二十四節気・七十二候は、旧暦でなければ生み出されなかった
旧暦に関するある本を読んでいて、ちょっと疑問に思ったことがありました。
月の満ち欠け(朔望)による1ヶ月(朔から次の朔まで)が、ちょうど1太陽年の12回分だったら、どれだけ楽だったかと、昔の権力者や暦学者は思ったことでしょう。
とくに、農業を営んでいくうえでは、季節がずれていくのは致命的な大問題です。
と、いうことは、旧暦(太陰太陽暦)というのは、その季節と、日付をどうやってずれないようにするかといった努力の産物といえなくもありません。
だから、現在でも使われている二十四節気・七十二候について、「月の動きとは関係ない」「むしろ旧暦ではなくて、新暦とぴったりする」という人もいます。たしかに、二十四節気・七十二候の成り立ちを考えていくと、そうなのです。月の満ち欠けとはまったく関係ない、太陽の動きだけで決まった季節の名前なので。
でも、俺は思うんですよね。だったら、最初から太陽暦を使っていたとしたら、はたして、二十四節気・七十二候というものが生まれたのだろうか?と。
こんな季節の名前を決める必要はなかったのではないかと思うわけです。毎年同じ日付が同じ季節を表すんだから、わざわざ二十四節気・七十二候などというものも考える必要はなかったのではないかと。(西洋にも季節を現すことわざはあったようですが)
むしろ、この二十四節気・七十二候というものに、太陽の動きと月の満ち欠けをなんとか合わせようとする昔の人たちの涙ぐましい努力を感じるのです。それはつまり、命にかかわるからです。その年の穀物の種を蒔く時期を間違ってしまったら、収穫量が落ちるかもしれません。なので、今以上に、季節に敏感であったはずです。
だからやっぱり、二十四節気・七十二候は、旧暦でなければ生み出されなかったのではないかなと思うんです。
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