今日から、旧暦四月(卯月)。「逆さ富士」や「田毎の月」の季節
最近は、だいぶ暖かくなって、いや、暑い日もあるくらいですが。
今日から旧暦の四月です。
旧暦棚田ごよみをめくると、去年撮影した静岡県御殿場市の棚田の写真が現れました。
1年経つのは早いものです。
また「逆さ富士」や「田毎の月」の季節がやってきました。
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最近は、だいぶ暖かくなって、いや、暑い日もあるくらいですが。
今日から旧暦の四月です。
旧暦棚田ごよみをめくると、去年撮影した静岡県御殿場市の棚田の写真が現れました。
1年経つのは早いものです。
また「逆さ富士」や「田毎の月」の季節がやってきました。
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この掲載写真は、震災のあった2011年4月に撮影したものですが、線路脇にりっぱな桜があって、おもわず車を止めて近づいた桜の木です。
ちょうど、民家に人がいていろいろと震災当時の話や桜の話を聞いたのですが、1年後また訪ねたときは、桜の木の下で、夫婦の写真を撮らせてもらいました。
花の咲き方がまばらな感じがしたのは、塩水をかぶっていたので、弱ってしまったのかなぁと思ったのですが、今年は満開だったという連絡をもらいました。以前のような桜の木に復活したようです。
塩蔵わかめが同封されていました。気仙沼産です。水で塩抜きしてそのまま食べられますが、歯ごたえがあって、たいへんおいしいものでした。
満開の桜と地元産のわかめからも、日常を取り戻しつつあることを感じます。
日本産業の原点、富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録の見通し
(nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/item/detail/mnwoman-20140426-mw2246861/1.htm )
何度か富岡製糸場の前は通ったことはありましたが、まだ中に入ったことはありませんでした。掲載の写真は、妙義山から自宅に帰るとき、開門前だったので、門の外から入り口を撮っておいたものです。
以前から「世界遺産に」とは言われていたので、いずれは、と思っていましたが、去年の世界文化遺産「富士山」につづいて、今年も文化遺産に登録されるということで、関係者は喜んでいるのではないでしょうか。地元は盛り上がっているでしょうね。
地球によく似た惑星 NASAが発見
(NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140418/t10013837661000.html 参照)
地球の1.1倍とほぼ地球と同じ大きさで、水があるかもしれない地球に似た惑星が発見されたというニュースにはわくわくします。
これで誰もが期待するのは、「宇宙人」の存在です。NASAも「地球外生命体の発見に向けた大きな一歩だ」と言っています。
この宇宙で、生物が地球にしかいないと考えることが、孤独なのかなとも思います。絶対的孤独感の怖さです。
グロテスクであってもいい、地球人を食べてしまうやつでもいい、いるだけで嬉しいみたいな、ことなのかなとも思います。地球外生物に出会いたいというのは。
それともうひとつ、こういう外へ向かう気持ちはもしかしたら、東アフリカを出た人類の祖先たちから続いているんでしょうか。
この宇宙というものが、ビッグバーン以降、膨張するという方向にあるなら(今のところ)、宇宙の構成要素である人間も、人間の細胞も、人間の気持ちも、膨張の方に向かうというのは不自然ではないし、むしろ当たり前ともいえます。外へ向かうことは、人間にとって必然なのかもしれないのです。
でも、地球から500光年かぁ。ちょっと遠いなぁ。光の速さでも500年かかってしまいます。仮に知的生物がいて、地球の様子を見ていたとしても、500年前の地球を見ているわけで、ずいぶん野蛮な生物だなぁなんて思われているのかも。
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南相馬市小高地区の、中学校、高校がある高台へ行ってみました。
桜がきれいに咲いていました。もちろん学校は閉まったままでしたが、時々、車でやってきて、写真を撮っていく人がいました。とくに若い人が多かった。卒業生ではないのでしょうか。
ひとりの奥さんが携帯で写真を撮っていました。話を聞いたら、彼女の息子さんはこの小高工業高校の卒業生で、桜の写真を撮って遠くにいる息子さんに送ってあげるとのこと。
彼女はここが警戒区域だった1年のうち、3回だけしか、一時帰宅できなかったそうです。警戒区域が解除されたのですぐやってきました。これから除染作業者がたくさん入ることで、治安が大丈夫なのか?という心配をしていました。
「一応、暴力団は入れないとは言っているけど、どうかわからない。中には悪い人もいるでしょう。夜、空き巣に入るかもしれない。作業員を疑って悪いけど」
これが本音です。放射能の心配だけではありません。そもそも原発事故がなかったら、盗難の心配までする必要がなかったのです。
実際、盗難事件は多かったようです。津波と違って、家財道具は家にそのまま残っているので狙われたのです。別の住民には外国人の泥棒もいた、という話も聞きました。
住民の間では、そういうことが心配されているということを知って、当事者でないとわからないことがあるんだなとあらためて思いました。
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2012年4月21日、南相馬市の原町から数km南下しました。以前検問があった場所にパトカーはいましたが、止められることはありませんでした。小高地区は16日から警戒区域解除になっていたからです。
市街地に入り線路を越える橋を渡ったとき線路脇に立つ桜が見えました。奥の方には小高駅の駅舎が。
駅前のロータリーは静かでした。自転車置き場には、数多くの自転車が、そのままになっています。1年以上たっているので、雑草がからまっていました。
駅から200mほど離れた公園は、桜が満開でした。去年までなら、子供たちが遊んでいる声が響いていたんだろうなと想像すると、人影もなく、桜だけが満開であることが、ますます寂しさを感じさせました。
2013年4月10日、再び小高駅前へ行ってみました。ほとんど変わりがありません。(変わりようがありません)
2年以上放置された自転車には、さらに植物のつたがからまっていました。ロータリーの花壇に立っている一本のシダレザクラだけは去年同様きれいに咲いていました。
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昨日、『里舞(さとまい)』の東京公演が行われました。大井町駅前の「きゅりあん8階大ホール」で、1000人入りますが、ほぼ満席に近い状態でした。
曲とバレエが、アジアのどこか、稲作の国のような普遍性を持ったイメージが、俺のイメージと同じ方向性をもっていたので、個人的には良かったと思います。みんなも「いい」と言っていたので「里舞」は一応成功したといってもいいでしょう。
「次はフランス公演に向けて」というのが、関係者たちから聞かれた言葉で、俺も冗談ではなく、それを期待しています。
ところで、これだけ大きな会場で、自分の曲を聴くのは初めてです。どう聴こえるんだろうか?と少し不安もありました。でも、ちゃんと音響さんも関わっていて、心配していた低音は抑えられていたおかげで(抑えすぎのところもあったのが残念ですが)、聴きづらくはなかったので、一安心しました。
もちろん、俺の曲の次が、Deep Forestや、葉加瀬太郎さんの曲だったりすると、レベル(実力)の違いが恥ずかしくなります。それほど俺も音楽に関しては「身の程知らず」ではないので、自分の実力は自覚しているつもりなので、これは当然ですね。ただ、一方で、バレエであれ、なんであれ、有名な曲だけ使っていたのでは、曲だけに意識が行ってしまって、バレエのオリジナル性というものが薄れるのかもしれません。そういう意味で、つたない俺の曲でも、使ってもらう価値はあるのかなと。
もともとは自分の写真展のために作り始めた曲ですが、「音」というのも、自分の写真展では重要な要素だと考えるようになりました。写真展会場で、市販の曲(誰かの曲)をかけるのが、なんとなく「違うなぁ」と思うようになったのです。他人の曲のイメージで写真を見られることに、あまりいい気持ちがしません。それなら自分で作ったオリジナル曲を、と考えたわけですが、今はパソコンがあれば、自分のイメージを比較的簡単に(30年前と比べて)音楽に反映させることが出来ます。だから今では、曲作りと写真撮影は一体のものです。切り離せません。
だから俺にとっては、「写真」も「音楽」も同じことなのです。ある「イメージ」を表現する手段に過ぎません。このふたつに加えるなら「旅」や「文章」もそうです。その「イメージ」の表現の手段なのです。あくまでも「手段」であって「目的」ではありません。別な手段の方がイメージを表現しやすいとなったら、これからでも、その手段も使いたいと思います。
前々から言っているように、「写真家(という職業)になりたいわけではない」と言っていることは、こういう意味なのです。たぶん、「写真家と名乗っておいて、何をバカなことを言っているんでしょうか? この人は」と思われているんでしょうが。
「職業」というのは、何かを何人かで分業することから生まれたひとつのシステムです。ひとつのことだけをやっていたほうが、技術も高まり、効率的になっていきます。そもそも俺は、この「分業」という「効率化」が気に食わないのです。「人間は機械ではない」などと、さんざん言っておきながら、この「分業」こそ、人間の機械化の始まりでもあるのです。
こう考えていくと、
「効率的ではないことが人間らしさである」
ともいえるかもしれません。
ここで参考になるのは、バリ人の生き様でしょうか。昼は農作業をやり、夜は音楽をかなで、絵を描く。その全体がその人なのです。今は、観光客に音楽や踊りを見せる「職業」になってしまった感もありますが、もともとはまったく自家消費の芸術でした。食べ物の「地産地消」と同じように芸術の「地産地消」です。もちろん「地産地消」は一歩間違えると「自己満足」にもつながっていくわけですが。
今回、使ってもらった曲は、次の通りです。「里舞」のプログラム名と、曲名をあげておきます。曲名をクリックすると、サンプル曲が聴けます。(「棚田シンフォニー」だけはまだサンプル曲を作っていないのでありません)
1: 大山千枚田のスライドショー 「棚田シンフォニー」
2: 地 「PAPAYA SEEDS」
3: 種 「DANCING NAGA」
4: マーチ 「ASIAGE MARCH」
6: 魚 「TONLESAP LAKE」
7: 稲 「朝靄」
8: 華 「夜明け」
小保方さんのことを知ったのは、佐村河内守氏と同じく、ラオスにいた時でしたが、帰国後、STAP細胞のニュースをやっているとき、説明する姿を見て、小保方さんというのはなんとなく科学者らしくない人なんだなぁというのが第一印象でした。
そして昨日の記者会見でも、この第一印象は変わりませんでした。
ただ、そういう常識にとらわれない人が大発見をしてきた歴史を考えると、「科学者らしくない」ということは、悪いことだけではないかもしれませんが。
誤解を恐れずに言えば、みんなに夢を与える宗教家みたいな匂いを感じるのです。
「STAP細胞はあります」「200回以上は成功しています」ということだけは、はっきり言っているんですが、それを証明する証拠などはまったく提出することもなく、ただ感情的な、情緒的な訴えに終始したことが、科学者らしくない印象です。
STAP細胞はほんとうにあるのかどうかということに関して、その存在を証明するためには、小保方さんではない第三者がSTAP細胞を作ったという事実は、めちゃくちゃ大切なポイントであるはずなのに(科学者なら当然わかっているはずなのに)、記者からの質問に答える形でようやく証言が出てきたということも、不思議でしかたありません。まるで、記者から言われて、初めて気が付いたみたいな。
この第三者に、小保方さんが直接連絡が取りにくい状況であったら、弁護士を通して証言を取っておくくらいの判断が、どうしてできなかったのだろうか?というのが疑問です。
プロジェクターを用意していたので、きっと証拠写真や資料を出すのかなと期待していたら、それもありませんでした。だから全体的に、科学者らしくない印象を持つのです。
記者会見は、「私を信じてください。STAP細胞でみなさんを幸せにしますから」と言っているようだなと。
ただ、最初にも言ったように、大発見する人は、普通の人の常識を飛び抜けたとろにいる人でもあると思うので、あまり常識で小保方さんを判断しないほうがいいのかもしれませんが。(今の時点では)
小保方さんは、科学者らしくなくてもいいのですが、素人の俺たちにわかるように、もっと科学的な言葉を使ってほしいと個人的には思います。
STAP細胞につては、今後の第三者による検証を待つしかないでしょう。
(以下追記:2014/4/12)
世間一般の人の関心は、STAP細胞があるかないか、ということで、それで期待して会見を見た人も多いと思うのですが、この会見は、小保方さんが理研に残りたいための会見であって、STAP細胞がどうのこうのという会見ではないことがだんだんわかってきました。自分の「コツ」や「レシピ」は、だから理研に復帰するためのセールスポイントなので、やたら発表できないようなのです。
これは理研に向けた小保方さんの言い分の会見で、世間の同情を引き、世間を味方につけようとしたのかもしれません。感情に訴えていたのはそのためかも。弁護士がついていたのでなおさらその戦略はあったのでしょう。
この会見で、「理研の最終報告は間違っていたのでは?」と世間に思わせたことは、彼女の目的を達成したともいえます。「ねつ造」はわかりませんが「改ざん」は自分でも認めているし、間違いなく黒なわけですから。コピペは、無意識の作業ではやれません。
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大船渡の賀茂神社は、鳥居がある階段に桜の木があります。2011年のときは、階段周辺が瓦礫で埋まっていたので上ることはしませんでした。1年後はすっかり片付けられていました。
去年2013年4月20日には階段を登って上まで行ってみました。境内にも桜はありましたが、そこから市街地がよく見えました。児童公園の1本の桜も、ここから見えます。この桜はしっかりと生きていました。まだつぼみが多かったですが、望遠レンズで覗いたら、数輪の花が咲いていました。
賀茂神社から丘を回りこんで南側へ行くと、地元の住民が管理する小さな公園がありました。こちらの桜は8部咲きくらいで、女の子がブランコに乗って遊んでいました。
公園知り合った奥さんにお茶をよばれました。よばれたら絶対断らないので、お宅におじゃましました。旦那さんと奥さんの二人暮らしでした。
奥さんによると、児童公園の桜は、数本あったうちの1本だったのだという。買い物に行くときはいつもあの桜の下を通っていたので、親しみのある桜だったそうです。
お宅はこの公園の少し下ですが、津波は来ませんでした。でも、親戚知人には亡くなったり行方不明になった人は当然いました。
奥さんは遺体置き場を周ったときの様子を涙ぐみながら語りました。
「地獄ってこういうことだと思った」
といいました。俺はただ黙って話を聞くだけでした。
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これは2007年から2012年まで、雑誌「栄養と料理」に連載された写真と解説文「土と水、人と暮らし/日本の文化的景観」に加筆修正を加えたものです。(雑誌掲載の写真と一部、違う写真を使用)
「文化的景観」というのは、まだなじみが薄いかもしれません。文化庁の定義では「地域における人々の生活または生業および当該地域の風土により形成された景観地」のこと。「文化的景観」という言葉は堅いかんじがするので、これを「日本人の知恵の風景」と言い換えています。
具体的には、田、畑、水路、漁港、養殖場、集落、農業に関する祭りなどで、日本人の知恵が詰まっている風景です。主に農林水産業の風景で、日本の典型的な原風景と言えるかもしれません。一度は行ってみたい、全国各地の「日本人の知恵の風景74選」を紹介しています。
なお、電時間がたっているところは情報が変わっている場合もありますので、もし行かれる場合は、最新情報を確かめてからおでかけください。
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下は、「2012年10月号 岩手県山田町」のサンプルページです。
2012年10月号 岩手県山田町 「新しい養殖場」
山田湾を通過したとき、海に浮かぶ鮮やかな黄色い浮玉の列が目に飛び込んできた。
2011年3月11日、山田湾には8mから最大25mの津波が押し寄せ、漁業者の多くが漁船や漁具を失い、4000台もの養殖いかだすべてが流出し、市場・水産加工施設が流され、壊滅的な被害を受けた。
壊れたいかだも一部回収することができたが、新しい浮玉を設置し、カキやホタテを育てている。養殖場は再スタートしたばかりである。
2009年に開店したカキが食べられる「かき小屋」も津波で流されたが、2011年10月29日「復興かき小屋」として新装開店した。夏場は山田湾で獲れた海鮮の鉄板焼になるが、10月下旬ころから新しいカキが提供できる予定だという。「食べて応援する」という意味もあり、観光客が訪れる山田湾復興のシンボルである。
掲載写真は、夕日が当たる黄色い浮玉。撮影は4月。
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