「自己責任論」は政府に都合が良いことに加え、自分がテロには遭わないという安心感を得る
先日も触れましたが、「自己責任論」を主張する人たちは、自分たちはテロにはまったく関係ないという部外者意識を感じます。当事者感が薄いのです。
「自分はそういう危険なところへは行かない、だから、テロには遭わない。テロに遭うようなところに行くのが悪い。その責任は本人にある」ということでしょうか。
「個人に責任がある」と言いたがるのは、「自分は彼らとは違うんだ」と思い込むことで、自分がテロに遭う不安を和らげてくれるからかもしれません。
でも、もうそういう状況ではありません。どこにいても日本人がテロに遭う、人質になる可能性はあるということなのです。日本にいたら大丈夫だという保障はありません。
なるべく危険な場所には近づかないというのが身を守る術ではあると思うので、彼らにまったく責任がないと言っているわけではありませんが。
ただ後藤さんは悔しいのではないでしょうか? 当然すべては「自己責任」でイスラム国へ行ったのでしょうが(残されたビデオメッセージからも彼の決意を感じます)、自分が人質になってしまったことで、日本人に申し訳ないと思っているのではないかなと。
そもそも「イスラム国」はまともな集団ではないということを忘れてはいけないでしょう。「イスラム」という名前もはずして呼ぶべきかもしれません。単なる過激思想集団、犯罪集団、カルト集団なのです。
「自己責任論」には、「そこにさえ近づかなければいい」といった消極的なニュアンスも感じますね。
じゃぁ、「自己責任だ」といって、日本人ふたりを切り捨てて、それで何か安全になりますか? なりません。テロの脅威は続くのです。
批判するなら日本人じゃなくて、まずイスラム国でしょう?
昔もありましたね、自己責任論が。偶然なのでしょうか? 政府側が責任を回避するためなのか、どうか。少なくとも「自己責任論」が盛り上がることは政府にとっては都合がいいとは言えるのではないでしょうか。(断っておきますが、「首相責任論」というのも俺は違うと思っています。あくまでも相手は犯罪集団)
2004年、イラクでの高遠さんたちの人質事件が起こったときです。すごかったですよね。人質になった本人たちと家族へのバッシング。命が助かったのに、同じ日本人から批判されるという異常さは海外でもニュースになったほどでした。
日本人も日本政府も「自己責任論」が好きなのかもしれません。「彼らは特別なんです。あなた方は安心していいですよ」と言いたい、思い込みたいからなのかもしれません。
「自己責任論」で大騒ぎするのは日本独特の現象、そしてそのルーツが10年前の人質事件にあったようだということ。こちらが参考になります。
NAVERまとめ 「自己責任」って騒ぐのは日本人だけなのか調べてみた
日本人は「お上の言うことを聞け」という体質(お上も下々の人も)があるようです。やっぱりみんな横並びで大人しく生きるのが日本人の特徴とは言われますが、この「自己責任論」もまったくこの特徴のひとつの表れと言ってもいいようです。
これは当時書いた記事です。
イラクでの高遠さんたちの人質事件に対する「自己責任論」(2004年4月25日)
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