「都会人の冷たさ」の見方が変わる本、『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』
ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』という本があります。
1964年にニューヨークで起こった婦女殺人事件「キティ・ジェノヴィーズ事件」というのがありました。たくさんの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報もせず、助けなかったというこの事件をきっかけに、心理学者がある仮説を実験して確かめたという話です。
結論は、緊急事態の現場に居合わせた人の数が多いほど、助ける人が少なくなるというもの。これを「傍観者効果」と呼ぶそうです。
その後、癲癇発作や、煙が出るなどの実験でも確かめられました。
どうしてそうなってしまうんでしょうか? 大きく2つの理由があるそうです。
【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。
【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。
これを知ってなるほどと思いました。一昨年と去年、俺も2回の「緊急事態」に遭遇しました。火事と、発作を起こした男です。
火事が目の前に起こっていても、俺は大声も出さずに、不自然なほど冷静でした。それが自分でも不思議だったのですが、この「傍観者効果」が働いている、ということなのかも。
火事の現場にはすでに他の人間がいたので、もう誰かが消防に通報したんだろうと思ったし、彼らがあまりにも冷静だったので、「俺が思っているほどこれは緊急事態ではないかもしれない」などと考えてしまったのでした。
もうひとつ、発作を起こした男のときも、俺は緊急救護の知識がないので、自分よりも適した人がいるはずだとは思って、ちょっとだけ助けに向かう時間は遅れたということも事実です。
その場には、俺のほか6人ほどいましたが、男の異変に気がついても、みんな何もしようとしませんでした。でも、たぶん、内心は俺と同じだったのかもしれません。
たとえば、電車内でトラブルがあっても誰も助けてくれなかったなどと、「都会人の冷たさ」を非難しますが、たぶん、これも「傍観者効果」と関係があるのかもしれません。個人的には親切な人も、大勢の中では傍観者になってしまう。でもそれは「冷たい」からではない、むしろ「やさしさ」や「思いやり」かもしれないんだぁと、ちょっと見方が変わってきますね。
「傍観者効果」というのを知って、とっさの場合どうすればいいかのか、少し肩の荷がおりた感じがします。とにかく、わからなくても、助けようとすればいいこと。その行動につられてほかの人も動き出す(同調行動)だろうし、その中には自分よりも緊急救護の知識を持った人もいるかもしれません。とにかく他の人が動いてなくても、自分が動けばいい、ということですね。
ちなみに、もし自分が助けてほしいときは、「だれか助けてください」ではなくて「そこのあなた助けてください」と頼んだほうがいいそうです。
ところで「田舎の人は親切だ」というのも、もしかしたら錯覚なのかなとも思います。要するに、親切な人は都会、田舎にかかわらないということなんでしょう。
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