クジラの食文化を守りたい気持ちはすごくわかるが、たぶん逆効果
こんなニュースがありました。
「調査捕鯨継続を求める自民党が19日、党本部の食堂でクジラ料理の提供を始め、同党捕鯨議員連盟(鈴木俊一会長)のメンバーらが試食会を開いた。国際捕鯨委員会(IWC)総会で南極海の調査捕鯨再開を先延ばしする決議が可決されるなど逆風が吹く中、クジラの食文化を守るようPRするのが狙い。捕鯨とゆかりが深い同議連顧問の二階俊博総務会長の発案で、同氏からは「いろいろなことを言う外国の人が来日した時は(党本部に)来てもらってクジラをどっさり食わせたい」との挑発も漏れた。」(毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20140920k0000m010021000c.html 参照)
クジラの食文化を守りたいという持ちは俺もすごくわかるんですが、たぶんこれは逆効果になると思います。とくに、
「クジラをどっさり食わせたい」
という挑発は。(冗談なんでしょうが)
だいたいにしてクジラに対して「いろいろなことを言う外国の人」は、絶対クジラは口にしないし、食堂へ行くこと自体拒否するかもしれません。
そもそも彼らは「クジラを食べる」ことを「食文化」とは考えていないのです。「かわいくて、知能を持った哺乳類を殺してはいけない。ましてや食べるなんて言語道断」という感覚でしょう。
なら、どうして牛や豚はOKなんだ?と反論したくなります。それはかわいくないから?
俺も欧米人と話していて、反論したことは何度かあります。牛や豚が知能を持ってないのか?と突っ込みたくなります。でもそんな反論もむなしくなります。人間(白人)が決めた「家畜」は罪悪感なしに食べてもOKなのでしょうね。その線引きは神が創った人間(白人)がするらしい。
別に俺も特別クジラを食べたいとも思っていないし、「クジラが、食文化だ」というだけで説得できる時代ではないとも思っています。でも、反捕鯨派の理不尽な理屈は、あまりにも自分勝手なときがあります。
自分の主張が「絶対的に正しい」というところが、鼻持ちならず、そういった理屈で世界を支配しようとしているところに反発するイスラム集団の気持ちもわからなくもありません。
こういう記事がまた出ました。
「日本の虐殺がまた始まった!イルカの追い込み漁解禁で巻き起こる非難―米紙」(Record China http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20140919034/1.htm 参照)
和歌山県太地町のイルカ追い込み漁についての非難記事です。
「「伝統的なものであり、イルカは絶滅危惧種ではない」、「抗議する西洋人はあまりにも偽善的。これよりもさらに多くの牛、豚、羊が人々の需要を満たすために屠殺されている」、「違法ではない」と援護する声もある。」とありますが、彼らは「偽善的」であることを自覚していません。
さんざん、アフリカ人やアジア人を動物扱いした人たちが、いや、いまだに差別している人たちがですよ、「クジラやイルカを守る」と声高に叫んでいる図は、へたなお笑いを見せ付けられているようでこっけいです。
しかし当然といえば当然のことかもしれません。歴史的に見ても、奴隷解放と動物保護の考え方が起こってきたのは同じ時期だったということがあります。つまりどちらも「人間(白人)至上主義」という思想とどこか繋がっているんでしょうね。世界のルールを決めるのは人間(白人)だと。
ただ俺も、「伝統的なもの」だからすべて許されるかというと、時代は変わっていくので、「食文化」同様、「伝統的」だけでは説得力がないとは思います。だから日本のクジラ漁、イルカ漁に、もし続ける価値があるなら、別な理屈で説得するしかないのでしょう。
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