
カナダ首相「議会銃乱射はテロ」
(日経新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM23H0T_T21C14A0MM0000/ 参照)
カナダでテロと聞いて意外な感じがしました。今まで「安全な国」というイメージが強かったからです。でも、今や「安全な国」は、日本も含め、存在しないかもしれません。
今回は、世界で危惧されているイスラム国の過激思想に触発された犯行の疑いが強いらしい。直前に、カナダのイスラム国への空爆決定がされて、タイミングを考えるとそうなんだろうと思います。
「帰国テロ」については危機感を持って、各国対応が始まっていましたが、イスラム国へ行かなくてもテロは起こしてしまう若者が実際にいるということがはっきりし、テロとの戦いは、一段ステージが上がったといわれています。イスラム国は世界中の不満を持つ若者たちに「錦の御旗」を与えてしまったのです。個人でのテロがやりやすくなってしまいました。「テロの個人化」のステージです。
日本でも先日イスラム国へ行こうとしていた大学生が事情聴取を受ける騒ぎがありました。
そのとき報道でさかんに言われたのは「どうしてイスラム国へ行こうとするのかわからない」ということでした。それを聞いて、俺は「あなたたちがそういう考えだから若者は行こうとするのではないか」と思ったのです。
どういうことかというと、これはイスラム国だけの問題ではなくて、新興宗教やカルト教団も同じだと思いますが、「普通」から外れた若者の受け皿が今の日本には(もしかしたら欧米諸国も)ないからではないかとも思います。
誤解されないように断っておきますが、俺もイスラム国がやっていることは嫌いだし、もし若くても、イスラム国へはいかなかったでしょう。カルト教団に入らなかったのと同じように。ただ、行きたくなってしまう若者の気持ちも、少しわかります。俺も若いころは危ういところにいました。あるカルト教団から誘われても断わることができたのは、結果的に「旅」があって助けられた、という話は以前書いたとおりです。
この一段レベルの上がってしまった「テロとの戦い」は、単純にどこかの国や組織を攻撃し、破壊してもだめなのです。根本問題は解決しません。
「テロとの戦い」はむしろ原因を外(たとえばイスラム国など)に求めるのではなくて、内面の問題を解決するしか方法は無いのではないかと思います。これはたいへんです。長期戦にもなります。
内面の問題とは、さっきも書いたように、「普通」から外れた人のこころを受け入れてくれる「もの」あるいは「場所」あるいは「団体」あるいは「つながり」という解決策がないことです。
「どうしてイスラム国へ行こうとするのかわからない」という言葉は、俺の耳にも違和感があります。これが一般日本人の感覚なんでしょう。この言葉の中には「この幸せな日本に住んでいるのに何が不満なのだ?」という裏の意味を感じます。
ここです。問題は。
今の社会について疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的多数派の人々。むしろこの多数派の人間が本当は病的で、社会になじめない少数派の人間がまともにさえ見える社会です。そして「平和で、自由で、安全で、平等な国」というのも、しょせんは「他人の理想郷」であるし、また、建前(もっと言うなら「嘘」)であることをみんな薄々感じながらも、それを意識してしまうと生き辛くなるので、無意識に押し込めているというのが現状ではないでしょうか? だから圧倒的多数派と言っても、いつでも少数派になりえるということでもあり、結局みんなのことです。
こういう建前社会に、ついていけない人は正直なのかもしれません。建前社会になじめない少数派の人間の方が、本当はまともな人間なのではないかとさえ見えてしまうのです。
とにかく、今の社会に生き辛さを感じる少数派の人は、なかなか行き場所がありません。この内面の問題を解決しない限り、若者(若者ばかりではないですが)がイスラム国などカルト集団に向かってしまう怖れは続きます。この「内面の問題解決」こそ、これからの「テロとの戦い」なのだと思います。

にほんブログ村
最近のコメント