« 食品異物混入の「情報」と「感情」が完璧にコピーされて伝わること | トップページ | コリアンダー(パクチー)への好みは嗅覚の遺伝子が決め手? »

2015/01/12

手が4本ある生き物。「犬が見ている人の姿」の想像図

150112

今まで読んだ犬や心理学の本を参考にして「犬が見ている人の姿」の想像図を描いてみました。あくまでも「想像図」ですが、犬にならない限り実際はわかりません。ひとつ参考になるのは子供の絵ですが、子供は人間の頭と足だけの「頭足人」を描くそうです。関心のある部分だけ描くのでしょうね。

犬が見ている色覚は2色型。70cm以内のものはピントがぼけるようです。

形については、人の脳は物を見るとき全体を優先する「全体優先処理」をするそうで、それに比べて、犬は、全体よりは細部にこだわっているらしい。だから人を、俺たちが認識しているようないわゆる「人の形」には見ていない可能性がありそうです。

犬は飼い主の顔は覚えています。ただどこを見て覚えているのかはまだ研究段階のようです。だからこれはあくまでも俺の想像なんですが、ヴィーノを注意して見ていると、俺や妻の目をちょくちょく見ているのがわかります。だから目には一番関心がありそうです。それと声を出すとき動く口もわかるのではないでしょうか。

鼻や耳は見えてない(関心が無い)かもしれません。(人の「嗅覚も聴覚も、犬にしたら取るに足らない能力だろうし)

それと人が犬と接するときは、手を使うので、犬にとって人の手は、かなり大きな関心事ではないかと思います。だから手は一番大きく感じるのではないでしょうか。子供の絵も(古代の絵も)、線遠近法は無視され、関心が高いものは大きく描かれます。つまり大きく見えているから、といってもいいのではないでしょうか。

手と足の区別はつかなく、「4本の手」、「4本の突起物」に見えているかもしれません。

俺はヴィーノを「足でなでる」ことがあります。(蹴っているのではないし、きれいな足のときだけですが) 妻は当然嫌がるのですが、俺はヴィーノにとって足と手は「4本の突起物」でどれも同じと感じていると思っているので、決して失礼なこと、かわいそうなことをしているつもりはありません。むしろ犬の気持ちに寄り添いたいし、「犬の常識」を知りたいので、あえてこういうことも試してみます。

「足でなでる」のが「行儀が悪い」「可愛そう」と思うのは、あくまでも人の常識、感覚で、しかも、「足を使う」ことに関しては、生物学的にはもちろん、文化的な感覚の方が大きいのではないかと思っています。足は地面に着くから「不浄」という文化的感覚です。

たとえば、サルの場合を考えてみるとよくわかるのですが、サルが器用に足でバナナを掴んだりしますよね。それをたとえば他のサルに渡そうとしたとします。そしたら渡されたサルは「足を使ったから失礼だ」とは考えないでしょう?

つまり俺の結論はこうです。人は二足歩行になって、足先が器用に使えなくなってしまったことで、「足」と「手」の機能が大きく分かれてしまったのではないか、ということです。だから「手」と「足」を特別違ったものと感じるようになった動物ではないかなと。

言い訳する必要はないかもしれませんが、俺が「足でなでる」のは「犬の常識」「犬の本当の気持ち」「犬の見ている世界」が知りたいからなのです。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 食品異物混入の「情報」と「感情」が完璧にコピーされて伝わること | トップページ | コリアンダー(パクチー)への好みは嗅覚の遺伝子が決め手? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 食品異物混入の「情報」と「感情」が完璧にコピーされて伝わること | トップページ | コリアンダー(パクチー)への好みは嗅覚の遺伝子が決め手? »