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2014/11/30

「ジオラマ作り」、「棚田に立つこと」、「箱庭療法」の共通点

141130(新潟県十日町市松之山 天水島留守原の棚田)

小学生のとき、学校の宿題でジオラマを作りました。

現物が残っていないので詳しくは忘れてしまいましたが、50cm四方ほどの大きさがあったと思います。ダンボール紙を雲形に切り抜き、それを大きいほうから順に層になるように重ねて「丘」を作りました。ダンボール紙の曲線が、ちょうど等高線のようになるわけです。それに色を塗って「丘」にしました。

水色を塗って川を作り、ダンボール紙を小さなブロック状に切って張り合わせて建物にしました。線路も作ったような気がします。今から思えば(こじつければ)、この層が「棚田の段差」に見えなくもないかなと思います。

前も書きましたが「箱庭療法」に興味を持ったのは、ユング心理学の河合隼雄氏の本で知ったからでした。棚田のある風景に立つことと、箱庭を見ている感覚が似ているなぁと思ったからです。そして最近思い出したのは、この小学生時代に作ったジオラマのことでした。3つには共通するものがあります。

ずいぶん前のことなのにはっきり覚えているのは、「気持ちが良かった」からです。ジオラマ作りは「世界を作っている」という感覚があるということなのでしょう。自分の世界観の表現だったのではないでしょうか。

以前、ある俳優のインタビューを聞いたとき、彼が子供のころ、ミニチュアを動かして、勝手に物語を作り、ひとりで遊んでいた、みたいな話を聞いて、なるほどなぁと思ったものでした。彼もまた物語を作ることで自分の世界観を表現していたのでしょう。

「箱庭療法」の真髄は「砂を使う」というところであって、必ずしも「世界を作る」こととは別なのかもしれませんが、調べていくと面白いことがわかってきました。

「箱庭療法」というと精神的な問題を抱える人たちに対する治療方法というイメージですが、箱庭遊びは、何も治療方法だけではなくて、昔から遊びとして行われていたことでした。

日本でも小学校の教科書に載っているくらい、1950年代までは一般的な遊びだったようです。

面白いことに江戸時代にもありました。お盆の上で風景を作った「盆石遊び」と呼ばれるものです。箱庭遊びをする道具まで売られていたそうです。

物理学者の湯川秀樹氏も、幼いころに盆石遊びで自分の世界を作っていたらしい。

子供のころ、砂浜で砂遊びをして楽しかった思い出は多くの人が持っていると思うし、砂遊びそれ自体に癒しの効果はあるようです。砂に触ることで、自然や「母なるもの」を感じ、童心に返るということらしい。意識が退行して無意識世界に近づくということです。

箱庭療法は、イギリス人ローエンフェルト女史が考案した「The World Technique (世界技法)」というものを元に、スイスのカルフ女史が「Sandplay Therrapy (砂遊び療法)」として発展させたものです。

スイスにも昔からミニチュア玩具で遊ぶ伝統があるそうで、この箱庭療法が生まれた場所がスイスだったというのは必然だったのでしょう。

そして河合隼雄氏が日本に導入しました。日本にも伝統的に「箱庭遊び」があったということが、日本で抵抗無く受け入れられた理由ではないかということです。

日本のミニチュア玩具(フィギュア)もすごいですし。

精密機械作り(時計など)も得意だし、スイスと日本には共通点があるようです。
 
 
 
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2014/11/28

日本のシルクロード 世界遺産 「富岡製糸場と絹産業遺産群」

141128_1(富岡製糸場近くの路地)

141128_2(富岡製糸場の南側を流れる鏑川)

141128_3(荒船風穴近くの柿木)

141128_4(田島与平旧宅近くの深谷ネギ畑)

来年度雑誌で「日本の世界遺産」の連載をやることになったので、第一弾として群馬県の世界遺産 「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成要素4ヶ所を撮影しました。(掲載の写真は雑誌では使わないカットです)

「富岡製糸場」、「荒船風穴」、「高山社跡」、「田島弥平旧宅」の4ヶ所です。

「富岡製糸場」は世界遺産登録以降、開門するとすぐに観光客でいっぱいになるというので、開門前に撮影させてもらいました。

「富岡製糸場」はフランスの技術を導入した日本初の官営の機械製糸工場で、明治5年(1872年)に設立され、国内養蚕・製糸業を牽引しました。

資料棟には当時使われていたフランス製の機械も展示されています。入り口の正面のレンガ壁には「明治五年」のプレートも見えます。明治五年といえば、日本で旧暦が使用されていた最後の年でもあります。

製糸工場の南側には川が流れています。スタッフと話をしたら、この川は利根川水系の鏑(かぶら)川で、上流に「荒船風穴」があると教えてくれました。

「荒船風穴」は自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)貯蔵施設です。それまで年1回だった養蚕を複数回可能にしました。取引先は全国各地、朝鮮半島にまで及びました。

下仁田の街を過ぎ、神津牧場を経由した、かなり山の中です。今は建屋はなく石垣が残っているだけですが、温度計も設置されていて、外気温と石垣の下から出ている冷気の温度が示されています。手をかざすと冷たいのがわかりました。

「高山社跡」は日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した養蚕教育機関です。建物の中も見学が可能です。2階に上がると蚕棚が並んでいました。

「田島弥平旧宅」は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島与平の旧宅です。瓦屋根に喚起設備を取り入れた近代養蚕農家の原型です。今も住民がいますが、庭先までは開放されています。

この周辺にはネギ畑が多いですが、「田島弥平旧宅」のほかにも江戸末期から明治にかけて建設された2階建ての養蚕農家がまとまっていて、外からの見学が可能です。

村に売店があったので、深谷ネギと柿を買いました。

この4ヶ所を周るのは意外と大変です。距離が離れていることと、公共交通機関が少ないことです。ゆっくり撮影しながらだと1日で4ヶ所を周るのは難しく、俺は2日間かかりました。
 
 
 
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2014/11/27

「和紙、ユネスコの無形文化遺産に登録」のニュース

141127(深山和紙にプリントした雲南省元陽の棚田写真)

「和紙、ユネスコの無形文化遺産に登録決定」のニュースがありました。

日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26H74_W4A121C1000000/ 参照

登録対象は細川紙(埼玉県)、本美濃紙(岐阜県)、石州半紙(島根県)ですが、全国には、他にも和紙の伝統を守っている人がいます。

山形県白鷹町には深山(みやま)和紙があります。

以前、深山和紙に棚田の写真をプリントしたことがあります。まるで浮世絵のような落ち着いた色になります。和紙独特の表面の荒さがまたいい味を出しています。

この深山和紙は、400年前に始まりました。上杉藩の御用紙として使われていたそうです。

和紙漉きは農家の冬の仕事でした。でも、だんだんやる人がいなくなったとき、技術を教えてもらいながらも、試行錯誤でその伝統を引き継いでいるそうです。

深山和紙についてはこちらに詳しく出ています。

http://okibun.jp/miyama/
 
 
 
 
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2014/11/24

健さんの追悼番組の映画『あなたへ』&NHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」

141124長崎県佐世保市「展海峰」からの九十九島の絶景(映画とは関係ありません)

昨日、健さんの追悼番組『あなたへ』を観ました。今日はNHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」をやっていて、その中にも『あなたへ』の撮影現場が出てきました。

この『あなたへ』は、派手ではないけど、ジワーッと心に染みるいい映画だったんですね。しかも「ロードムービー」とか、「車中泊」とか、「旅と放浪の違い」とか、そういうキーワードに興味を持っている人間には必見の映画でもあるようです。

旅の途中で知り合うビートたけし扮する自称「元先生の男」は、健さん扮する主人公倉島英二に「旅と放浪の違いは何だと思いますか?」と聞くシーンがあります。男は「旅は帰る場所があることで、放浪はないこと」みたいな意味のことをいいます。

俺も以前から、「旅と放浪の違い」をずっと考えてきましたが、「旅は帰る場所があることで、放浪はないこと」というせりふには共感できます。もうひとつ「旅は目的地がある身体的移動で、放浪は目的地が無い精神的な漂流」だと思っています。

だからこの映画の倉島英二の場合、最初は「妻の生まれ故郷」という目的地へ向かうので「旅」であったのが、長崎の平戸の漁港で地元の人たちに関係を持って自分の生き方を変えたことで、結果的には「放浪」になっていたことがわかります。

【ここから先ネタバレ注意】

その「旅」から「放浪」へ変えたものの一番のきっかけは、大滝秀治扮する地元の老漁師の言葉であったようです。それは健さんのインタビューからわかったことですが、老漁師は、英二の妻の海への散骨が終わって港に帰ったとき、「今日はひさしぶりに美しい海を見た」といったのですが、このせりふで英二(健さん)は涙します。この言葉に込められた地元の漁師の諸々を英二は感じ取り、そして自分は刑務官を辞めて、犯罪を見逃す「共犯者」になることを決意するのでした。翌日、漁港の郵便局から辞表を投函します。

妻の遺言の葉書に導かれるように平戸までやってきた英二でしたが、帰る場所があったはずの「旅人」から、仕事も辞め「共犯者」になることで、「放浪者」へと変化していったといえるのではないでしょうか。

ところで『幸福の黄色いハンカチ』など、ロードムービーに出演していることだけではなく、健さんの生き方そのものが、「旅人」や「放浪者」をイメージさせるものを持っているような気がします。

健さんは、大学卒業後、サラリーマンをする気がなくて、食べるために俳優を始めたそうですが、人気が出るのと反比例して「俳優とは何なんだ?」ということに悩み続けます。

「生き方が、芝居に出る」

といっています。芝居の技術ではなく、現場で実際に感じるものを大切にしていました。だから同じ芝居は二度とできないともいいます。

「高倉健」というのは、健さん自身と、観客・ファン・スタッフとが、いっしょに造り上げてきたというか、磨きあげてきた理想の俳優像だったのかもしれません。大げさに言えば日本人の総意が造り上げた「まじめで不器用なアイドル」なのではないでしょうか。逆に言えば、現実社会では「まじめで不器用な生き方」が、いかにできないか、ということの裏返しでもあるんでしょうね。

そこを健さんは自覚していたのでしょう。日本人の、ひとつの理想像を生きていくことを。そして俺にとっては、「旅人のアイドル」でもあります。

健さんは、映画や俳優をやる意味を、正確な言い回しではありませんが、こんなふうに語っています。

「映画に出てくる人間を演じることで、「こういう人生もあるんですよ。悪くないんじゃないですか?」と言いたいわけですよ」と。

刑務所の慰問に訪れた健さんが受刑者たちを前にして、「みなさん、ここを出て、大切な人のところへ早く帰ってください」と涙声で話をしていた姿に、健さんの、陽の当たらない人間に対する優しい眼差しを感じます。そういう役だけ演じてきた健さんだからこそ、説得力があります。ジーンとしてしまいました。

あらためて高倉健さんに生前会ってみたかったなぁと思います。
  
 
 
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2014/11/23

2015年の干支「未・羊・ひつじ」のトンパ文字デザイン

141123

もうこんな季節になったんですね。

恒例ですが、来年2015年の干支「未・羊・ひつじ」のトンパ文字デザインをアップします。年賀状印刷できるほどの解像度がありますので、ダウンロードしてお使いください。

なお、年末に向けて、デザインを増やしていく予定です。

http://www.asia-photo.net/yunnan/dongba/2015/index.html

トンパ文字(東巴文)は中国雲南省北西部、麗江を中心に住むナシ(納西)族に伝わる象形文字です。




『桃源旅人(中国雲南省は桃源郷だったのか?)』が、Kindle(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)から出版されました。

桃源旅人(中国雲南省は桃源郷だったのか?)

内容紹介:

「桃源郷」は中国六朝時代に活躍した詩人・陶淵明作『桃花源記』以来「シャングリ・ラ」などと同じ、俗世間から離れた「理想郷」という意味で使われている言葉です。
『桃源旅人(とうげんりょじん)』は「どうして雲南省にひかれたのか」をテーマにした小説風旅行記です。雲南の山を歩き、山に分け入って体験した世界は「桃源郷」だったのでしょうか。文字数は約106,000字(400字詰め原稿用紙265枚分)あります。一部、雲南までの直行便を就航していたJAS の機内誌「ARCAS」に1年間(12回)連載した『雲の南の少数民族たち』を加筆修正したものもあります。


目次:

「大理の田植」
日本を出てから二週間かけてたどりついた雲南省の大理。田植えをするペー族や、湖畔の村で知り合った家族との出会いは、子供のころを思い出させた。

「山の祭り、挿花節」
雲南中部、大姚県の山中で行われた祭り。当時、大姚県は外国人には未開放(勝手に旅行できなかった)だったので、私は香港人になりすまして祭りを目指した。地元のイ族女性に案内されて祭りを見物したが、その夜意外な事件が起こってしまった。

「ナンヌオ山のハニ族」
雲南省南部にナンヌオ山というアイニ族が住む山がある。村人に無視されながらも、ある結婚式に参加することになった。宴会が続き、酒の酔いもあいまって、俺はいったいどこにいるのだろう?と、頭の中が真っ白になって眩暈を感じた。しかしそれは、心地好い感覚でもあった。

「夕暮れの瀾滄江」
雲南省南部、西双版納タイ族自治州に住むタイ族の生活は、瀾滄江の流れのようにおおらかなものだった。ある日の夕方、瀾滄江で見かけたタイ族女性の姿を見ながら、あることに気がついた。

「神虎の棲む山、玉龍雪山」
雲南省北西部、世界遺産になった麗江の大都会。それとまったく対照的な峡谷の小さな村。そこには「神虎」が棲むと、地元の男に教えられる。険しい峡谷を歩くうち、「神虎」というものを信じざるをえないような不思議な体験をした。

「さいごに(あとがき)」
桃源郷とは?


 
 
 
 
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2014/11/21

高倉健さんが出演した 『単騎、千里を走る。』 での仮面劇「地戲(ディーシー)」

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上に掲載の写真は1988年ころ、貴州省鎮寧郊外の村で撮影した「ディーシー」です。

映画の中で実際に『単騎、千里を走る』を踊っていた人たちは、貴州省西部、安順市の人たちだったようです。(エンドロールにも、そう出ていました)

雲南にも仮面劇がありますが、貴州の方が昔のまま良く保存されていることで有名でした。だから俺もそれを見たくて、春節(旧正月)の時期、安順付近に滞在していたことがあります。

これを「地戲(ディーシー)」といいます。安順市、鎮寧県近郊の村々に伝わる仮面劇で、春節期間中それを見ることができました。

「地戲」は、明朝時代にこの地方に移り住んだ漢族の兵隊たちが娯楽としてやっていたものを、地元の農民が真似てやり始めたのが発端だと言われています。そういうわけで、「地戲」の演目は漢族の物語からとったものが多いのです。『千里走単騎』もそのひとつ。

ところで、「地戲」と呼ぶのは、特別のステージを使わないで、地面の上でやるからです。写真を見てもらえれば、わかりますよね。演者と観客が同じ地面にいます。観客は周りを囲んで見物します。

俺が訪ねた村では、春節の五日目から十五日目まで毎日行われるそうで、その期間、「地戲」を見物に方々から人が集まってきていました。半分はプイ族です。「地戲」は午後3時ころから始まって約3時間続きました。

これと平行して、隣のグラウンドではバスケットボールの村対抗戦が行われていたり、ビデオ館ではスピーカーで放映中のビデオの音を流し若い人たちを呼び込んでいて、たいてい「地戲」を熱心に見物しているのは老人たちでした。

プイ族の若い人たちの一番の目的は「ガンピャオ」と呼ばれる集会です。要するにナンパ大会でした。ここで異性と知り合って結婚相手を探すのですが、今もやっているんでしょうか。こういった習俗は廃れてしまったかもしれません。
 
 
 
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2014/11/18

高倉健さんが出演した雲南が舞台の映画 『単騎、千里を走る。』

141118(世界遺産 雲南省 麗江古城)

01(世界遺産 雲南省 麗江古城)

02(玉湖 ナシ族民家)

03(石鼓鎮)

高倉健さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

最近はニンニクのCMに出ていたし、元気なんだなぁと思っていたのですが。

健さんと言えば日本を代表する俳優のひとりです。いや、世界的な俳優でした。とくに中国では、昔から知られていました。

1984年、俺が初めて中国へ行ったとき、列車の中で中国人と話をしていると必ずといっていいほど出る話題が、「ガオツァンジェンを知っている」でした。

「ガオツァンジェン」と聞いてすぐ「高倉健」だとわかる人は中国語がある程度できる人。俺はほとんどできなかったので、発音ではわからず、知らないと首を横に振ると、「お前日本人のくせに、どうしてガオツァンジェンを知らないんだ?」と非難されました。「じゃぁ、ツイプーは?」と聞かれ、知らないと答えると「追捕」と書いてくれましたが、その映画らしいタイトルも知りませんでした。

中国では「タカクラケン」でも「ケン・タカクラ」でもなくて「ガオツァンジェン」なのです。名前を漢字で書いてもらって、ようやく分かりました。

中国と健さんを結びつける映画で印象に残っているのが『単騎、千里を走る。』 (千里走単騎)です。

チャン・イーモウ監督は、健さんのファンでした。いつかいっしょに映画を作りたいと考えていたそうです。

あとでわかったことですが『追捕』とは、映画『君よ憤怒の河を渉れ』の中国でのタイトルだったので、俺が知らないのも仕方のないことだったのですが。

この映画によって健さんが中国で人気を博したとのことです。公式サイトによると、チャン・イーモウ監督は1979年ころにこの映画を観たと答えています。(日本では1976年に公開されたそうです)

『単騎、千里を走る。』のロケ地は、雲南省麗江の他、麗江郊外の石鼓の村、元謀の土林などでも撮られています。「長卓宴」という、ハニ族の「長街宴」と似た多人数の食卓風景も出てきますが、これはどこで撮られたのでしょうか。映画用かもしれません。

多少、設定に無理を感じたところもありますが(主人公「高田(健さん)」が雲南へ行く動機に唐突さを感じたこと、中国の刑務所に外国人が入る許可が簡単に下りたことなど)、「映画だから」と割り切れば気になるほどのことでもありませんが。

出演者(中国人)は素人だそうで、しかも実名で登場していたらしい。素人の人たちの演技と思わせない自然な感じは、さすが、チャン・イーモウ監督です。雲南の匂いを感じさせる映画になっていたので好きな映画のひとつになりました。

高田と少年ヤンヤンとのふれあい。言葉ができなくてコミュニケーションがうまくいかないことは外国を旅するとよくあることですが、もしかしたら、この場合、言葉が通じないからこそ、高田と少年ヤンヤンとは、心が通じ合ったのかな?とも思います。どんなに通信手段が発達しても、直接出会って、目と目を見て、体温体臭を感じることの意味は大きいでしょう。言葉(理屈)ではなく、体(感覚)で分かることの大切さみたいなことを、監督は表現したかったのではないか、とも思うのです。言葉が通じなくても、心は通い合うということは、俺も、外国を旅してたまに実感します。

そう考えると、高田が、仮面劇の撮影はしなくても良くなったのに、あえてまた刑務所へいって少年の父親に会う意味もわかります。写真だけなら、あとでプリントでもして渡してもらえばすむのに、高田は、直接彼に会いたかったのでしょう。いや、会う必要があったのです。直接会って、ヤンヤンを思う父親の気持ちを感じることで、高田自身もそこに自分を投影し、自分の息子との距離を縮めることができると考えたのかもしれません。ただ悲しいことに、そのとき、すでに高田の息子は亡くなっていたのですが。

主人公の高田はかっこ良かった。いや、ちょっと良すぎたかな。チャン・イーモウ監督の思い入れなのでしょう。全体的には「遠くから来た日本人を助ける親切な中国人たち」という仕上がりにもなっているので、中国人にも評判は良かったのではないでしょうか。今のように日中がこじれる前の、いい関係だった時代です。

ところで、高田の息子が、雲南に6ヶ月滞在し仮面劇を撮っていたことといい、その息子が麗江の玉流雪山をボーっと長時間眺めていたことがあったことといい、高田と息子の会話があまりないことといい、「まるで俺の話しだな」と、観ていて思ったのでした。しかも、この息子は「健一」という名前でした。

この映画は、父親と息子の関係修復のドラマといっていいでしょう。父親と息子って、難しい関係ですよね。分かり合う前に、俺の父親は数年前に死んでしまいましたし。

健さんが雲南を舞台にした映画に出てくれて感謝しています。この映画は健さんとともに忘れられないものです。もう一度、この 『単騎、千里を走る。』 を観てみたくなりました。

中国でもニュースに。

高倉健死去、中国で悲しみの声=「彼のドラマで日本好きに」「高倉健の代わりは誰にも務まらない」
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20141118029/1.htm) 
 
 
 
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2014/11/17

今日は、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」

120110_1(千葉県鴨川市大山千枚田)

今日は旧暦閏九月二十五日(新暦11月17日)、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」です。

ここでいう「きんせんか」とは水仙のこと。キク科の金盞花(キンセンカ)ではないそうです。調べないとこれはわからないですね。

日本では正月の花。吉祥をあらわす花でもあるそうです。
 
 
 
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2014/11/14

「夢日記」をつけて創造のエネルギーを取り戻す方法を探る(1)

141114

夢日記をつけ始めて約2か月。その間毎日夢を見ていますが、たいていは忘れてしまい、なかなか印象的な夢はそう多くはありません。

俺にとって印象的な夢というのは、視覚に訴えるものといっていいかもしれません。ようするに「絵」や「写真」や「映画」のように、印象的なシーンで覚えている夢です。

夢を写真に撮れるような機械を発明したら、ノーベル賞ものでしょうが、SF映画じゃぁあるまいし、現実的には、とうぶん無理でしょうね。

こんな機械が発明されたら人生が変わります。いや、「変わります」というのは、いい意味だけではなく、悪い意味もあります。

無意識の中への深入りは危険でもあるらしいのです。無意識から帰ってこれなくなることです。

心理学者ユングも、6年間、方向喪失の時期があり、この間、夢を記録しイメージを絵に残しています。

ユングは規律を作って自分に課していました。まず、現実とのつながりを強く持つこと。無意識からのメッセージをできるだけ言葉に翻訳することなどです。

そういう注意をすれば、無意識からのエネルギーを心に取り戻すことができるようです。

これは「祭り」の効用と似ているなぁと思います。

本来の祭りは、非日常の世界を体験することで、世間体など忘れて馬鹿騒ぎすることは、子供の遊びと同じで、無意識世界に降りて行って、心を元気にするという意味もあるはずです。

普段は意識の世界に生きて、許された場では、無意識に遊び、また意識の世界にすんなりと戻れる人が、精神的には理想的であるらしい。

ちなみに今朝見た夢はこんなもの。視覚的な夢ではありませんでした。

 「36」という数が大切だった。それ以上は「多数」であり、区別されないという仮説があった。

これをどう解釈して自分の創作活動に利用すればいいっていうんでしょうか。

最初、「36」が何の意味があるのか、わかりませんでしたが、もしかしたらこれかな、ということに気がつきました。そういえば「36」だったような。あまりうれしい数字ではありません。そしてこの数字の上は、「多数」であり区別が無い、ということも腑に落ちるものに気がついたのです。だから普段は意識化しないように無意識内に押し込めていたとはいえるでしょう。

そこまでは気がついたとして、それから先はどうすべきなのでしょうか。まだわかりません。そこを意識することがまず大切なのでしょうが。
 
 
  
 
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2014/11/12

今日は、二十四節気「立冬」の次候「地始凍(ちはじめてこおる)」

141112

今日は、旧暦閏九月の二十日(新暦11月12日)です。

二十四節気は「立冬」で、次候「地始凍(ちはじめてこおる)」です。

いよいよ寒い季節がやってきます。
 
 
 
 
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2014/11/09

「尊厳死宣言の米女性死亡」のニュース 「尊厳死」が「絶望」から救ってくれる「希望」

070927
 
尊厳死宣言の米女性死亡
(nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014110301001320/1.htm参照)

予告していたので、事前に知っていたわけですが、もしかしたら、思いとどまったのではないかという憶測も流れていました。やっぱり「その時」が来たら、「生きたい」と思い、やめたのではないかと一時思ったのでしたが・ ・ ・

でも、実行してしまったわけです。

バチカンが批判するコメントを出しています。賛否両論あるのは当然でしょう。文化の違いや、考え方の違い、いろんな考えのある中で、結論が出る問題ではないと思います。俺も正直わかりません。

ただ、選択肢として認めてもいいのかも、とは思います。彼女もインタビューで答えていました。「尊厳死できるという選択肢があることで安心していられる」と。

この感覚は俺にもわかります。最終的に尊厳死を選ばなくてもいいのです。苦痛から逃れる最終兵器としての尊厳死、「楽に死ねる」という選択肢があるほうが、逆説的ですが「生きよう」というか「生きられる」と思うような気がします。

へんな言い方ですが、「尊厳死」が「絶望」から救ってくれる「希望」にも思えるし。

「人間は自分の意思で生まれたのではないから、死も自然に任せるべきだ」という意見もあります。

また、「人間」ということばに表されているように、「人は周りの人との関係で生かされているもので、自分だけで死を選択するのは自分勝手で間違っている」という意見もあります。

俺も人間はその個人がすべて個人の自由意思に任されるとは思っていません。人との「間」、つまり「関係」こそがその「人」を作っているんだろうと思っています。

ならば、「間」というのは、支えあうとか助け合うとか、いい意味ばかりではなくて、当然悪いほうにも作用するでしょう。

たとえば、「尊厳死」に肯定的な人は、「家族に迷惑をかけたくないから尊厳死を選ぶかもしれない」といっています。それも「間」から影響を受けての判断です。人とのつながりを考えるからこその選択です。

俺もその場になったらそう考えるかもしれません。

でも、これが社会の「風潮」になってしまうのは危ないかなと思います。みんながみんな、「家族に迷惑をかけないために死を選ぶ」などという方向へいったら、それはそれで違うかなぁとも思います。正直、まだ俺の中でも結論は出ていません。
 
 
 
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2014/11/08

イベント「旧暦のリズムで棚田を味わう」で話した「田毎の月」について

昨日は、イベント「旧暦のリズムで棚田を味わう」でした。

二十四節気に合わせた風景のスライドーショーは約1時間。途中休憩して棚田米の試食会もありました。

ところで今回もまた予想通り、というか、意識的に、「田毎の月」についての話がながくなりました。

すきなんですね、「田毎の月」の話が。

「田毎の月」は複数の田んぼの水に、それぞれ月が映るものですが、「非科学的だ」という人がいます。確かに光学的(科学的)には、月はひとつしか映りません。

でも、「田毎の月」は、日本人の心象風景、日本人の無意識にあるイメージを意識化したものと考えることもできるのではないでしょうか?

フランスの画家、マルク・シャガールは、現実ではなくて想像上の物を描いていると言われるのが嫌いで、「心的現実を描いている」と反論したそうです。

「田毎の月」も同じ、心的現実を描いたものだと思います。

その瞬間は月はひとつしか映りませんが、時間が経てば、月は田んぼを移動していくし、自分自体が動いても、月は田んぼを移動していきます。つまり時間を考慮するとすべての田んぼに月は映るのです。「田毎の月」はその全体を体験した時の「美しいなぁ」とか「怖いなぁ」とかいう感情を伴ったイメージなのでしょう。「嘘」ではないのです。

現代人にとって、そんな悠長なことをしている暇がないということなんでしょうね。なんでも科学で早く決着をつけたがるのは、まさに合理的で現代的です。

「日本人の」と書きましたが、もしかしたら「日本人の」という形容詞は必要ないのかもしれないですね。

そのことについては、以前も少し触れましたが、人類共通に持っている無意識のイメージなのではないかとも思うからです。どうして棚田を見て、癒されたり、美しいと感動するのでしょうか? そこには、文化の枠を超えた何かもっと大きな理由がありそうです。

それを探るために、いろいろやっているわけですが、いまだに答えはわかりません。今のところ。

ところで、ここからは写真についてですが、「カメラは、それが天国か地獄ででも使われるのでなければ、絵具とパレットにはかなわない」とエドヴァルド・ムンクは言ったそうです。

顔を両手で挟んだ『叫び』という絵で有名なノルウェーの画家ですね。こころの中にあるイメージを表現するには写真よりも絵のほうが優れているという意味なのでしょうが、その通りで、写真のあまりにも科学的で客観的なところが、心のイメージを表す手段としてはあまり向いていません。それは認めます。

「田毎の月」を写真で表現するのは難しいのです。それよりも、絵(版画)や詩(俳句)のほうがやりやすいし、「田毎の月」の本質を表現することができるでしょう。

でも、それだからこそ、とも思うんですよね。写真でやる意味があるのではないかと。科学的で客観的な写真で、人間の心のイメージという主観的なものを表現するという矛盾そのものが、イメージ表現の現代性といえるかもしれません。
 
 
 
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2014/11/07

「コーヒー飲む人 糖尿病なりにくく肝がんリスク低い疫学調査」のニュース

140904_3

コーヒー飲む人 糖尿病なりにくく肝がんリスク低い疫学調査
http://news.nifty.com/cs/item/detail/postseven-20141106-284973/1.htm

この記事をよく読むと、コーヒー飲むと糖尿病や肝ガンになるリスクは低くなると書いてあるだけです。

健康体で長生きできる、という話ではありませんでした。

別な研究では、コーヒーを飲むと早死にするリスクが増えるというのがあります。

コーヒーを1日4杯以上飲む人は死亡率上昇するとの仰天データ
週刊ポスト http://www.news-postseven.com/archives/20130902_208157.html

ということは、長生きしたいのか、それとも命は短くなってもいいから糖尿病とか肝ガンにはなりたくないか、という選択になる、と解釈していいのでしょうか?

つまり、どっちでもいいということですね。好きな人は飲めばいいし、嫌いな人は飲まなくても。

それにしても、どうしてコーヒーに関して、こうも次から次へと研究成果が発表されるのでしょうか? しかも、サンプルの取り方なんでしょうが、まったく反対の研究結果が。そっちのほうが気になります。

たぶん研究者はいろんな食品と死亡率との因果関係を研究しているのだと思います。その中で「コーヒー」は一般の人に身近で関心が高いからニュースになっているだけなんでしょうね。
 
 
 
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2014/11/05

「電柱: 自民、禁止へ法案 今国会提出を検討…五輪にらみ」のニュース

140616(長野県飯山市瑞穂)

140615_1(山梨県忍野村内野)

電柱:自民、禁止へ法案 今国会提出を検討…五輪にらみ
「電柱のない道路(高速道路を除く)の割合を表す「無電柱化率」は全国平均で1%。大都市を比べても東京23区が7%、大阪市、名古屋市とも5%にとどまるが、ソウルは46%、ロンドンやパリは100%を実現している。」
毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20141103k0000m010083000c.html 参照

「電線王国」を写真に撮っている俺には気になるニュースです。

それにしても、いまさら?という感じですね。

外国人が日本に来て、先進国であるにもかかわらずこれだけ電線がめだつ日本の景観の奇妙さ、アンバランスさに興味を持っていることに、日本人が気がついていなかったはずはないのですが。それでも経済優先だったのでしょう。ようやく景観に目を向ける余裕が出てきたということです。

やっぱり将来的には、電柱が無くなってしまうんですね。一般的美意識からすると当然のことでしょうね。

俺も電柱電線の景観を「きれいだ」と思って撮ってるわけではありません。「美しい」とは時々思いますが。

将来的には無くなってしまうから(100年後の人間になったことを想像しながら今の電柱電線の景観を見ると)、ある意味、「今の日本らしさ」の象徴的存在でもあると思っていました。

でも、お金がかかるらしく、たぶん田舎にはしばらく残ると思われます。どう考えても、上に掲載した写真のような場所、農道の地下に電線を埋設するメリットはないと思われるからです。田園の景観美化のためにというだけでお金を使うような国ではありませんし。俺からすると、都会ではなくて、こういう農村からこそ、早く電柱電線をなくしていってほしいと思うくらいですが。国交省によると、日本には電柱が約3552万本あるそうで、日本から電柱電線が100パーセント無くなるのは遠い将来のことになるでしょう。

今回の法案は都市部に限った話になると思うし、もっといえば、東京の話なんだと思います。ただ東京でさえ電柱のない道路100パーセント実現するのは30年以上はかかるのではないでしょうか。少なくともオリンピックまでに100パーセントは絶対無理です。

ところで電柱のことは英語で、「ユーティリティ・ポール」というらしい。初めて知りました。それを聞いて、なるほどと納得。日本語では「電信柱」「電柱」ですが、防犯カメラなども設置してあるし、迷い犬の張り紙や、ヴィーノのおしっこをひっかけるマーキングとしても使っています。多用途、多機能の柱ですね。

電柱電線のある風景は面白いです。
 
 

 
 
 
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2014/11/03

『コリドールの寝台』 夢日記より

141102(『コリドールの寝台』 夢日記2014)

30代のころ、「夢日記」をつけようとしたことがありました。

「夢日記」は、枕元にノートを置いておき、起きたらすぐ見たばかりの夢の内容を書き込むのですが、これは長く続きませんでした。熟睡できなくなったからです。寝ているときも、これを書かなきゃなどという夢まで見て、疲れて疲れて。結局、そのときは10日間ほどでやめてしまいました。

でも今、また夢日記を付け始めています。ただ、昔と違って「書かなきゃ」とかいう強迫観念は無く、忘れてしまったときは書かないし、覚えている夢だけ。あとで記録しておく、ゆるいものなので負担はありません。

昔から夢には興味があったのですが、なぜかというと、夢はしょせん夢で、現実ではないといわれましたが、俺にとって夢は無視することができない現実味を持った身体的体験だったからです。

少なくとも夢で体験した感情は、目覚めてからもしばらく持続したり、テストの「予知夢」を見たこともあったし(山が当たったといえるかもしれませんが)、夢で嫌いなやつを殴ったら部屋の壁をたたいて痛かったこともあるし、浮かんだメロディを口ずさんでそれを曲に取り入れたりという体験をしていたからでした。夢の中で起きたことは、現実世界にも影響を及ぼしていたからです。

夢日記を付け始めると、夢を見やすくなるといわれていますが、無意識の中の言葉にならないものを映像として見ても、それを放っておくと、自然に忘れてしまいますが、言葉で書こうとすると、映像が固定化されて、記憶されやすいからではないかとも思います。

「夢を見ない」という人もいますが、夢はどんな人も見ているんでしょう。それを言葉にできるときは覚えているし、できないときは忘れてしまうということではないかなと思います。夢に対する興味の大小であるかもしれませんが。忘れてもいいと内心思っていれば、脳は、わざわざ記憶のための無駄なエネルギーは使わないというのもなんとなくわかります。記憶する容量にも限界はあるでしょうし。

さて、掲載した『コリドールの寝台』は少し前に見た夢です。

どこかギリシャのようなところで、石柱が並ぶ長い回廊「コリドール」がありました。そこにベッド「寝台」があって、俺はそこに横たわっていました。病気ではなかったようです。ただ昼寝していたのではないかと思います。すると、ベッドの下から得体の知れないものが出てきて、俺の脚を触ろうとするのです。それで俺は脚をばたつかせて、捕まらないように必死になっていました。蹴った足の動作で目覚めました。

怖い夢でした。起きてからも怖さが続きました。

これを夢分析すれば何かがわかるのでしょうが、それよりも、映像が印象的で、これはちゃんと記録しておかなくちゃと思ったのでした。

なぜ「コリドールの寝台」なのか気になります。そういう言葉が自然に浮かびました。「コリドールのベッド」でもいいし、「回廊の寝台」でもよさそうですが。ここにも何か意味はあるんでしょうね。
 
 
 
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2014/11/02

今日は、二十四節気「霜降」の末候「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」

141102_1(兵庫県たつの市 聚遠亭&紅葉谷)

141102_3

141102_2

今日(2014年11月2日)は、旧暦では、閏九月(閏長月)十日。二十四節気「霜降」の末候である「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」です。
 
 
 
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2014/11/01

美しい島を舞台に、現代的問題と向き合う島の人々を描いた映画 『海と大陸』

141101(写真は映画とは関係ありません。沖縄県本部町の海)


『海と大陸』は、第68回ヴェネチア国際映画祭 審査員特別賞受賞ほか各地の映画祭で絶賛された映画だそうです。

出演: フィリッポ・プチッロ
監督: エマヌエーレ・クリアレーゼ

「イタリア南部の小さな島で代々漁業を営んできた一家が、法律違反と知りながらアフリカ難民の命を救ったことから始まる人生の転機を風光明媚(めいび)な風景と共に映し出す。」
Yahoo映画 「海と大陸」
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E6%B5%B7%E3%81%A8%E5%A4%A7%E9%99%B8/342647/story/

【半分ネタバレ注意】

舞台はイタリア、シチリア島の南にあるリノーサ島。

漁師の家族が偶然にも、アフリカからの難民母子をかくまうことになり、それがいろいろ問題になるという話です。主人公20歳のフィリッポは、プチッロ家の一人息子ですが、今はおじいさんのエルネストと漁に出ています。

難民女性は息子とともに難民ボートから海に飛び込んだところを助けられ、その夜、赤ちゃんを出産するのですが、イタリアでは(映画では)、難民をかくまうのは違法らしく、他人に知られないように自宅にかくまい続けます。

フィリッポ、エルネストと対照的なのが、フィリッポのおじさんで、難民が島に来ることを嫌っています。島のイメージが悪くなって観光客が減ることを心配しているのです。だから難民を助けることに消極的です。

昔ながらの、海で生きる漁師のおきてに従うのか、それとも法律に従うのかで、島の人たちに葛藤が生まれます。

最後、フィリッポはある行動に出ます。母子を島から逃がすためでした。それまで何か特別の思いをもって生きていたわけではなく、周囲からは「子供っぽい」と言われていたフィリッポですが、この一件をきっかけに大人になったようです。


難民の境遇を語るシーンがあります。難民女性サラの出身地はエチオピアですが、リビアでも一時捕まりました。小舟で地中海を渡って、夫が働いているイタリアの町を目指していたのでした。海洋警察に捕まれば強制送還されてしまいます。だから海洋警察の船が近づいた時、海に飛び込んだのでした。

着の身着のままで、死ぬかもしれない危険な航海。そこまでしてなんで?と疑問を持ってしまいますが、それだけ切羽詰っているということなんでしょう。俺たちには想像すらできないすさまじい境遇です。それはあまりにも「命が安い」ように見えます。

サラは、プチッロ家にかくまわれていても、自分が歓迎されていないことは知っています。最初、フィリッポの母親ジュリエッタも、食べたら出ていくようにと促していました。でもだんだんとサラに同情していき、ふたりの心が通いあいます。そして生んだ赤ちゃんに、ジュリエッタの名前を付けるとサラがジュリエッタに言います。サラのジュリエッタに対する感謝を表すシーンですが、俺はここが一番好きです。

言葉も片言で心細いだろうし、歓迎もされていない状況で、親切にされたら涙が出るほどうれしいものです。何もお返しのできないサラですが、なんとか感謝を伝えたいという思いが、ジーンと心に迫ります。俺にも外国で親切にされた体験があるので、このシーンでいろんなことを思い出してしまいました。

美しい島を舞台に、現代的問題と向き合う島の人々を通し、最終的には自分の心の声に従って生きるしかないんだなと感じさせます。お勧めの映画です。
  
 
 
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