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2014/11/14

「夢日記」をつけて創造のエネルギーを取り戻す方法を探る(1)

141114

夢日記をつけ始めて約2か月。その間毎日夢を見ていますが、たいていは忘れてしまい、なかなか印象的な夢はそう多くはありません。

俺にとって印象的な夢というのは、視覚に訴えるものといっていいかもしれません。ようするに「絵」や「写真」や「映画」のように、印象的なシーンで覚えている夢です。

夢を写真に撮れるような機械を発明したら、ノーベル賞ものでしょうが、SF映画じゃぁあるまいし、現実的には、とうぶん無理でしょうね。

こんな機械が発明されたら人生が変わります。いや、「変わります」というのは、いい意味だけではなく、悪い意味もあります。

無意識の中への深入りは危険でもあるらしいのです。無意識から帰ってこれなくなることです。

心理学者ユングも、6年間、方向喪失の時期があり、この間、夢を記録しイメージを絵に残しています。

ユングは規律を作って自分に課していました。まず、現実とのつながりを強く持つこと。無意識からのメッセージをできるだけ言葉に翻訳することなどです。

そういう注意をすれば、無意識からのエネルギーを心に取り戻すことができるようです。

これは「祭り」の効用と似ているなぁと思います。

本来の祭りは、非日常の世界を体験することで、世間体など忘れて馬鹿騒ぎすることは、子供の遊びと同じで、無意識世界に降りて行って、心を元気にするという意味もあるはずです。

普段は意識の世界に生きて、許された場では、無意識に遊び、また意識の世界にすんなりと戻れる人が、精神的には理想的であるらしい。

ちなみに今朝見た夢はこんなもの。視覚的な夢ではありませんでした。

 「36」という数が大切だった。それ以上は「多数」であり、区別されないという仮説があった。

これをどう解釈して自分の創作活動に利用すればいいっていうんでしょうか。

最初、「36」が何の意味があるのか、わかりませんでしたが、もしかしたらこれかな、ということに気がつきました。そういえば「36」だったような。あまりうれしい数字ではありません。そしてこの数字の上は、「多数」であり区別が無い、ということも腑に落ちるものに気がついたのです。だから普段は意識化しないように無意識内に押し込めていたとはいえるでしょう。

そこまでは気がついたとして、それから先はどうすべきなのでしょうか。まだわかりません。そこを意識することがまず大切なのでしょうが。
 
 
  
 
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