」ということなのかなぁ。50年の身に染み付いた「型」からはみ出すのは至難の業です。
まぁ、中国で複数回犬に咬まれて以来、犬恐怖症に陥り、犬嫌いだった俺が、ここまでリハビリできたというだけでも良かったと思うことにします。妻とヴィーノのおかげです。
興味のある方は、どうぞ。
『妻と犬連れ日本一周、車中泊の旅』が、Kindle(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)から出版されました。 内容は、2009年から2010年にかけて約1年間、北は北海道から南は沖縄まで、妻とヴィーノを連れて全国すべての都道府県をまわった車中泊旅の旅行記です。ようやく書きあげました。約125,000字(400字詰め原稿用紙315枚分)あります。 よかったら読んでみてください。amazonで販売中です。 なお、Kindleがなくても、Kindle無料アプリで読むことができます。(スマートフォン iPhone & iPod touch Android & タブレットPC iPad Android) 【目次】: 序章 第一章 遊牧民の旅を思いつく 第二章 旅立ち 東北の旅 第三章 北海道の旅 第四章 東海北陸の旅 第五章 犬嫌いになったわけ 第六章 四国・近畿の旅 第七章 中国・九州の旅 第八章 沖縄の旅 終章 51歳の男(私)。40歳の女(妻)。2歳のやんちゃなビーグル犬ヴィーノ。 偶然いっしょに暮らしはじめることになった血も種も越えた、2人と1匹の家族が1台の車に世帯道具を積み込み、車中泊しながら北海道から沖縄まで、全都道府県を旅した旅行記。総走行距離は約2万7千キロメートルになった。 もともと犬とは相性がよくない私は、中国で犬に咬まれて犬嫌いになったが、皮肉にも、妻の希望で犬と暮らすことになる。中国のカザフ族やモンゴル族の遊牧民の生活を見てから、彼らのような移動生活にあこがれていた私は、遊牧民的な旅をしてみたいと夢見ていた。ネットさえつながれば仕事ができるようになった今こそ、「新遊牧民」を実行できるチャンスと思い、妻と犬を連れて日本一周の車旅をすることにした。 やってどうなるか? どんな意味があるのか? 考えはじめるときりがない。それで、とにかく出ることにした。出てから考えようということだ。衝動的で無謀な計画だったかもしれない。 都道府県をすべてまわるということ以外、はっきりした目的地もなく、その日その日、行きあたりばったりの旅をした。当日の朝、地図を見て、おもしろそうなところへ行ってみる。夕方になったら温泉を探し、スーパーで買い物し、食事を作り、車の中で寝る…。3頭の「群れ(家族)」が移動するシンプルな生活。遊牧民と同じで、少ない装備でも長期の旅ができることがわかった。 移動する生活そのものがわくわくする。何を見るでもなく、何か名物を食べるでもないのに、なぜか楽しい。それはまさにカザフ族の生活で見つけた気持ちよさだった。 もちろんトラブルもたくさんあった。 「犬と暮らす」ということは、私たちにとってどういうことなのか、考えながらの旅になった。犬を通して日本を見る旅でもあった。 また、こういった車中泊の車旅をしている人たちが意外に多いことにも気がついた。とくに定年退職した年配の人たち。その数がだんだん増えているという日本の現状も知る旅になった。 そして、旅の最終ゴールは・ ・ ・。 |

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