「世間師(せけんし しょけんし)」という人たち
民俗学者の宮本常一さんの名著『忘れられた日本人』や、郷土史『東和町誌』のなかに、「世間師」という人たちの話が出てきます。
初めて聞く言葉です。それで、辞書で調べて見ると、
デジタル大辞泉 【世間師(せけんし)】
1: 世間に通じていて巧みに世を渡ること。悪賢く世を渡ること。また、その人。
2: 旅から旅を渡り歩いて世渡りをする人。
大辞林 第三版 【世間師(せけんし)】
1: 世間慣れして悪賢い人。世渡りの巧みな人。
2: 旅から旅に渡り歩いている人。
とありました。具体的なイメージは、「ふうてんの寅さん」に近いのかもしれません。
『東和町誌』では、
「このように旅から旅をわたりあるく人たちを世間師(しょけんし)といった。「あの人は世間師だから物知りだ」というように周囲から評価されていた。」
「ただしたえず歩いている人が世間師と見られるよりも、若い時旅をよくして五〇歳をすぎて村へ戻ってきて百姓をしている人に対して、この言葉は使われていたようである」
かならずしも「いい人」ではないのですが、世の中(外界)を良く知っているという点で、情報や物がなかなか入らなかった昔の田舎に情報や物ををもたらす世間師は、一定の評価というか、役割はあったんだなぁと言うことがわかります。よそ者を警戒するのは、村の秩序を乱されることに対する本能的なものなのでしょうが、それとは反対に、外の空気を入れるいい機会でもあったわけです。
旅行記『桃源旅人』の「ナンヌオ山のハニ族」 にも書いたのですが、最初は山村のアイニ族から怪しいよそ者として警戒されましたが、いったん仲良くなると、このよそ者(俺)に対する興味は際限がなくなるようです。村人たちはいろんな外国事情を聞きたがりました。
こんなふうに似たような経験はしているので、この「世間師」の話はよくわかります。
俺が「世間師」だなどとおこがましいことを言うつもりはありませんが、そうありたいというか、そんな立場が理想だなとも思います。
別にこれは明治や大正や昭和初期だけのものではなく、現代でも形を変えて、「世間師」の役割はあるのではないでしょうか。疎ましく思われながらも、「新しい視点」を提示する「異人」として。
にほんブログ村
| 固定リンク
コメント