「つまようじ犯罪風ショートフィルム」に振り回された大人たち
大人と子供の感覚の違いが露呈したような「つまようじ犯罪風ショートフィルム」をYouTubeに動画投稿した事件。
「表現」と「犯罪」の境目があいまいだということがあらためて知らされた事件です。
こういう「表現」は、一言「フィクションです」とか「演出です」と、どこかに表示しておけば、「犯罪」ではなく「表現」になるわけです。巷にあふれる映画、ドラマ、小説ともに、「犯罪」を「表現」として日常的に俺たちは楽しんでいるわけだし。
もちろん今回少年が問われる「建造物侵入」とか「業務妨害」の部分に関しては間違いなく「犯罪」に違いないのですが。
こういう「表現」が影響力を持ってしまうのが、良くも悪くも「今の時代」を象徴しているのだと思います。技術や環境が、こういう「表現」を可能にしたので、そういう意味でネット社会と関係はあるでしょうが、ただ「犯罪」を「表現」する人間は昔からいました。「こころ」の問題としては古典的と言ってもいいのではないでしょうか。
少年にとっては「遊び」にすぎないのでしょう。大人の頭には「グリコ森永事件」など深刻な事態を想像してしまったということはあったのかもしれません。
いや、笑えないのは、マスコミもこの「遊び」に踊らされてショートフィルムのPRに貢献してしまったこと。これが影響が大きくなった一番の原因かなと思います。マスコミは少年の「遊び」にまんまと乗せられてしまいました。
動画を無視することが、少年に対する「報酬」を与えないという大事なポイントであったはずですが、少年が理想とする形の「報酬」を与えてしまいました。もっともあれを「表現」だと見抜ける人はいなかったと思いますが。俺もまんまと騙されたくちです。
劇場型犯罪は、もっともらしい動機が語られることが多いような気がしますが(今回は少年法改正を訴える)、だから、それを真面目に聞く必要はまったくない、それどころか無視すべきでしょう。
でないと、少年はますます「報酬」を得て、勘違い人間になってしまいますよ。「自分は世の中を変えられる」と。これを阻止しないと、少年もそうだし社会が不幸になるだけです。
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