「STAP細胞はあります」の小保方さんは宗教家を目指すべき
けっきょく、小保方さんの騒動はなんだったのか?と思います。
小保方さんは21日付で理化学研究所を退職するそうですが、退職して終わりで済むんでしょうか? 小保方さんを信じて(あるいは恨んで)自殺した笹井さんのことを考えれば、小保方さんの責任は重いと思うのですが。
それから、こういう時、問題の人間ひとりを「スケープゴート」にしてしまう、ということも考えなくてはならないかもしれません。「小保方さんは特別な人だからこんな問題を起こした」と、小保方さんひとりを悪者にして幕引きをはかってしまっては、理研や、もっと言えば、科学界あるいは日本全体の問題を、うやむやにしてしまうことになるのでは?と思うからです。
こういうことが起こってしまう背景には、きっと俺たちもかかわっているのです。そしてこの問題が解決されないかぎり、第二、第三の小保方さんが現れるだろうし、俺も環境しだいではそうなってしまうかもしれません。人事ではないはずです。
ところで、STAP細胞はあるのか、ないのか。
第三者もこれ以上の実験は無意味であると結論づけた以上、今の時点でSTAP細胞はないということでしょう。
だから小保方さんがあれだけ自信をもって「STAP細胞はあります」「200回以上作製した」と言っていたことに、ある種、気味悪さを覚えます。
みんなが作れることが科学なのであって、ひとり(小保方さん)しか作れないのであれば宗教というしかありません。
彼女は本当に信じていたのかもしれないのです。彼女にとっての「心の現実」。でなければ、あれだけの自信のある言葉と態度が生まれないと思うからです。「嘘」をつこうと思ってついている感じがしませんでした。(そのあたりは佐村河内氏の場合と違います)
好意的に見ればですが、小保方さんは、自分で意識しないところでミス(他の万能細胞が混入するなど)を冒していた可能性はあるのではないでしょうか。
意識すると「嘘」になってしまうから、自分でもそれを無意識にしまい込んでいたということです。そうすることによって、華やかな表舞台で、自分も後ろめたさが無く、賞賛を浴びることができるのです。その快感は俺たちには想像できない大きなものでしょう。もしかしたらノーベル賞さえ頭にあったかもしれません。
その快感が大きければ大きいほど、自分のミスは無意識の深いところに沈んでゆき、偽りの自信だけが現れてきたといえるのではないでしょうか。3ヶ月間にわたる第三者立ち合いの元での再現実験は、いってみれば、小保方さんの「自分のミスの意識化」だったのかもしれません。
自分でミスを意識したからこそ、実験は失敗であり、理研を辞めることにも同意したのでしょうし。もし、これでもSTAP細胞の存在を信じるなら、また会見でも開いて、自分の主張を訴えていたはずです。
そうしないのは、自分で「わかった(意識した)」からだと思います。
小保方さんに抱いた俺の第一印象は「科学者というより宗教家のようだ」といったのは、結果として当たっていたように思いますが、彼女は科学者ではなくて、宗教家を目指したら、もっと人を幸せにできるような仕事ができたのではないかなと思います。人それぞれ向き不向きはあるし、何も「科学」だけが真理追求の道ではありません。
いや、これからでもできるでしょう。笹井さんのためにもそうしたほうがいいと思います。
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