ももクロがラッツ&スターと顔を黒塗りしてパフォーマンスしたことで巻き起こった議論
先日、ももクロがラッツ&スターと共演で顔を黒塗りしてパフォーマンスしたことに議論が巻き起こった、ということをこちらに書きました。人種差別じゃないのか、という批判ですね。
ももクロ「黒塗りメーク」にNYタイムズ記者批判 「罪のないパフォーマンス」ではすまされない?
(J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2015/02/15227869.html参照)
俺はこの差別うんぬんについて、ちょっと問題ありだと思っています。この常識は「世界の常識」なのかな?と書きました。「世界の」ではなくて「白人が作った」ではないのかな?と。
たまたま『色を探究する('13)』を聴いていたら、これに関係する話題が出てきました。
肌の色で人間を分ける「黒人」という人種の概念が現れたのは、17世紀のヨーロッパらしいんですね。世界各地を植民地にしていった過程で、支配者(ヨーロッパ人)と、非支配者(現地人)を区別するために生まれたものではないか、ということです。
そもそも「黒」に対しては、悪いイメージを持っていたヨーロッパ人は、現地人を「黒人」とラベルを貼って、「劣っている人」、「無知な人」という意味まで付け加えてしまったということがあるようなのです。正当化したかったんでしょうね。「白人」たちは優秀だから、現地人「黒人」たちを支配してもいいんだと。
現地人と自分たちは本質的に変わらないということを無意識的に感じていたからこそ、「黒人」「白人」という区別を無理やり作ったといえるかもしれません。怖さの裏返しとも取れます。
人種「黒人」「白人」という分類は科学的にはまったく意味がないそうです。「紫外線が強い地域に住むメラニン色素が多くなった人」と言ったらいいでしょうか。
俺だって、普通の日本人よりは黒いし、海外に行ったときはもっと黒くなります。まぁ俺のことは「黒人」とは呼ばないでしょうね。いや、もっといい呼び方がありました。「黄色人種」です。
「黄色」も「白人」にとっては、「卑怯」「危険」という意味があるそうです。皮膚が黄色いから俺たちアジア系を「黄色人種」といったのではなく、もっと「卑怯」「危険」という意味的な呼び方であった可能性もあります。「黄禍」なんてもろにそうじゃないでしょうか。どうみても俺たちの肌が実際に「黄色」ではないと思うし。
さて、ももクロとラッツ&スターは、もちろん差別なんていう意識もなく(差別される方が「差別」と感じたら差別なんだという主張にも、俺は?です)、むしろリスペクトでもあったはずです。もともと日本には「黒人差別」などなかったし。
西洋では「白」に対するプラス・イメージが多く、「黒」に対するマイナス・イメージは、「死、無知、悪、罪、悪魔」など多くあると指摘されています。西洋では白黒=善悪はっきりしているわけですね。
でも、もともと「白人」が作ったラベル「黒人」でしたが、今では、「紫外線が強い地域に住むメラニン色素が多くなった人」自身が「黒人」を意識し、「黒人」というラベルを自分で認めてしまっているところも問題は深いなぁと思います。
最初蔑称であったものが、非差別者自身の「名前」として受け入れている例もあることを考えると、この問題は、そう簡単ではなく、難しいところもあります。
それと、ネットが普及して、「世界の常識」を無視できなくなってきたことも、今回の騒動では関係していて、どこまで「世界の常識」を意識しなければならないのか、これもけっこう問題です。
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