クリスマスの起源 今日は2014年の冬至
今日、旧暦十一月一日(新暦12月22日)は冬至です。
「二十四節気」の冬至は次の3つの「七十二候」(略本暦)に分かれます。
●初候 乃東生(夏枯草が芽を出す)
●次候 麋角解(大鹿が角を落とす)
●末候 雪下出麦(雪の下で麦が芽を出す)
新暦では毎年ほぼ12月21日か22日が冬至ですが、旧暦では、今年は十一月一日ですが、去年は十一月二十日と、年によって大きく違います。
太陽の運行で決まってくる季節(二十四節気)と、月の満ち欠けで決まってくる旧暦の日付が合わないのは当たり前なのです。そこが旧暦が使いづらいところでもあるんですが、そのふたつを合わせようとしたところに、先人の工夫と知恵の結晶を見ることができます。
はっきり言ってメンドウクサイ暦なのです。バカでは使えません。(だから俺も使いこなせていません) でもメンドウクサイからこそ、いちいち今日の日付や二十四節気を確かめてしまうのです。「日」と「季節」を意識するのです。意識しないと見えるものも見えません。
旧暦の話はもうやめておきます。それよりもクリスマスの話を。
北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長くなる日が冬至です。
冬至を祝うところは多く、実はクリスマスも冬至祭が起源なのだそうです。新暦(グレゴリオ暦)の1年の元旦と、クリスマスが、冬至の日に近いことも偶然ではないそうです。実際、冬至を1年の始まりにした暦がありました。
だからクリスマスの起源を探っていくと、キリスト教以前の、もっとむかしから続いていた信仰や伝統があるわけで、キリスト教徒ではない日本人がクリスマスを祝っても不自然ではないという理屈になるのでしょう。
ただ名前が違っているだけ。だから「クリスマス」じゃなく「冬至祭」でもいいと思います。アメリカでは多宗教の事情から「メリークリスマス」とは言わず「ハッピーホリディ」と言うようになっているらしいし。
言い訳しながらクリスマスを祝わなくてもいいと思いますが。
それとキリスト教以前、冬至祭(クリスマスのルーツ)は、「死と再生」の儀式であったかもしれません。異界の国から異界の者が「煙突」を通ってやってきて、贈り物を届ける話なのです。
ここで「煙突」がキーワードでしょう。狭くて暗い、すなわちこれは異界との通り道。「煙突」は比較的新しいイメージなので、昔は「洞窟」や「穴」だったかもしれないし、異界の者は神と解釈できるかもしれません。
古い年が死んで、新しい年がやってくる。その新しい年が贈り物なのではないでしょうか。
聖人ニクラウスがモデルになったサンタクロースはその後に作り上げられた話なのではないかなと。
勝手に解釈してみました。本当かどうかわからないですよ。
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