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2014/09/29

香港民主派デモ隊"中環(セントラル)占拠"のニュース

140929(香港中環(セントラル)付近 1984年)

「中環占拠」開始=デモ隊が幹線道路遮断-香港民主派
「【香港時事】香港民主派は28日、金融街の中環(セントラル)地区を占拠して行政長官の選挙制度民主化を求める街頭行動の開始を宣言した。数万人の民主派デモ隊が、中環に隣接する地区にある政府本部付近の幹線道路を占拠。中環など香港島中心部の道路交通は大混乱に陥った。」(Nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/jiji-2014092800133/1.htm 参照

まだ香港がイギリス領だったころ、1984年から90年代にかけて、中国大陸へ入るために、よく香港を訪れていました。

アジア独特の混沌と猥雑さ、そして同時にどこか近未来的な匂いも併せ持った街が、香港の魅力でした。最初は中国大陸への通過地点という意識でしたが、偶然にも学生時代の親友が香港に海外勤務になったということもあり、香港は単なる通過地点ではなく、香港自体に興味を持ったのでした。

この時期、香港の若者にも中国大陸旅行ブームが沸き起こり、大陸を旅行中は、よく香港人といっしょになる機会も多く、また、彼らは半分中国人、半分外国人という特殊な立ち位置でもあったので、彼らと行動をともにすることで、中国の深いところを見せてもらったということもあります。

当時大陸を旅行中の香港人は「俺たち外国人は・ ・ ・」と言っていたのが印象に残っています。俺から見たら、「香港人も中国人だろ?」という感覚でしたが、香港人にとっては、「大陸人とは違う」ということを強烈に意識していたような気がします。とくに「生活水準」と「自由」について、香港人は優越感を持っていました。

だから時々、大陸人と香港人のいざこざを見ました。俺は外国人だという顔をして、好き勝手に振舞い、大陸人をさげすむような人間もいて、大陸人にとっての香港人は、ほかの第3国の外国人とは違った見方をされていたようです。「同じ中国人のくせに外人面しやがって」というセリフを聞いたのも、1回や2回ではありません。

そして6.4(1989年の天安門事件)が起こり、香港人の中国大陸旅行熱は一気に冷めたのでした。いずれ香港でもこういうことが起こるのでは?と予感した香港人もいたかもしれません。

香港が中国に返還されて、高度な自治はそのまま維持されてはきましたが、徐々に共産党色が浸透してきているのは、傍から見ていても感じるものでした。「民主主義的」な環境で暮らしてきた香港人が、いまさら一党独裁を受け入れることは想像できません。

中国は、新疆のウイグル問題やチベット問題を抱えていますが、民族問題よりは、むしろ都市と地方の格差、貧富の格差や、この政治の民主化の問題ということがボディブローのように効いてきて、中国がふたたび混乱へ向かうのではないかという予感のようなものが、ニュース映像から伝わってきます。

6.4(1989年の天安門事件)を連想させる映像なのです。
 
 
 
 
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2014/09/26

「長崎教会群・国立西洋美術館を世界遺産に推薦へ」のニュース

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「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本県)を、フランスの推薦枠で国立西洋美術館(東京・上野)を含む「ル・コルビュジエの建築作品」(7か国で共同推薦)を、共に世界文化遺産に推薦することを正式決定した。」
YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/national/20140917-OYT1T50056.html 参照

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産は:

長崎県 日野江城跡,原城跡(南島原市),平戸島の聖地と集落,田平天主堂(平戸市),
出津教会堂と関連遺跡,大浦天主堂と関連施設,大野教会堂(長崎市),
旧五輪教会堂,江上天主堂(五島市),野崎島の野首・舟森集落跡(小値賀町),
黒島天主堂(佐世保市),頭ヶ島天主堂(新上五島町)
熊本県 天草の崎津集落(天草市)

この中で、行ったことのあるところは、原城跡、大浦天主堂、天草の崎津集落ですが、崎津は好きなところのひとつです。訪ねたことが4回あります。

崎津天主堂は、中が畳敷きです。天草のキリスト教はここを中心に広がりました。乳飲み子を抱いた母親が「踏み絵」をさせられたこともあったという。今の静かなたたずまいからは、そういう悲惨で、血なまぐさいものは感じられません。

村の後ろの山には、チャペルの丘公園があります。500段以上の階段を上っていくと、公園からは、崎津集落と海と天主堂が一望に見渡せます。

しばらく休んでいると、船が来ました。周りが山に囲まれた湾だからでしょうか、船のエンジン音が特別大きく感じました。
 
 
 
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2014/09/25

クジラの食文化を守りたい気持ちはすごくわかるが、たぶん逆効果

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こんなニュースがありました。

「調査捕鯨継続を求める自民党が19日、党本部の食堂でクジラ料理の提供を始め、同党捕鯨議員連盟(鈴木俊一会長)のメンバーらが試食会を開いた。国際捕鯨委員会(IWC)総会で南極海の調査捕鯨再開を先延ばしする決議が可決されるなど逆風が吹く中、クジラの食文化を守るようPRするのが狙い。捕鯨とゆかりが深い同議連顧問の二階俊博総務会長の発案で、同氏からは「いろいろなことを言う外国の人が来日した時は(党本部に)来てもらってクジラをどっさり食わせたい」との挑発も漏れた。」(毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20140920k0000m010021000c.html 参照

クジラの食文化を守りたいという持ちは俺もすごくわかるんですが、たぶんこれは逆効果になると思います。とくに、

「クジラをどっさり食わせたい」

という挑発は。(冗談なんでしょうが)

だいたいにしてクジラに対して「いろいろなことを言う外国の人」は、絶対クジラは口にしないし、食堂へ行くこと自体拒否するかもしれません。

そもそも彼らは「クジラを食べる」ことを「食文化」とは考えていないのです。「かわいくて、知能を持った哺乳類を殺してはいけない。ましてや食べるなんて言語道断」という感覚でしょう。

なら、どうして牛や豚はOKなんだ?と反論したくなります。それはかわいくないから? 

俺も欧米人と話していて、反論したことは何度かあります。牛や豚が知能を持ってないのか?と突っ込みたくなります。でもそんな反論もむなしくなります。人間(白人)が決めた「家畜」は罪悪感なしに食べてもOKなのでしょうね。その線引きは神が創った人間(白人)がするらしい。

別に俺も特別クジラを食べたいとも思っていないし、「クジラが、食文化だ」というだけで説得できる時代ではないとも思っています。でも、反捕鯨派の理不尽な理屈は、あまりにも自分勝手なときがあります。

自分の主張が「絶対的に正しい」というところが、鼻持ちならず、そういった理屈で世界を支配しようとしているところに反発するイスラム集団の気持ちもわからなくもありません。

こういう記事がまた出ました。

「日本の虐殺がまた始まった!イルカの追い込み漁解禁で巻き起こる非難―米紙」Record China http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20140919034/1.htm 参照

和歌山県太地町のイルカ追い込み漁についての非難記事です。

「「伝統的なものであり、イルカは絶滅危惧種ではない」、「抗議する西洋人はあまりにも偽善的。これよりもさらに多くの牛、豚、羊が人々の需要を満たすために屠殺されている」、「違法ではない」と援護する声もある。」とありますが、彼らは「偽善的」であることを自覚していません。

さんざん、アフリカ人やアジア人を動物扱いした人たちが、いや、いまだに差別している人たちがですよ、「クジラやイルカを守る」と声高に叫んでいる図は、へたなお笑いを見せ付けられているようでこっけいです。

しかし当然といえば当然のことかもしれません。歴史的に見ても、奴隷解放と動物保護の考え方が起こってきたのは同じ時期だったということがあります。つまりどちらも「人間(白人)至上主義」という思想とどこか繋がっているんでしょうね。世界のルールを決めるのは人間(白人)だと。

ただ俺も、「伝統的なもの」だからすべて許されるかというと、時代は変わっていくので、「食文化」同様、「伝統的」だけでは説得力がないとは思います。だから日本のクジラ漁、イルカ漁に、もし続ける価値があるなら、別な理屈で説得するしかないのでしょう。
 
 
 
 
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2014/09/23

故河合隼雄氏の言葉。「僕は、実はサイコパスなんや」

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「僕は、実はサイコパスなんや」と言われたのです。「サイコパス」というのは、どういう訳がいいでしょうね、「精神異常者」と言ってもいいんでしょうか。・ ・ ・略・ ・ ・だから、最後まで臨床をお放しにならなかったのは、自分自身をもそこで治療しておられたとも、私は考えているのですけどね。」

これは、『日本における分析心理学』のP.80、日本ユング心理学会の川戸圓氏が故河合隼雄氏について語っている部分です。

どの程度をもって「異常」というのかはここではおいておくことにして、河合氏が自分が「異常」であること、それを自分で「治療」しているという自覚はあったんですね。

なるほど、と思います。

俺もそうです。ただ「サイコパス」と言えるほど異常ではないとも思っていますが。写真や絵や音楽によって治療しているという自覚は今はあります。前は自覚はなく、結果として治療していたんだとわかったということです。

精神の安定といったらいいか、安寧といったらいいか、求めているものはそんなところですが、その方法としての写真であり、絵であり、音楽であり、といった感じでしょうか。俺も芸術療法を理論ではなくて、実践から入ったということになるのでしょう。

それと前も書きましたが、「棚田」や「原風景」といったものに、人はどうしてひかれ、癒されるのか、ということも心理学的なアプローチから探ってみたいと思うようになりました。

掲載の絵は、芸術療法のための習作No.001 『双蛇』です。先日バリ島へ行って、あらためてバリ絵画を見ましたが、すっかり影響を受けてしまいました。あの空間の埋め方、ぴったり来るものがあります。 

 
 
 
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2014/09/18

使いづらい、だけど美しい 「旧暦棚田ごよみ」 平成二七年(2015年)版PV

平成27年(2015年)版の「旧暦棚田ごよみ」の予約受付始めました。PVが完成したので公開します。


写真・PV制作: 青柳健二
デザイン: 久野大輔
江戸暦画像提供: 旧暦・和のこよみ
ナレーション: 宮本麻美子
挿入歌: 田毎の月よ(ASIAGE)
発行: NPO法人棚田ネットワーク


旧暦は月の満ち欠けの周期を一ヶ月とし、太陽の動きで季節を知る太陰太陽暦です。明治五年まで、約千三百年もの間日本で使われてきた先人の知恵の詰まった暦です。

ただ旧暦は、年ごとに季節の日付が違うし、複雑に閏月を入れて日数の調整をしなければならないなど、言ってみれば、面倒くさい、不効率なものなのです。その点、棚田と似ているかもしれません。

明治政府は近代化のために合理的な新暦を採用しました。でも、どうでしょうか、今の時代、効率が良くて便利なのは当たり前すぎますよね?

ここであえて、面倒な旧暦を使ってみる。使いづらいから逆に意識するようになるし、見えてくるものがあるような気がします。

暦が私たちの生活に影響を与えるのは今も昔もかわりません。使いづらい「旧暦棚田ごよみ」で、より自然を意識し、日々の暮らしの中で季節感を取り戻すきっかけにしていただければうれしく思います。


ご予約は棚田ネットワークのHPで

http://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/
 
 
 
ところで、今回は、テーマ曲(挿入歌)を作りました。『田毎の月よ』です。曲としてはまだ完成していませんが。歌っているのはデフォ子さんです。

  ゆうぐれに 家路を急ぐ 返りみれば 田毎の月よ

  水鏡 映りし我の 心苦しき きみへの想い

この先、どう続けていくか、まだ考えていません。そのうち1曲として完成させます。

 
 
 
 
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2014/09/17

NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を観て

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先日、NHKスペシャル『臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか』がありましたが、後半の半分くらい見ました。

番組HPはこちら。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/

「『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。 20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、“死”について思索しようとしている。」(HPより)

この中で「意識」というものにも触れていましたが、脳内の複雑な「ネットワーク」こそが「意識」であるという説明は、納得できるものでした。

以前『ひとり会議』の中で書いたコンピュータの関係性が意識を持ち始めるという話【ひとり会議 その八】 「インターネット」に「こころ」?(2008/02/17)、これと似たような話が出てきました。「ネットワーク」ができるのは何も生物だけではなく、機械にもありえるという話です。

人が死んだら、ネットワークも消滅するので、「意識」はなくなると俺も思っていますが(だから死んだ本人にとっての死後の世界というものは無い)、「魂」と表現される霊的な存在も信じていることは信じています。

ただ、幽霊などのように「死んだ人の魂」がこの世に存在し続けて動き回るようなオカルト的話ではなくて、むしろ残された人の心に宿るその「死んだ人の魂」ということです。つまり「魂は残された人にとってのもの」と考えます。とくに親しい間柄だったら、なおさら「死んだ人の魂」というものは残された人の心に存在し続けるのではないかと思います。よく言いますよね。「私の心の中で生き続けています」って。

葬式は、だから死者のためではなく、残された人のために行われるのはもちろんです。その死をどうやって受け止めて納得するかは、まったく個人の問題で、科学や法律や世間の常識が介入できる話ではないと思います。それぞれの人が、自分で納得できる葬式をやるしかないのです。

その点に関しては、最近、自然葬、樹木葬、宇宙葬、海への散骨など、いろんなバリエーションができてきて、既存の宗教には囚われない、それこそ自然な流れになってきたなと思っていますが。

また番組では、死後の世界を気にする、心配する、恐れるというのが人間だみたいな表現があって、これも納得できました。

脳を発達させた、いや、発達させすぎたがゆえの不安感というものなのではないでしょうか。

たとえばヴィーノと比べると、それがよくわかります。犬は、たぶん、「いつかは俺も死ぬんだ」とは考えていないでしょう。(本能として危険を回避する行動はとりますが) 死の不安がないというのはとても幸せなことです。

ただし、こう思うのも、死の不安を考えてしまう人間だからなので、犬が、犬の感覚でどう感じているかは、人間にはわからないわけです。まぁあくまでも人間の立場からみたときの幸せに過ぎないのですが。

番組では、死んでからも、わずかな脳波は確認されたようで、何かが活動しているのは明らかなようです。

そのとき何が起こっているのか、「死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――」というテーマは、永遠にわかりません。臨死体験として、幽体離脱や、三途の川、光が導くなどのイメージは語られますが、そもそもまだ死んでないから生き返るわけで、完全に死んでしまって体験しても、それを生前の人間が知ることはできないという事実は永遠に残ります。

科学的な死への解明がいくら進んでも、死への不安はなくなりません。この死への不安を取り除いてあげるというのが宗教ということになるのでしょうが、ただ既存の宗教ではもう限界もあるような気がします。
 
 
 
 
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2014/09/16

平成27年(2015年)版 「旧暦棚田ごよみ」 予約開始

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「旧暦棚田ごよみ」(平成27年版)の予約開始です。

予約ページがNPO法人棚田ネットワークのHPにできました。

http://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/
 
 
 
 
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2014/09/15

素人に応急処置は難しい

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先日、図書館で突然発作を起こした男性がいました。

事務所に声かけて救急車を呼んでもらって、そばにいた他の人たちと横向きににさせて気道を確保しました。数分後救急隊員が来ました。

でも、とっさの判断で、この人がなぜ発作を起こして倒れたか判断するのはむずかしい。かりに心臓発作でそこにAEDがあっても使う判断ができるのかどうか、心配になりました。(図書館にはありませんでした)

今回の男性は、何の発作だったのでしょうか。息もして、心臓も動いていましたが、隊員が運んでいくまで意識はなく、「だいじょうぶですか?」との問いかけにも反応はありませんでした。

最初、長椅子で本を読んでいたらしいのですが、何か声がするのでその方を見たら、男が寝ているようだったので、「寝言か、うるさいな、まったく」と思ったのでしたが、だんだん声が荒くなり、目が飛び出し、ヨダレを流し、上を向いて、長椅子からずり落ちそうになったので、これは異常だと思って、」「だいじょうぶ?」と声をかけましたが、すでにその時反応はありませんでした。

心筋梗塞、脳溢血、テンカン、アレルギーの発作など、その区別は素人には難しいとわかりました。しかも短時間にです。

たぶん、種類によって、最善の応急処置があるはずですが、どうすればよかったのでしょうか。今回は運よく、救急車は速く来ましたが、そうじゃない場合、たぶんそばにいた人間の判断が大きいような気がします。

こういう緊急のときに何かできるような講習会に参加しておこうかななどとも考えました。 CMにもありましたね。この患者が自分だったらと考えれば真剣になります。

「人助けしたい」などというカッコいい理由ではなく、俺も何かあったら助けてほしい、お互い様だと思っているからです。
 
 
 
 
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2014/09/14

ブラジルタウン、群馬県大泉町の「大泉カルナバル」

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群馬県大泉町はブラジル人4000人をはじめとする外国人居住比率が約15%あり、全国一だそうで、「ブラジルタウン」とも呼ばれています。

市内にはブラジルふうのスーパーがあって入ったら、匂いが違う。それと商品の並べ方が違っています。肉の売り方は豪快です。軽食コーナーの人も愛想がいい。ブラジルへ行ったことはありませんが、ブラジル気分を満喫できます。

ブラジル人が多くなったのは、1970年代後半から80年代、人手不足解消のため、外国人労働者を受け入れてきたことに始まります。

1990年には入管法が改正され、日系二世・三世と、その家族は、日本に定住して働くことが認められようになりました。

俺も昔、東京で高層ビルの窓拭きのバイトをしているとき、南米の日系人といっしょに仕事をしたことがありました。

昨日は、ブラジル文化の理解や交流を目的に2007年から毎年開催されている「大泉カルナバル」の日。ポルトガル語で「カーニバル」のことです。ブラジルのほかにも、日本、パラグアイ、エジプト、インドネシアなど各国グルメの屋台も並び、サンバチームによるサンバコンテストも行われました。

焼肉の「シュラスコ」、ソフトドリンクの「ガラナ」を買いました。
 
 
 
 
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2014/09/12

雑誌「婦人之友」10月号に座談会「秋を感じる 花暦 空ごよみ」

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先日の座談会が掲載されました。

雑誌「婦人之友」10月号

園芸研究家の山田幸子さん、気象予報士の江花純さん、俺の3人の「季節感のある暮らし」についての座談会でした。旧暦棚田ごよみについても触れています。
 
 

雑誌「婦人之友」座談会のテーマは「季節感のある暮らし」(2014/08/03)
 
 
 
 
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2014/09/10

昨日は旧暦八月十六日(新暦2014年9月9日)、満月のスーパームーン

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昨日は、旧暦八月十六日(新暦9月9日)で満月でした。しかもスーパームーン。地球にもっとも近づいた時の月なので、より満月が大きく見えたそうです。7月と8月にもスーパームーンを見ることができましたが、見逃したので、昨日見ました。電線やテレビのアンテナの間から。

おとといは旧暦八月十五日(新暦9月8日)で、「中秋の名月」でした。メンドクサイ話なのですが、「中秋の名月」が満月とは限りません。

秋を初秋(旧暦七月)、中秋(旧暦八月)、晩秋(旧暦九月)の3つに分けますが、「中秋の名月」は、「秋の真ん中」=「旧暦八月十五日夜」のことです。だから旧暦では、「中秋の名月」は八月十五日で日付は固定されていますが新暦では、毎年、日付が変わります。

ちなみに、2013年の中秋の名月は9月19日、2012年は9月30日でした。
 
 
 
 
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2014/09/09

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (19 最終回 ) バリ島のビデオ 『Light of BALI』

バリ島のビデオです。

世界文化遺産になったジャティルイ棚田、プラ・ダレム・ウブドゥでのレゴンダンス、ウルワツでのケチャダンスなど。

これで一応、バリ島の旅の連載を終わります。(もう帰国してます)
 
 
 
 
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2014/09/08

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (18 ) ウブドゥのホテル「チャンプアン」

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ウブドゥの老舗ホテル「ホテルチャンプアン」に3泊しました。俺一人の旅行ならけっして泊まらないようなちゃんとしたホテルです。

ホテルのHPによると、

「聖なる2つの川が合流するその場所に1928年、ウブドで最初のホテルとして“ホテルチャンプアン”は創設されました。ドイツの画家、ウォルター・スピースをはじめ、かつては芸術家達の集うホテルでもあり、多くの著名な芸術家を暖かくもてなしてきました。」

ウォルター・スピースは、1927年からウブドゥに滞在しバリ島のアートに影響を与えた画家のひとりです。作品は、アルマ美術館などに展示されています。ホテルにはウォルター・スピースが宿泊していた部屋が残されています。

バリ伝統様式のバンガローの客室のベランダからは渓谷のジャングルが見えます。ときどき木の枝をリスが通っていきます。ここでくつろぐのは最高ですね。

ジャングルに囲まれた静かなプールでは、のんびりと日光浴もやりました。

サヌールでのパラセーリング初体験もそうですが、リゾートホテルも、こういう機会がないとなかなか泊まりません。

不満があるとすれば、Wi-Fiが、エントランスホールだけで、部屋では使えないということだけ。

 
 
 
 
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2014/09/07

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (17) サヌールのパラセーリングとナイトマーケット

140906_0(パラセーリングをやる俺?)

140907_2(サヌールビーチのピーナツ売り)

140907_3(ナイトマーケット、サテ屋)

140907_4(ナシチャンプル屋)

140907_5_2(バクソ屋)

140907_6(バクソ)

140907_7(キノコの天ぷら)

140907_8(甘いもの屋)

140907_10(バリ島風うどん)

140907_11(ヤドカリ)

バリ島のサヌール地区のホテルに2泊しました。今回後半は家族と合流しました。

パラセーリングも初体験。撮ってもらった写真が一番上の写真です。パラシュートの下にぶら下がっている黒い物体は、たぶん俺です。

別にテクニックは何もいりません。ボートが勝手に引っ張って、空に持ち上げてくれます。景色もいいし、風が気持ちよく、やみつきになりそう。

サヌールの北側に、ナイトマーケットがあります。暗くなってからベモ(乗合バス)で行ってみました。

それほど大きなマーケットではありませんが、バリ島の主要な軽食の屋台はそろっていました。

まずは、煙をあげながら焼いているおいしそうなサテ(焼き鳥)屋。

屋台をはしごしました。

バリ島内を走っていてよく看板を見ていた「BAKSO バクソ」。肉団子スープといったところでしょうか。肉団子には鶏、牛、豚(イスラム教徒以外)が使われるそうです。揚げ豆腐や麺状のものも入っていますが、残念ながら(?)コメの麺(ビーフン)ではありませんでした。春雨のようです。スープ自体はあっさりしておいしいですが、入れたサンバルが辛すぎました。

中華鍋で揚げていたのは、キノコの天ぷら。上から甘辛いソースやマヨネーズのようなものをかけ、チーズを削ってふりかけてあります。味付けはまるでたこ焼きのようです。だから味自体は悪くないのですが、キノコの味がしないのは残念でした。

それから、ウブドゥの市場でも食べた、もち米やバナナ煮などにココナツと蜜をかけた食べ物を売る屋台もありました。デザート感覚なのでしょうか。甘いものは「別腹」かもしれませんが。

最後に食べたのは、うどんです。これは今までインドネシアで食べた麺の中では、一番日本のうどんに近く、コシがあっておいしい麺です。ただスープは少なめで濃く甘く、黒いスープは見た目「伊勢うどん」のようでした。

マーケットの一角で売られていたのが殻にカラフルなペイントをした生きたヤドカリ。水槽の底でうごめいている姿はちょっと気持ち悪い。ミニチュアの家のようなものもいっしょに売られていたのは、たぶん、ヤドカリの家なんでしょうね。
 
 
 
 
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2014/09/06

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (16) インドネシアの定番メニュー「ナシゴレン」

140906_1(ウブドゥ郊外のレストランのナシゴレン・カンポン)

140906_2(ウブドゥ・カフェワヤンのナシゴレン)

140906_3(ジャティルイのゲストハウスのナシゴレン)

「ナシ・ゴレン」のnasi(ナシ)は、インドネシア・マレー語で「飯」、goreng(ゴレン)は「揚げる」の意味。だからインドネシア・マレーシアの炒飯料理のこと。

インドネシアの「ワルン」と呼ばれる食堂では必ずと言っていいほどある定番メニューのひとつです。

ご飯はインディカ米の長粒米を使いますが、いっしょにいれる具は様々です。ただ豚肉だけは、バリ島以外、イスラム教徒は使いません。

盛りつけは、目玉焼きや、クルプック(エビ味などのタピオカ製揚げせんべい)、生のキュウリなどが添えられるのが一般的です。

豪華なナシゴレンには、アヤムゴレン(フライドチキン)やサテ(焼き鶏)などが付いてくることがあります。そして忘れてならないのは「サンバル」。サンバルとはインドネシアふうの辛いソースのこと。これがピリッとした刺激で、ないと味にしまりがないように感じてしまいます。

写真上は、ウブドゥ郊外の地元民も行くレストランで食べた「ナシゴレン・カンポン」です。 カンポンとは村や田舎といった意味だそうで、昔ながらの伝統的なナシゴレンです。

10世紀ころから中国系の人々がインドネシアの島々の海岸に住むようになり、炒飯が現地化して現在のナシゴレンができたようです。中華系の炒飯よりは味付けが濃い(甘い)のがナシゴレンの特徴です。
 
 
 
 
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2014/09/05

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (15) ウルワツ寺院のサルとケチャ・ダンス

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ウルワツ寺院(Pura Luhur Ulu Watu)は、バリ島の南端、断崖絶壁に建っているヒンズー寺院。

境内に入るとき注意されました。ここはサルが多く、サングラスやカメラを奪い盗られることもあるという。それと女性はとくにイヤリングもはずすようにと。

実際、やんちゃな顔をしたサルがたくさんいます。人が近づいても逃げるようなこともなく、人が逆に迂回して歩く姿に、我ながら苦笑してしまいます。

断崖で、生卵を食べていたサルを発見。

写真を撮ったら歯をむいて威嚇されました。器用に卵の殻を割って黄身だけを食べるんですね。サルが生卵を食べる姿を初めて見ましたが、どうして生卵を持った観光客がいたのか、そっちの方も気になりました。

この寺院で有名なのが、日没時の境内で上演されるケチャ・ダンス。

「ケチャ (kecak) とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱。または呪術的な踊り(サンヒャン)にともなう舞踏劇。バリ島では、kを発音しないため、現地ではチャと呼ばれている」(Wiki参照

この日、大雑把に観客数を数えたら1800~2000人いました。すごい迫力です。

ちょうど太陽が沈み、夕焼けの空と海が背景に広がって、しかも三日月も見えてきて、舞台装置としては最高です。そこで演じられるケチャ・ダンスは、周りの観客を含めてまるでひとつの儀式を体験しているような感じでした。
 
 
 
 
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2014/09/04

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (14) ジャコウネコの糞から採った幻のコーヒー「コピ・ルアック」

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インドネシアのコーヒー生産量は世界第3位(米国農務省統計)ですが、日本はブラジル、コロンビアに次いでインドネシアからの輸入量が3番目に多いそうです(2011年度財務省調べ)。

以前、インドネシア・スラウェシ島のタナ・トラジャにあるキーコーヒーを取材したことがあります。コーヒーには、ロブスタ種とアラビカ種がありますが、高品質のアラビカ種の中でも最高峰といわれるトラジャコーヒーを生産しています。

バリ島には「幻のコーヒー」ともいわれる「コピ・ルアック」の農場が各地にあり、最近人気観光スポットにもなっています。

その中のひとつ、工程見学もできるテガララン棚田の北約1kmにある、Bali Pulimaを訪ねました。

「コピ・ルアック」というのは、ジャコウネコの糞から未消化のコーヒー豆を取り出したもので、独特のコクと香りがあるもの。ジャコウネコの分泌物や糞で味に深みがでるのでしょうか。

糞が奥深い味わいを生むというのは、中国貴州省の牛の糞になりかけの内容物で煮込んだ牛モツ料理で経験があります。「禁断の味」は、病み付きになりやすい?

オランダ植民地時代の18世紀のこと。コーヒー農場の地元の労働者が、ジャコウネコの糞に偶然コーヒー豆をみつけて飲んだのがコピ・ルアックのルーツだそうです。最初に「飲もう」と思った労働者は勇気がありましたね。

Bali Pulimaでは、もちろんコーヒーを買うこともできるし、飲むこともできます。農場のカフェでは、コピ・ルアックは1杯が50,000ルピア(約450円)ですが、バリコーヒー、ココアコーヒー、ジンジャーコーヒーなど8種類のコーヒーが無料で付いてきて試飲できます。

それぞれ個性的な味ですが、やはり濃厚なコピ・ルアックがおいしかったですね。今まで「それなりにおいしい」と飲んでいたバリ・コーヒーがとても粉っぽく感じてしまいました。

最近、このコピ・ルアック人気が出てきて、ジャコウネコを檻に入れ、無理やりコーヒーの実を食べさせて生産しているのが実情らしい。「動物虐待」と非難する人もいるようです。

俺も「動物虐待」は反対ですが、でも、ブロイラーを食べることなどが、どうして動物虐待に当たらないのか、そういうことを突き詰めて考えていくと、虐待かそうではないか、簡単な線引きはできないことがわかります。デリケートで難しいのです、この問題は。
 
 
 
 
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2014/09/03

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (13) バリ島の犬(チチン)と子犬(クルッ)

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140905_1(『地獄のおしおき』1971年 アナック・アグン・グデ・ライ・コンタ)

140905_2(『地獄のおしおき』部分拡大)

インドネシア語で犬のことは「アンジン」ですが、バリ語では「チチン」、子犬のことは「クルッ」というそうです。ネパール語では「ククル」といってましたが、似てますね。語源は同じなのでしょうか。

上から3つの写真は、ジャティルイ棚田の犬ですが、飼い犬なのか、地域犬なのか、区別がつきません。俺が暗い中ゲストハウスを出て田んぼに立ったとたん、犬たちも集まってきました。だから飼い犬だとしても夜も繋がれていないということになります。

バリ島では2009年に観光客に害を与えそうな野良犬殺処分プログラムがスタートしたそうです。野良犬が増え、狂犬病などの問題が出てきたからでした。「殺処分は観光のため」というのがなんとも…。処分方法をめぐっては非難もあったようです。今は狂犬病の注射もされていて、一応、流行は収まっているのではないかという話ですが。どうでしょうか。噛まれないにこしたことはありません。

4番目の白い犬は、世界遺産のバトゥール寺院にいた犬です。おとなしく、きれいな犬でした。

5番目は、サヌールのホテルで朝食をとっているときに現れた犬ですが、めちゃくちゃ太っています。肥満体で、逆に頭が小さく見えるくらいです。たぶん、観光客が食べ物をやたらとあげてしまうんですね。その観光客にとっては「ひと切れのわずかな食べ物」ですが、この犬にとっては1日どのくらいの量の食べ物をもらってしまうことになるのか、ちょっと想像すると恐ろしい。

きっとこの犬は短命です。すでに糖尿病になっているかもしれません。

6番目の子犬は、サヌールのビーチにいた犬で、欧米人の女性がかわいいかわいいといってじゃれあっているところ。なんとも絵になる光景ですが、あとで彼女の彼氏らしき男性もやってきたのですが、こちらもまたイケメンで、まるで映画のワンシーンを見ているようでした。

7番目の犬は、子犬の父親犬じゃないかと思ったのですが。模様が変わっています。貫禄があって怖い感じです。このサヌールのボスかもしれません。

8番目は、ウブドゥの王宮にいた犬。ちゃんと首輪もしているので飼い犬です。でも、放し飼いです。

9番目は、田園カフェへいったとき、田んぼにいた犬。このあと畦にはいつくばって何かを食べていました。

10番目は、ウブドゥでバイクに乗った犬です。ちゃんと自分で飛び乗りました。

ところで、プリルキサン美術館の風景画に棚田が描かれていたことは先日書きましたが、犬の姿も多く描かれています。

その中に、インドのマハーバラタ叙事詩をモチーフにした地獄図がありました。地獄では生前人々が行った悪い行いをつぐなうため様々なおしおきをされている絵です。

この絵の下、拡大したのが下の写真ですが、犬に囲まれて着物を引っ張られている女の人がいました。生前犬に悪さをしたんでしょうね。この女の人が持っているものも気になります。
 
 
 
 
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2014/09/02

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (12) プリ・ルキサン美術館

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140902_0(『田植え』 イダ・バグス・マデ)

140902_2(『村落でのバロンダンス』 1955年 イダ・バグース・マデ・ウィジャ)

140902_3(左:『寺院祭礼』1972年 右:『稲刈り』1982年 イ・マデ・シンテグ)

140902_4(『ダルマワンサの夢』 1957年 イ・グスティ・ニョマン・レンパッド)


ウブドゥで最も古いプリ・ルキサン美術館は美しい庭園の中に、3つの展示棟が建っています。古典絵画から現代絵画までそろっていて、展示数が多いので、全部見ることはできませんでした。

フラッシュ、三脚を使用しなければ撮影はOKとのこと。なので、高感度手持ちで撮影したので、じゃっかん写真(とくに色)に癖があるかもしれません。

とくに興味をひかれたのは、多くの風景画の中に棚田が描かれていること。もちろんバリの田園風景の中で棚田ははずすことはできないモチーフですが、それは昔の画家たちにとってもそうだったということを知って、なんだか嬉しくなりました。

イ・マデ・シンテグ作の『寺院祭礼』と『稲刈り』という作品が対になって展示してありました。どちらの絵にも、田んぼに水が入ったものと稲が黄色くなったもの、両方が描かれています。さすがこれは1年で2~3期作をやれる熱帯のバリ島らしい田んぼの風景です。

実際に今回は、テガララン棚田は植えて10日目くらい、ジャティルイ棚田は植えて1ヶ月くらい、タバナン北部の田んぼでは収穫時期、グヌンカウィ寺院では田植え直後と収穫後と、田んぼによって稲の生育具合はばらばらでした。

ところで、この美術館で最初に作られたギャラリーが「ピタ マハ」だそうで、その中にイ・グスティ・ニョマン・レンパッド(1862〜1978)の作品もあります。いろんなところで彼の作品を見る有名な芸術家のひとりです。

写真は1957年の作品、『ダルマワンサの夢』という絵です。

解説文には、「インドのマハーバラタ叙事詩の中で、ダルマワンサがある日、ヘビに巻きつかれた美女の夢を見た。その話を聞いた弟は、それは夢ではなくその女性は実在するのだと語った」とありました。
 
 
 
 
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2014/09/01

2014年夏 インドネシア・バリ島の旅 (11) SEKAA GONG KARYASA Presents レゴン・ダンス

140901_1( Pura Dalem Ubud )

140901_2(バリス)

140901_22(クビャール・トロンポン)

140901_3(レゴン・ラッサム)

140901_4(オレッグ・タムリリンガン)

140901_5(バロンダンス)

プラ・ダレム・ウブドゥで行われたSEKAA GONG KARYASA Presentsの レゴン・ダンスです。

 
 
 
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