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2014/08/17

近々未来予想ショートストーリー 『人類みな兄弟』

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タイの代理出産の問題で、父親とされる日本人男性の目的は何なのでしょうか? 最初は「人身売買か?」と思われましたが、そうではないらしい。では税金対策なのでしょうか? ある報道では、男性は毎年10人から15人の子供を死ぬまで作り続けたいと代理出産仲介業者に話していたといいます。

この近々未来予想ショートストーリー『人類みな兄弟』は、そんな疑問と不安から発想したまったく架空の物語です。こういう物語を語らないと、今の俺にはこの日本人男性の目的のわからなさからくる不安や怖さを解消できないのです。

        ☆☆☆


アキラは喜びに沸く支援者たちから離れた場所へ移動し電話した。

「父さん。やりましたよ。都知事選、勝ちました」

「そうか、アキラ。よくやった」

重畠光利(しげはたみつとし)は満足だった。

光利は深々と椅子に座り、壁に架けてあるタイ人画家バウスックの「世界」という名画を愛おしむように眺めながら、日本の行く末を思った。

「これで私の理想とする社会が一歩近づいたかな」

今から30年前の2013年ころ、光利は幾度となくタイに渡航し、代理出産を頼んで、自分の子供を作っていた。卵子は世界各国から集めてもらい、自分の精子と人工授精させ、現地タイ人女性を代理母とした。こういったことを商売とする病院がたくさんあった。当時タイでは代理出産に関する法律はなく、金さえ積めば自分の子供を作ることが可能だったのだ。

光利の父親は事業で成功した資産家、重畠家を興した人物だったので、光利は子供のころから金に苦労することはなかった。「やりたい」と思ったことはすべてやれる境遇の人間だった。

光利は30年前、自分が世界に貢献できることは何だろうと考えていた。

光利は自分が「平和主義者で善良な人間」だと思っていた。実際、青年時代も、資産家の御曹司であったがどちらかといえば質素で、あまり派手なことは好きではなかった。喧嘩もしたことがないし、人には親切だった。勉学にもまじめに取り組み、父親に反発した記憶もない。いってみれば典型的な優等生だった。

そんな光利の行き着いた思想は、自分のDNAを持った子供が日本を、そして将来は全世界を支配すれば、喧嘩も争いもない平和なすばらしい世界になるはずだと信じていることだった。

光利は2013年から14年にかけて、タイで1002人の子供を作った。そしてすべて自分の子として認知し、秘密裏に日本に入国させ、全国都道府県に約20人づつ割り振り、養父母を雇って育てさせた。表向きは養父母たちの子供として暮らしていたが、戸籍上はすべて重畠光利の子供であった。教育費も惜しまず、子供たちには最高の教育を受けさせた。

成人した彼らは、ある者は政治家を目指し、あるものは医者になり、ある者は企業家として成功し、ある者は教職を続け、ある者は自衛隊幹部に就いていた。

長男であるアキラは東京都議会議員から今回都知事選に出馬し当選したのだった。

アキラの卵子提供者はブルボン王朝の血を引くフランス人女性で、アキラの目も青く澄んでいて、甘いマスクをしていた。政治家としても優秀だったが、また、タイミングもよかった。

というのも、前都知事の猪野川は、ある企業から闇献金を受け取ったのではないかという疑惑が浮上し、弁明の会見が開かれたが、そのとき激昂してしまい、号泣会見となって世間をアッといわせた。

子供のように泣きじゃくり、言っていることが半分もわからないような猪野川の記者会見の様子は、海外にも配信された。闇献金の真相より、この号泣会見が話題となったきらいもあるが、嘲笑の的になったのがよほど猪野川のプライドを傷つけたのか、自分から都知事を辞めていった。

長男のアキラだけは、他の1001人の兄弟姉妹と違い、父、光利の子として同じ家で育てられた。だから資産家の御曹司であることは有権者も知っていて、金に執着しない候補者だと判断された。今回の知事選は、とくに金にきれいな候補者を選んだ結果だったのだ。

それと、青い目の候補者に、見かけだけが理由で投票した年配の女性票の獲得に成功したことも大きな要因だった。「何も考えない人たち」をいかに取り込むか、そして、そんな「何も考えない人たち」の数さえ集めれば大きな力になってしまう民主主義というものの弱点をうまく利用して、アキラは都知事選に勝利したのだった。

こうして全国津々浦々に重畠家のネットワークができていった。全国都道府県の首長7人、国会議員も18人はすでに光利の息子や娘たちだった。

アキラが日本の首都東京の都知事になったことは、重畠家支配の、第一段階が終わった象徴的な出来事だったのである。

子供は1002人だったが、この子供たちも人工授精と代理出産を利用し、光利の孫は約30万人になっていた。2014年にタイでは代理出産が規制されるようになって、アキラたち息子と娘たちは、アフリカのズワンベ国や、中東のサイラム国で代理出産を頼むようになった。

その後20年で、日本の人口は少子化で5000万人になっていた。光利のひ孫の代になると、人口の半分は光利のDNAを持った子孫で占められていた。そしてとうとうアキラは総理大臣になり、大臣の半数、官僚の主要なポストは重畠家の人間が牛耳っていた。

光利の3男、28男、94女、179男、350女、502男が組織する自衛隊の一部精鋭が、クーデターを決行し、アキラを元首とする独裁国家を宣言した。

国名を「日本」から「シゲハタ国」と変更したのもこのころだった。光利のDNAを持った人間以外、子供を作ることは許されなくなった。全国の役所、学校、駅など主要な建物には、重畠光利とアキラの肖像画が並べて掲げられ始めた。この肖像画の前で一礼しないと不敬罪として捕まってしまう、文字通りの重畠家独裁国家になった。

それから300年。地球の人類はすべて光利の子孫だけになった。光利が描いていた理想の社会は、一応形の上では完成したといってもよかったのかもしれない。

しかしだからといって戦争も争いもなくなったかというとそんなことはなかった。血のつながった肉親の争いはむしろ以前よりも熾烈をきわめていた。世界のあちこちでは戦争が起き、テロ事件が多発し、殺人事件においては日常茶飯事だった。

そんな混沌とした世界で、光利の墓は聖地となっていた。墓碑にはこの言葉が刻まれている。

「人類みな兄弟」
 
 
 
 
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