「ナッツリターン」は、韓流ドラマを見ているよう
今、韓流ドラマの『製パン王 キム・タック』を観ています。24話過ぎたので、あと6話残っています。韓国では2010年に放送されたもので、日本でも放映されたそうです。
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そんなとき、この「ナッツリターン」騒動が起こりました。
まるで「韓流ドラマそのものだ」と思ったのは俺だけではないでしょう。大韓航空のナッツ趙前副社長が、マスコミの前で謝罪するシーンなど、まるでドラマのワンシーンではないかと思えるほどでした。『製パン王 キム・タック』の中に挿入されても違和感がないくらいです。
韓流ドラマには、典型的な「財閥( or 金持ち・権力者)」がやりたい放題やって、主人公がいじめられるという設定が多く、まぁ大げさだけど、ドラマだからそういう演出なんだろうと思って観ているのですが、どうも、このスキャンダルを見ると、韓流ドラマがなぜそういうワンパターンとも言える構図を取るのか、かわかるような気がしてきました。
韓国の人たちの中には、日ごろから財閥や権力者や富者に対する不満があるわけですね。ドラマでは財閥の人間が悪として描かれ、最後は、正義の主人公が勝つというところで溜飲を下げるということなのでしょう。
『製パン王 キム・タック』では、財閥ではなくて、製パン会社なのですが、会長の奥さんと息子マジュン、マジュンの本当の父親でもあり会長の秘書でもある社員の男が悪役なんですが、そこまでやるか?というほどの傍若無人ぶりなのです。
「人間が平等だと思っているの?」「お金で解決できないものはない」「殺してやろうか?」なんていうセリフは日常茶飯で、これでもかというほど主人公たちを苦しめます。(危ない目に遭っても警察と救急車は絶対呼びませんが) 会長の娘が警察に捕まっても裏から手を回し賄賂を贈って釈放させます。札束で人の頬をたたいているような感じで、それが今回はナッツの入った袋だったということです。
ところで、ナッツ前副社長の謝罪会見について、「韓流ドラマそのものだ」と書きましたが、謝罪会見が、どことなく日本とは匂いが違うような気がします。日本よりも「ドラマチック」ではないでしょうか? 日本では大げさにやると、逆に嘘っぽく感じるというのがあるような気がするのですが。
ナッツ前副社長の、まるで絵に描いたような落ち込んだ姿に、俺は少し嘘っぽさを感じてしまったからです。でも、たぶん韓国では、あれくらい大げさに表現しないと許されないのかもしれません。それは謝罪だけではなく、悲しみの表現や、嬉しさの表現もそうです。
日本の謝罪会見で求められるのは「誠実さ」ではないでしょうか。芝居がかった姿を見せることではありません。現にあの 野々村元兵庫県議の「号泣会見」は、笑えはしますが、誠実さのかけらも感じられず、謝罪にもなっていませんでした。「号泣会見」は韓国以上かもしれませんが。
もちろん、だからどうだという話ではありませんが、韓国と日本では謝罪会見についての感覚が違うんだなぁという俺の個人的感想です。
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