『秩父学への招待』をラジオで聴いて
武蔵大学名誉教授の黒澤英典氏の『秩父学への招待』という話を、昨日ラジオで聴きました。黒澤先生は、地元、秩父生れなんですね。
『やさしいみんなの秩父学』(さきたま出版会)という本が出ていて、俺も雑誌で『秩父桃源』という写真・文章を連載したときは、参考文献(というよりも必需品)としてこれを買って勉強しました。「ちちぶ学検定公式テキスト」にもなっています。
平成10年4月23日には、ついに、日本三大峠のひとつで、難所といわれた雁坂峠にもトンネルが開通し、山梨県とは楽に往来ができるようになりましたが、それまでは、東京の方から行くと、山の中のどん詰まりといったイメージで、「秘境」でもあったのです。
でも、そのイメージは、ここ最近のことで、昔は山梨県、長野県、群馬県とも交流があって、別に「どん詰まり」ではなかったということをこの本で知りました。養蚕業が盛んなときはとくに。今でも当時の「秩父往還」の痕跡はところどころで見ることができます。
また、秩父札所の起こりは1234年3月ですが、江戸時代、秩父札所巡りがブームになりました。全行程は90~100kmになり、江戸から出発すると10日間ほどの旅程だったそうで、比較的短時間で巡礼ができること、関所、大河、高山がないこと、風光明媚で鉱泉宿があるなどの理由が人気を支えました。
札所の34カ所の番付が何度か変更されたという話もあります。四萬部寺は二十四番だったのを、現在のように一番に変更したのは、江戸から来る巡礼者の便宜を考えてのことだったといいます。(江戸の方から山越えすると四萬部寺が最初の寺になる) こうした地元の「営業努力」もありました。
だから巡礼は、純粋な観音信仰のほかに、現代のトレッキングやスタンプラリーに通じるレジャーの意味合いもありました。現在はアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の聖地巡礼も行われています。
秩父盆地の西側に陽が落ちるとき、どこかに極楽浄土があるのでは?という希望と夢を感じさせたのではないかといいます。江戸時代ばかりではなくて、今でも現実の生活の厳しさの中では、どこかに希望や夢がなければ生きていけません。
たしかに秩父盆地は、「程よい規模の盆地」、「日本の縮図とも言われる小宇宙」であることは俺も通っているときから感じていたし、そういう意味で雑誌連載と写真展のタイトルは『秩父桃源』にしたくらいです。
黒澤先生は、いくつかの集落が消えていく中で、この風土にある文化を再発掘し学ぶこと。地域学を見直すことが秩父地域の活性力を生み出すこと、とおっしゃっていました。
これは秩父に限らず、日本の地方がかかえる問題でもあるようです。
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