【夢日記 白っぽい動物】 夢と現実の相似
先日、ヴィーノを連れてドッグランに行ったとき、「あっ! あれだ!」と思ったシーンがありました。
数日前に見た夢の「白っぽい動物」のイメージとぴったりと合っていた犬の後姿を見たからです。そしてその犬が近づいてきたとき、知っての通り俺は昔犬が苦手だったので、「咬まれるかも」と思う気持ちは一生なくならないようで、このときもそう思いましたが、この犬は温厚で、もちろん咬むこともありませんでした。
【夢日記 白っぽい動物】
町の郊外で軽トラックのような乗り物の荷台に乗っていた。周りが畑で、農道が大きくカーブしているところで、突然白っぽい動物が現れて追いかけてきた。その動物は犬のようにもアザラシのようにも見えた。でも、目も鼻も耳も見当たらない。丸っこいぬいぐるみのようだ。追いつかれてしまったら俺はこの動物から手を噛まれるだろうと覚悟した。痛いんだろうなと思った。でも、動物は俺の手のところまで来たが、噛まれた感覚はなかった。
夢と現実の相似を体験たのです。(もちろんこれを「予知夢」だとは思っていませんが)
今回ドッグランで見た白い大きな犬は飼い主と似ているデブで、背中のほうから見ると、とくに丸っこいぬいぐるみみたいでおもしろいなぁと思って写真に撮ったのでした。
数日前の夢「白っぽい動物」は、普通なら忘れてしまうような印象の薄い夢です。あとで思い出して日記に書くのが難しかったほどです。
だからこの夢の印象が強かったから、今回写真に撮ろうとしたわけではありません。逆に、撮った直後に思い出したのです。
と、いうことは、無意識内にあるイメージが夢の中で意識できるのと同じように、写真を撮ることで意識できるということもあるような気がします。今回の件で言うならば、「犬」に対する俺のイメージが、夢と現実で、どちらも同じようだった、ということの確認にもなるでしょう。
心理療法には「写真療法」というものもありますが、表現することで、無意識のイメージが現れやすいということがあり、絵画ならそういうことはあるだろうと思っていたのですが、実際写真もそうなのかもしれないと思いました。
自分で実際体験してみないと、本当なのかどうなのか確信が持てなかったのですが、今回の体験で、写真を撮るということは、自分の無意識内にあるイメージの意識化でもあるんだなぁと、あらためて思います。「夢を見る」と「写真を撮る」ことの相似と言ってもいいかもしれません。
今まで長年写真を撮り続けてきて、どうしてこの写真を撮ったんだろう?と不思議に思う経験も数多くあります。それは自分ではわからない、無意識内のイメージが自然に出てきてしまったと考えることもできるのかもしれません。
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