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2014/08/03

雑誌「婦人之友」座談会のテーマは「季節感のある暮らし」

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昨日は、旧暦七月七日、七夕の節句でした。七十二候は「大雨時行(たいうときどきふる)」です。

運転して帰宅中、午後8時ころ、西の空に七日月が見えましたが、ちょうど横に流れる筋状の雲に重なり、「十」の形に見えたので、信号待ちしているとき、スマホで写真を撮ろうとしたのですが、すぐに雲に隠れて結局撮れませんでした。残念。


先日、雑誌「婦人之友」の10月号のための座談会に呼ばれていってきました。

こちらはそのときの記事です。

婦人之友 blog

園芸研究家の山田幸子さん、気象予報士の江花純さん、俺の3人の座談会でした。

「季節」「自然」を意識する生活というものを、3人3様それぞれの立場から話をしました。

最近は特に異常気象とか、温暖化といわれる気候になっただけに、とくに季節をどんなふうに感じて、どんなふうに日常生活に生かしていくか、ということが大切な時代になってきたのでしょう。

「旧暦(太陰太陽暦)」を切り捨て、「新暦(グレゴリオ暦、太陽暦)」を採用し、西欧に追いつけ追い越せで、近代化にまい進してきたのが日本でした。ある意味、他の東アジアの国々が今もって旧暦を使っているのと違って、潔きよくすっぱりと旧暦を捨てた日本(沖縄などを除いて)は、東アジアの中では一番初めに近代化に成功したと言えるでしょう。

ただ、西欧近代化で季節感を失ってきたのも事実です。とくに都市化が季節をわかりにくくしてしまったということは言えるのではないでしょうか。

たかが暦を変えただけじゃないか、というかもしれません。でも、暦というものは、大切なインフラのひとつで、これは昔から権力者が独占してきたことでもわかるように、人々の生活を大きく変えてしまうものでもあるのです。

ただ、「潔きよくすっぱりと旧暦を捨てた」と言いましたが、実は、明治6年、新暦に改暦したのは、「近代化のために」などという日本の将来を見越した上での改暦というよりは、きわめて経済的理由が大きかったようですが。

その年、旧暦ではうるう年で、1ヶ月多い年でした。そこで12月に改暦したことで、逼迫した政府の財政を救ったという側面があるのです。当時は役人の給料は、月給制だったので、改暦することで2か月分の給料を払わなくてすんだのでした。

昔、権力者が暦出版を独占していたのは、日食月食などで象徴されるように、天の運行を予想し、的中させることは、社会を安定させる源だったからです。正確な暦を作ることは、権力者の特権でもあると同時に、義務でもありました。そのあたりのことは『天地明察』にも描かれていましたね。

気象予報士の江花さんの話を聞いて、「そうか!」と気がつきました。天気予報も許可や認可が必要で、誰もが勝手にできるわけではないそうです。お上が管理する昔の暦作りと同じです。

天気を予報し、的中させないと、社会が混乱するということなのでしょう。現代における気象予報士は、昔の暦師と同じように、大切な仕事なのです。

それと園芸研究家の山田幸子さんの話の中で、植物が気候(気温)を微妙に感じ取って成長するので、たとえば桜や藤など、その年の季節の進み具合の目安になる植物の生育具合を見て、農作業を始めることは理にかなっていることなんだとあらためて思いました。
 
 
 
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