「棚田病」は同時に「棚田療法」でもある
以前、「棚田病」について書きました。
ところで「棚田病」は俺が勝手に言い始めたことですが、「白い病」というものがあるそうです。これは南極に行ったことがある人が罹る「病気」らしく、しばらく南極から離れていると南極に行きたくて行きたくてたまらなくなる「病気」らしい。それだけ南極にも「魔の魅力」があるということなんでしょう。まぁ対象は違いますが、症状としては「棚田病」と似ているといってもいいでしょう。
「好きで好きでたまらないこと」を「病」と表現するのはこのほかにもあると思いますが、「棚田病」の場合、「病」というちょっと自虐的な表現で笑ってもらおうと思ったからでしたが、もしかしたら、それなりに「病」と表現する理由はあったのかもしれないと、今さらながら思っているところです。
ほんとに病気かもしれないのです。それと同時に、治療薬でもあるのかもしれません。
それで先日の話にもつながっていくんですね。「箱庭療法」とか「芸術療法」のことです。
あまり「病気」という言葉を乱用したくないのですが、今の時代、社会や人間関係が複雑化して、どういう状態が病気で、どういう状態だと病気でないのか、境があいまいになっていると思うので、この「療法」ということばも、ことさら「病気」に対する治療という意味ではなくて、もっと一般的に、「癒し」くらいに捉えてもいい場合があるのではないでしょうか。
普通の人は、好きといっても限度があります。でも、やらざるをえない、やらないと死んでしまう(精神的に)ということになってくると、事態は深刻なのです。笑ってすませられるような問題ではありません。苦しんでいる人がたくさんいると思います。そういった心の不安定さをここでは「病気」と言っています。
俺にとってその治療は、「旅をすること」や「棚田のある場に立つこと」や「写真を撮ること」や「音楽を作ること」などなど。知らず知らずのうちに、自分で「芸術療法」をやっていたようなのです。そういうことをやることによって、社会と何とかつながり、心のバランスを保つことができる気がします。
こんなふうに、俺にとって芸術療法は、精神状態をなるべくいい状態に保つ方法として有効なのですが、ほかの人にも当てはまるのかはわかりません。
俺の場合、棚田が好きなのは「棚田病」であると同時に「棚田療法」でもあるわけです。「毒をもって毒を制す」といいますが、「病」をもって「病」を治すのです。
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