« 2015年の干支「未・羊・ひつじ」のトンパ文字デザイン | トップページ | 「和紙、ユネスコの無形文化遺産に登録」のニュース »

2014/11/24

健さんの追悼番組の映画『あなたへ』&NHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」

141124長崎県佐世保市「展海峰」からの九十九島の絶景(映画とは関係ありません)

昨日、健さんの追悼番組『あなたへ』を観ました。今日はNHK 「プロフェッショナル 仕事の流儀」をやっていて、その中にも『あなたへ』の撮影現場が出てきました。

この『あなたへ』は、派手ではないけど、ジワーッと心に染みるいい映画だったんですね。しかも「ロードムービー」とか、「車中泊」とか、「旅と放浪の違い」とか、そういうキーワードに興味を持っている人間には必見の映画でもあるようです。

旅の途中で知り合うビートたけし扮する自称「元先生の男」は、健さん扮する主人公倉島英二に「旅と放浪の違いは何だと思いますか?」と聞くシーンがあります。男は「旅は帰る場所があることで、放浪はないこと」みたいな意味のことをいいます。

俺も以前から、「旅と放浪の違い」をずっと考えてきましたが、「旅は帰る場所があることで、放浪はないこと」というせりふには共感できます。もうひとつ「旅は目的地がある身体的移動で、放浪は目的地が無い精神的な漂流」だと思っています。

だからこの映画の倉島英二の場合、最初は「妻の生まれ故郷」という目的地へ向かうので「旅」であったのが、長崎の平戸の漁港で地元の人たちに関係を持って自分の生き方を変えたことで、結果的には「放浪」になっていたことがわかります。

【ここから先ネタバレ注意】

その「旅」から「放浪」へ変えたものの一番のきっかけは、大滝秀治扮する地元の老漁師の言葉であったようです。それは健さんのインタビューからわかったことですが、老漁師は、英二の妻の海への散骨が終わって港に帰ったとき、「今日はひさしぶりに美しい海を見た」といったのですが、このせりふで英二(健さん)は涙します。この言葉に込められた地元の漁師の諸々を英二は感じ取り、そして自分は刑務官を辞めて、犯罪を見逃す「共犯者」になることを決意するのでした。翌日、漁港の郵便局から辞表を投函します。

妻の遺言の葉書に導かれるように平戸までやってきた英二でしたが、帰る場所があったはずの「旅人」から、仕事も辞め「共犯者」になることで、「放浪者」へと変化していったといえるのではないでしょうか。

ところで『幸福の黄色いハンカチ』など、ロードムービーに出演していることだけではなく、健さんの生き方そのものが、「旅人」や「放浪者」をイメージさせるものを持っているような気がします。

健さんは、大学卒業後、サラリーマンをする気がなくて、食べるために俳優を始めたそうですが、人気が出るのと反比例して「俳優とは何なんだ?」ということに悩み続けます。

「生き方が、芝居に出る」

といっています。芝居の技術ではなく、現場で実際に感じるものを大切にしていました。だから同じ芝居は二度とできないともいいます。

「高倉健」というのは、健さん自身と、観客・ファン・スタッフとが、いっしょに造り上げてきたというか、磨きあげてきた理想の俳優像だったのかもしれません。大げさに言えば日本人の総意が造り上げた「まじめで不器用なアイドル」なのではないでしょうか。逆に言えば、現実社会では「まじめで不器用な生き方」が、いかにできないか、ということの裏返しでもあるんでしょうね。

そこを健さんは自覚していたのでしょう。日本人の、ひとつの理想像を生きていくことを。そして俺にとっては、「旅人のアイドル」でもあります。

健さんは、映画や俳優をやる意味を、正確な言い回しではありませんが、こんなふうに語っています。

「映画に出てくる人間を演じることで、「こういう人生もあるんですよ。悪くないんじゃないですか?」と言いたいわけですよ」と。

刑務所の慰問に訪れた健さんが受刑者たちを前にして、「みなさん、ここを出て、大切な人のところへ早く帰ってください」と涙声で話をしていた姿に、健さんの、陽の当たらない人間に対する優しい眼差しを感じます。そういう役だけ演じてきた健さんだからこそ、説得力があります。ジーンとしてしまいました。

あらためて高倉健さんに生前会ってみたかったなぁと思います。
  
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 2015年の干支「未・羊・ひつじ」のトンパ文字デザイン | トップページ | 「和紙、ユネスコの無形文化遺産に登録」のニュース »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2015年の干支「未・羊・ひつじ」のトンパ文字デザイン | トップページ | 「和紙、ユネスコの無形文化遺産に登録」のニュース »