« 「車中泊公認施設が年内には100か所ぐらいまで増える」のニュース | トップページ | 今日は旧暦一月一日、そして二十四節気の「雨水」 »

2015/02/18

デンマークの首都コペンハーゲンで起こったテロのニュース

150217(この写真はニュースとは関係ありません)

デンマークの連続テレビドラマ『THE KILLING/キリング(原題:Forbrydelsen)』全20話を観終ったばかりです。

デンマーク史上最高視聴率を取ったドラマなのですが、そんな偶然もあって、今回デンマークの首都コペンハーゲンで起こったテロのニュースが耳に入った時、敏感に反応してしまいました。

フランスのパリで週刊新聞「シャルリー・エブド」が襲われたテロと似ています。イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画に対する反発の可能性が高いようです。

風刺画を肯定する人たちは「表現の自由」といいます。

俺も表現者の一人でもあるので、「表現の自由」は大切だとは思います。でも絶対の価値か?と言われれば、俺は疑問です。「表現の自由」を御旗にして、自分の行為を正当化するのは、どうかなと思います。

だいたいにして、たとえば「お前を殺す」と言ったら犯罪です。言葉だってなんでも表現していいわけではないことは子供でも分かるのに、どうしてそれが「絵(風刺画)」になるとすべてが許されると考えるのでしょうか。

「表現の自由」には、範囲があるのでは?と思います。たとえば、こんな例も・ ・ ・

最近、ももクロがラッツ&スターと共演で顔を黒塗りしてパフォーマンスしたことに、議論が巻き起こっています。

今までなら(日本国内だけの話なら)、もちろん本人たちに人種差別などという意識もないわけですが、ネット社会になって、「外国の常識」を無視できなくなってきたということでもあります。つまり「顔を黒く塗る」という表現は、人種差別になってしまうかもしれないのです。(まぁ、俺はこの差別うんぬんについてはちょっと疑問ありですが。この常識は「世界の常識」なのかな?と。なぜ金髪にしても顔を白くしても差別ではないのに、肌を黒にしたり鼻を高くすると差別になるのか?とか) 

これと、若者の「ふざけた写真の投稿」と似ていると感じます。今まで仲間内にはまったく問題ない行動も、ネットで繋がったとたん、もっと広い常識に晒されて批判されるという意味で。

「表現の自由」が冒すべかざる絶対的価値だなどと言えるのかな。それは同じ文化、同じ土俵、仲間内など「範囲のある価値」なのではないでしょうか。「自分の表現は絶対だといいながら、他人の表現は認めない」というのは論外で、傲慢としか言いようがありませんが。

心配な出来事があります。第三書館がシャルリー・エブドの風刺画を転載した本を出版しようとして、在日イスラム教徒から反発を受けています。第三書館の言い分は、「どういう表現なら認められるのか問題提起したい。現物がないと議論が深まらない」だそうですが、そんな理屈をイスラム教徒が納得するのかどうか。

もっとも、第三書館は確信犯的にやっているのでしょう。
 
  
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 「車中泊公認施設が年内には100か所ぐらいまで増える」のニュース | トップページ | 今日は旧暦一月一日、そして二十四節気の「雨水」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「車中泊公認施設が年内には100か所ぐらいまで増える」のニュース | トップページ | 今日は旧暦一月一日、そして二十四節気の「雨水」 »