チャールズ・スコットさん家族のトークショー『スコット親子、日本を駆ける: 父と息子の自転車縦断4000キロ』
(ショウ君、チャールズさん、チャールズさんの奥さん、右端には冒険で使われた同じ型の自転車)
チャールズ・スコットさんのトークショーが紀伊國屋書店新宿南店で行われました。
この本は、日本列島縦断の冒険譚ですが、父と子の関わり合いが大きなテーマとして流れています。そして面白いのは、同じものを見ても、同じことを体験しても、ふたりの見方、感じ方が違っていて、そのちぐはぐさが妙にリアリティがあるのです。たとえば、本の帯に書かれたエピソードがこれです。
「北海道の人は、世界で一番親切だと思う」 ショウが言った。ぼくは、人々の寛大さは、客を大切にする日本文化とも関連があるが、なかでも厳しい自然のなかで暮らす北海道では、困っている人を助けることが社会全体にとってとても重要なことなのかもしれないという自説を展開した。ショウが言った。「違うよ、パパ。みんなが親切なのは、ぼくがすごく可愛いからだよ!」(翻訳:児島修氏)
子供は子供なりに世界を見ているし、それが大人よりも「劣っている」などということはまったくないんだ、むしろ子供らしい見方、感じ方に大人側がハッとさせられます。ショウ君のセリフが効いていて、クスッと笑ってしまいます。「ショウ君語録」ですね。それを楽しんでいるチャールズさんの姿も伝わってきます。
旅を通じてショウ君が成長していく姿を愛情を持って見守る素敵な父親のチャールズさん。紀伊國屋書店HPの紹介文には「親向けシティガイドの「レッド・トライサイクル」は、彼を「ニューヨークで最もカッコいいお父さんの1人」と呼ぶ。」とあります。たしかにそうですね。
チャールズさんがショウ君と冒険旅行することにしたのは「自分が息子に残せるものは何だろう?」と考えた結果でもあったようです。
旅のゴール、鹿児島県の佐多岬でチャールズさんがショウ君に言うセリフがまたいいんです。
「この本はショウのために書くんだ。それはパパがショウのことをどれだけ愛しているかを説明する長い手紙みたいなものさ」
この本はふたりで作り上げた冒険の大切な記録であり、ショウ君に対する贈り物でもあるんですね。
それとこの本が、日本人のある特徴をあぶりだす「日本人論」にもなっている点が面白いと思います。
各地でいろんな人からショウ君の冒険について、大丈夫か?とか、危険では?とか、無理なんじゃないか?と言われ続けるのです。
こういうことを日本人が一番気にするということは、つまり危険なことは子供にはやらせない、冒険させないことの裏返しでもあるのでしょう。もしかしたら、同じ冒険旅行を日本人親子がやったら、大バッシングを受けてしまうのかもしれません。
「冒険しない日本人」に対しての強烈な皮肉とも取れます。「安全」だけが突出して優先される最近の風潮については、俺も疑問を持っているところなので、チャールズさんのいら立ちはわかるつもりです。
もちろんチャールズさんはそれを声高に叫んで日本人を批判しているわけではない、ということも、誤解がないようにちゃんと断っておきたいと思いますが。それと事前に日本の道路事情を研究したり、自転車の修理を学んだり、体力を付けたり、キャンプするときは地元の人に「熊出没情報」を聞くなど、危険を回避するありとあらゆる努力をしているというところを見逃してはいけないでしょう。
子供は親が思っている以上にいろんなことができるし考えることができる、それを信じてやり、環境を整えてあげるのが親の勤めであるとチャールズさんは親の側に言いたいのではないかなぁと思います。
チャールズさんとはトークショーの3日前にも妻と3人で渋谷で会いましたが、ショウ君とは久しぶりです。当時8歳だったショウ君も今や13歳。だいぶ背も高くなり大人っぽくなっていました。
ショウ君に質問してみました。5年前の冒険旅行はどうだった?と。
「面白かったし、精神的に強くなって、簡単には諦めなくなったと思う。今やっているサッカーにも役立っています」とのこと。
ところで、渋谷で会ったとき、いろんな話をしましたが、驚いたのはチャールズさんの口から心理学者S.フロイトとC.G.ユングの名前が出たことです。
彼らは、ファミリー冒険家として、「ナショナル・ジオグラフィック」にも載るほどの有名な家族ですが、いろんなところで講演をしているそうです。そのとき、チャールズさんは、参加者たちに「あなたの本当にやりたいことは何ですか?」と聞くそうです。
常識やら世間体やらにこり固まった表側の「顔」の裏側に潜む本当の気持ち、内なる声を意識させることで、「本当にやりたいことがあるならやってみてください」と、ちょっとだけ後押ししているのです。
実際、会社のCEOなどビジネスマンの鎧をまとった人でも、講演が終わったあとこっそり「実は〇〇がしたいんです」と打ち明ける人もいるそうです。
チャールズさん自身、インテルに務めていたとき、自分の中で「何かが違う」という内なる声がして、その声に押されるように冒険家になったということでもあったようです。自分の体験からのアドバイスなんですね。
これはユングがフロイトと決別し、6年間ほど方向を見失ったとき、無意識と向き合い、内なる声を聞き、無意識に身をゆだねることで「新しい私」に変わっていく過程と共通するところがあると感じたし、講演で行っていることは、参加者の無意識に眠っている本当の気持ちを意識させることなんじゃないかなと思ったので、「チャールズさんは、ある意味セラピストですよね」と言ったら、チャールズさんはそれを意識しているようで、ここでユングの名前が出てきたのです。
妻が言うには、俺とチャールズさんは似ているというのですが、北海道からのフェリーで会ったときジョン・スタインベック著『チャーリーとの旅』の中の、歳を取って落ち着くかと思いきや、そんなことはなく、旅人はいつまでたっても旅人だ、年齢なんて関係ないという言葉に、お互い共感していました。今回ユングの話まで出てきて、ますます共感したのでした。
そして俺はチャールズさんから確実にエネルギーをもらいました。
冒険家の一番の仕事は、冒険家自身のエネルギーを、出会った人々に伝染させることかもしれません。それはたぶん、芸術家も同じなんだろうなと思いました。
なお、原書(英語版)はこちらです。こちらの方にも、俺、妻、ヴィーノの話が載っています。
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