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2015/03/31

NHK東北復興応援キャンペーン 「大好き♡東北」 公式サイト

Photo

NHK東北復興応援キャンペーン 「大好き♡東北」 公式サイトができました。

http://www.nhk.or.jp/daisuki-tohoku/

今回のキャンペーンでは、写真集『花咲う 被災地の櫻と復興』から、写真が使用されています。とくに日和山公園で花見をしていた高校生たちの写真は、ポスターや番組ガイドとして配布されます。

◆ポスターは全国のNHK各局、東北各地の自治体・観光関連施設・復興商店街などで掲載。

◆NHK仙台番組ガイドは、4月から宮城県内の自治体・観光関連施設・復興商店街などで配付。
 
 
 
 
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2015/03/28

姫路名物の「駅そば」

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姫路城のグランドオープンを迎えて、大天守へ上る人たちのニュースがぞくぞくと入っています。

ところで、姫路で名物は何かなと思って調べてみると、この「駅そば」というのが出てきました。

「姫路駅で 麺類を販売しようと計画し、度々の試作の結果、かんすいを入れた黄色いラーメンにたどり着き、当社独自でその製造にのりだし、黄色いそばに和風だしという一見ミスマッチの商品が生まれました。昭和24年10月19日、それを”えきそば”と名付け立ち売りを始めました。」
まねき食品株式会社のHPより

新幹線ホームを出た改札のところにも1軒ありました。駅そばは、想像通りというか、素朴な食べ物ですが、「ミスマッチ」とは思いませんでした。姫路の人にとっては、「ふるさと」や「懐かしさ」と同じ意味を持っている物なのかもしれません。
 
 
 
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2015/03/26

今日は、七十二候の「桜始開(さくらはじめてひらく)」

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今日は、二十四節気「春分」の次候の「桜始開(さくらはじめてひらく)」です。

もうすぐ桜の季節がやってきます。

掲載の写真は、姫路城の堀と本丸広場と西ノ丸で撮影した桜です。まさに、「桜始開」です。
 
 
 
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2015/03/25

姫路城上空のブルーインパルス、明日のリハーサル

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姫路城の上空をブルーインパルスの編隊が飛びました。明日のセレモニー「姫路城大天守保存修理完成記念式典」のリハーサルだそうです。

今日の煙は白色でしたが、明日本番には色を付けるのではないでしょうか。

西ノ丸にいたのですが、もしブルーインパルスを見るなら菱の門を入ったところの三国掘り、本丸の広場、三の丸広場がいいかもしれません。空が広く見えるところの方が見やすいようです。

昨日より観光客が多いと思ったら、これを見に来た人がたくさんいたんですね。どうも地元の新聞に情報が出ていたらしい。いよいよ明日がセレモニーで、明後日がグランドオープン。街はお祭り気分です。
 
 
 
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2015/03/24

世界遺産「姫路城」は27日グランドオープン

150324(姫路駅に隣接したキャッスルビューから)

世界遺産の「姫路城」は約5年間にわたる大天守保存修理が終わって、いよいよ3月27日にグランドオープンします。

今日と明日は内覧会の撮影でやってきました。26日にはオープニングセレモニーが行われるようで、今日もスタッフが準備中でした。

内覧会でも、大天守は大混雑でした。一般公開したらどうなってしまうんでしょうか。整理券が必要になるようですが。

桜がちらほら咲き始めています。あと7日くらいで満開かもしれません。桜越しの城もいいですが、混雑は覚悟しないと。

Ya_2「姫路城上空のブルーインパルス、明日のリハーサル」(2015/03/25)
 
 
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2015/03/21

今日は、二十四節気の「春分(しゅんぶん)」

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今日は、二十四節気の「春分(しゅんぶん)」で、旧暦二月二日です。

昨日、「旧暦棚田ごよみ」を1枚めくって「如月」に架け替えました。

写真は福島県矢祭町の棚田。

福島県から茨城県へ抜けようと車で走っていて、県境にさしかかったときです。

ぬかるんだ田んぼと桜の木の周りに漂う朝靄に朝日が射し込んで、神々しいまでに美しい風景になっていました。思わず車を停めて撮影したものです。

こんな瞬間に出会えた幸運に感謝です。
 
 
 
 
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2015/03/19

棚田に関する知識が集約された『棚田学入門』

Tanadagaku

お知らせです。3月15日の日本農業新聞に『棚田学入門』の書評が載りました。

棚田に関する知識がこの本に集約されています。これから棚田へ出かける機会も多くなる季節です。棚田について知りたいと思ってる方、ぜひ読んでみてください。
 
 
『棚田学入門』
単行本: 228ページ
出版社: 勁草書房 (2014/12/19)
言語: 日本語
ISBN-10: 4326602740
ISBN-13: 978-4326602742
発売日: 2014/12/19
商品パッケージの寸法: 21 x 15 x 2.2 cm
 
「本書は、「棚田」の歴史や取り巻く民俗、地理的環境とそれに対する人々の工夫や技術などの実態を明らかにし、生態学や経済学、農業土木学や、農政学などの成果をあわせて、「棚田」の現代的意義の解明と「棚田」の継承に向けて各方面の英知と熱意を集めたものである。広く「棚田」に関心のある方々に、現実的な「棚田」保全を啓蒙する。」(Amazonの内容紹介より)
 
 
 
 
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2015/03/17

「忠犬ハチ公」、新潟県「タマ公」、北海道「消防犬ブン公」などと、新しく兵庫県「シンシア」

150310_1(北海道南富良野町「忠犬ハチ公」碑)

150310_2(小樽市「消防犬ぶん公」像のプレート写真)

150310_3(秋田県大館市駅前の「秋田犬」群像)

150310_4(茨城県北茨城市「忠犬ジョン」像)

150310_5(東京都渋谷「忠犬ハチ公」像)

150310_6(新潟県新潟市「タマ公」像)

150310_7(徳島県徳島市眉山公園犬の像)

介助犬だったラブラドルレトリバー犬の「シンシア」の銅像が、3月14日、兵庫県のJR宝塚駅改札前に完成したそうです。

介助犬の先駆け・シンシア顕彰
nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2015031401001273/1.htm

先日は忠犬ハチ公像のニュースに触れましたが、日本にはたくさんの忠犬の像や碑があります。「シンシア像」で、もうひとつ増えました。

タマ公は、新潟県川内村(現五泉市)の刈田吉太郎さんが飼っていた雌の6歳になる越後柴犬で、昭和9年2月5日、刈田さんは仲間とともにタマ公を連れて猟に出かけましたが、雪崩が発生し、タマ公は雪を掘って刈田さんを助け出したという。

それから2年後、再び雪崩が発生、タマ公はそのとも刈田さんの命を救ったのでした。2度の人命救助は、新聞やラジオで全国に知られることになりました。その功績を称え、小学校や公園、新潟駅にタマ公の像が建てられました。そのひとつが白山公園のタマ公像です。

他にも、北海道の南富良野の「忠犬ハチ公」(渋谷のハチ公とは違います)の碑や小樽市の「消防犬ぶん公」の像、茨城県北茨城市の五浦海岸には「忠犬ジョン」の像、徳島県徳島市の眉山公園にも犬の像がありました。

いずれも、飼い主にとっては、まぎれもなく「忠犬」で、それ以上に「愛犬」であるがゆえに、像や碑をたてて永遠の記憶を残そうとした飼い主の思いが伝わってきます。

そこには日本の「供養の文化」とも関係しているのではないでしょうか。

2010年、宮崎県の口蹄疫の発生では多くの牛が殺処分されました。現地では牛の供養碑が建てられました。テレビのインタビューに答えた奥さんは、

「それはつらかったですよ。家族のようにいっしょに暮らしてきた牛でしたから」

と涙ぐんでいました。家畜ではあっても家族なのです。

311の震災後、原発の放射能問題で、牛を手放さざるをえなかった酪農家の人たちも、家族同様の牛と離れるとき涙を流していました。

日本では昔から塚や碑を建てて供養する風習がありました。動物はもちろんですが「針供養」さえある国なのです。物にさえ「いのち」があるという感覚は嫌いではありません。だから犬ならなおさらのこと。人間と同じように、いや、人間以上に丁重に供養されるということでしょう。
 
 
 
日本全国の犬像を約60体訪ね歩いた『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』が2017年4月下旬に出版されました。

全国の犬像をめぐる

  
 
 
 
 
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2015/03/16

今日は、二十四節気「啓蟄」の末候、「菜虫化蝶」

150316

今日は、二十四節気「啓蟄」の末候、七十二候の「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」です。

モンシロチョウが飛び交う季節です。実際にはちょっと早い気がしますが。

ところで、人間は視覚を重視していますが、動物界で一番優れているわけではありません。

色覚についても、人間の3色型よりも多い4色型のキンギョ、カメ、ニワトリなどの動物がいるし、5色型のアゲハチョウのような虫もいます。人間には区別できない色を区別している動物がいます。

そこで今日の七十二候「菜虫」の話なんですが、なんとモンシロチョウは、オスメスを羽の色で、はっきり区別できるそうです。人間の目には同じ「白」にしか見えないんですが。

モンシロチョウは紫外線を見ることができるからです。オスの羽は黒っぽく、メスの羽は白っぽいので、モンシロチョウたちは、ちゃんとオスメスどっちなのかわかって戯れているんですね。

たかが「虫」といってあなどれません。人間が見ているこの「世界」が「真実」だと思いこんでいるだけで、人間には知ることさえできない「世界」があるんです。

人間にも紫外線が見えたら、七十二候も違った表現になっていたんだろうなぁと思います。

 
 
 
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2015/03/15

東北の咲【わら】う桜 (34) 福島県浪江町 南津島の桜

150317_1(国道399号線 2011年5月1日撮影)

150317_5(国道399号線 2011年5月1日撮影)

150317_2(国道399号線 2012年5月3日撮影)

150317_3(国道399号線 2012年5月3日撮影)

150317_4(国道399号線 2012年5月3日撮影)
 
 
2011年、国道399号線を走っていて見つけたシダレザクラ。道路を挟んで反対側の田んぼの脇にはヤマザクラがありました。

翌年(2012年)同じところを通過したときは雨。「咲(わら)う桜」ではなくて「泣く桜」もまた美しい。

ここも2015年3月現在、帰還困難区域に指定されて、立ち入りできなくなっているようです。
 
  
 
 
 

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東北の咲う桜 プロジェクトのページ
「東北の咲【わら】う桜」
 
 
 
 
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2015/03/14

東北の咲【わら】う桜 (33) 福島県浪江町 津島の桜

150316_1(国道399号線から 2011年5月1日撮影)

150316_2(国道399号線から 2011年5月1日撮影)

150316_3(国道399号線 2012年5月3日撮影)

国道399号線と114号線が交わったあたり津島の桜です。

2015年3月現在、ここは帰還困難区域に指定されていて、立ち入りできなくなっているようです。

 
 
 
 

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2015/03/13

東北の咲【わら】う桜 (32) 福島県田村市 是哉寺地蔵桜

150315(2012年5月3日撮影)

「是哉寺地蔵桜」の看板があったので、探すのは難しくありませんでした。是哉寺の約200m東側です。

樹齢約460年といわれるエドヒガンザクラの巨木です。

訪ねたのは5月3日でしたが、桜の花は満開を過ぎたようでした。
 
 
 

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「東北の咲【わら】う桜」
 
 
 
 
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2015/03/12

東北の咲【わら】う桜 (31) 福島県田村市 強梨の桜と馬酔木沢の桜

150312_1(強梨の桜 2012年5月3日撮影)

150312_2(馬酔木沢の桜 2012年5月3日撮影)

国道288号線から岩井沢強梨地区へ北上していくと、桜並木のトンネルをくぐります。この日は雨が降っていて写真的には今一でしたが、桜並木そのものは立派でした。

近くの馬酔木沢の桜は市の天然記念物に指定されていて、「種蒔桜」とも呼ばれています。これぞ「自然暦」ですね。

 
 
 
 

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「東北の咲【わら】う桜」
 
 
 
 
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2015/03/10

2015年3月11日は、東日本大震災から4年。七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」

150310_1_2(福島県三春町 滝桜 2013年4月16日)

150310_2_2(福島県二本松市 合戦場のしだれ桜 2013年4月17日)

150310_3_2(福島県相馬市 中村城跡の夜桜 2012年4月21日)

2015年3月11日は、東日本大震災から4年。被災した人にとってはまだ復興への道のりは遠いと感じているのではないでしょうか。ただ、少しづつ前進もしているようです。

石巻市雄勝町波板の知人からは、高台移転もようやく目に見える形で動き始め、移転場所に重機が入っているという手紙をいただきました。来年の正月は新居で迎えられるかもしれないとのこと。
 
 
 
ところで、2015年3月11日は七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」です。

「咲」は「わらう」とも読む。そう聞いたのは、福島県三春町在住の作家、玄侑宗久さんからでした。

「咲」は「笑」の異体字だそうで、簡単に言うと、もともとは同じ「字」だったのが形が違っていたので、違う意味になってきた、ということらしい。(Wiki「字体」参照

中国語でも発音は同じ「シャオ xiao(4)」で、「笑う」という意味です。

だから「桃始笑」→「桃始咲(ももはじめてさく)」なのですね。

「山笑う」という言葉もあります。春の季語で、山の明るい雰囲気を表した言葉です。山の花が咲きほこる季節、「山が笑っている」というイメージはすばらしいと思います。

震災2年後、東北応援歌という意味で、被災地の桜のページを作りました。満開の桜を見ると、桜自体も笑顔に見えるし、満開の桜を見た人間も笑顔になります。このページのタイトルを「東北のわらう桜」にしたのも、そのためです。

今年も桜の時期に東北を訪ねるつもりです。

Ya_2東北の咲う桜 【岩手・宮城・福島】
 
 
 
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2015/03/09

昨日は、忠犬ハチ公の80回目の命日

150309_3(大館市にある秋田犬会館)

150309_2(資料館に飾ってあったハチ公の写真)

150309_1(JR大館駅ハチ公像で記念写真)

昨日は、渋谷の待ち合わせ場所として知られる忠犬ハチ公の命日だったんですね。

教授迎える新たなハチ公像
Nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2015030801000443/1.htm)

主人思いのハチの美談が朝日新聞に掲載されたのは昭和7年10月4日のことで、昭和9年4月21日には渋谷に忠犬ハチ公像が建立されました。そしてハチ公が死んだのはその1年後、昭和10年3月8日のことでした。

忠犬ハチ公のふるさと、秋田県大館市にある秋田犬保存会運営の「秋田犬会館」へ行ったことがあります。ヴィーノをつれて日本一周しているときで、北海道から青森へフェリーで渡った翌日でした。

秋田犬会館の博物室には資料がたくさん展示してあります。秋田犬は昔から狩猟(マタギ)には欠くことのできない伴侶だったことがわかります。忠犬の素質を持った犬種のようです。トップが誰だろうと気にしないビーグルとはちょっと違うのかな。

ちょうどハリウッドリメイク版の映画が公開される直前で、リチャードギア主演の『HACHI 約束の犬』(原題 Hachiko A Dog's Story)のポスターが掲げられていました。公開になってすぐ映画を見ました。

会館のスタッフに、「JR大館駅前にハチ公の像もありますよ」と聞いて寄ってみました。小雨の降る中、ヴィーノを像の前に連れ出しました。

「どうせまた忠犬といっしょの写真でしょ?」とうんざりした様子でしたが。世界的にも有名な忠犬と比べられるヴィーノも少しかわいそうかもしれません。

いや、ヴィーノは、車酔いもせず、車でおとなしく留守番するし、不審者が近づけばほえるし、旅犬としてはりっぱに忠犬なのです。
 
 
 
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2015/03/08

セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、カジハラ、トシハラ・ ・ ・

150308

セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、カジハラなど、最近やたらと「××ハラ」がニュースになっていますね。

なんだか一種のブームのようでもあります。もちろん、言葉の問題というより実際ハラスメント(嫌がらせ・いじめ)がそれだけいろんなところで深刻になっているということでもあるんでしょう。

それなら、俺もひとつあります。

これは昔から嫌だったことのひとつで、「トシハラ」と名づけておきます。「歳(年齢)ハラスメント」です。

外国を旅行中、出会った旅人どうし話を始めると、日本人からはよく歳を聞かれました。外国人(欧米人)からはあまり聞かれた記憶がありません。このことは他の人たちも指摘しているので、俺の思い込みではなさそうです。日本人は初対面で歳を聞きたがるのです。

どうして日本人は、初対面で歳を気にするのかというと、歳の上下で、その人に対する態度を変えるというのが日本の文化としてあるからだろうなと思います。歳上を敬うという儒教的影響もあるでしょう。歳で相手との関係を計っているということではないでしょうか。(学生は「大学名」で相手との関係を計っているようですが)

俺は昔から実年齢よりも上に見られることが多く、実際の歳を答えたときの相手の表情、態度の変化を見て、嫌な気持ちになったことは数知れず。また反対に、歳上だと知った途端に敬語を使われることもあり、苦笑します。

歳を聞かれること自体嫌いなんですが、たとえば、よくこんなシーンがありますよね。おばあさんやおじいさんに、「何歳ですか?」と聞いて、「××歳です」と答えると、「いやぁ、ぜんぜん××歳には見えないですねぇ。若いですねぇ」といったシーン。

でも、これは決してほめ言葉ではありませんよね。けっきょく、「若いほうがいい」と思ってるからこその発言でしょう。

つい、俺も地方の撮影に行ったときは「お若いですねぇ」などとお世辞を言います。自分では言われたくないけど、人には言ってしまうのも最悪ですが。

年齢相応が自然であるはずなのに、「若いこと」が異常に強調されるのはちょっと気持ちが悪いとは思います。でも「若いこと」が悪いということではなく、話を最初に戻すと、「トシハラ」は「初対面で年齢を聞く」ということです。

歳を聞かれることが「ハラスメント」だと感じない人にとっては、「トシハラ」は成立しないので、日本で「トシハラ」なんて主張しても、だれも共感してくれないんでしょうけどねぇ。
 
 
 
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2015/03/07

日本通貨発祥の地「和銅」と金儲けの神様「聖神社」

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高さ5mの「和銅開珎」のモニュメントが建っている採掘場の跡地は、今、秩父のパワースポットになっているそうです。けっこうやってくる観光客は多いですね。数年前と違った印象です。吉高由里子出演の「秩父さんぽ旅」のCMが効いているらしい。

約1300年前、ここで採掘された自然銅が朝廷に献上され、日本初の流通貨幣「和銅開珎」が鋳造されました。

「和銅開珎」のモニュメントから国道へ下って来ると、聖神社があります。ここも参拝者が多いと思ったら、通称「銭神様」と呼ばれる、金儲けの神様だそうです。どうりでね。

神社の絵馬を読んで笑ってしまいました。いや、あまりにも正直すぎます。

「楽をして大金を手に入れられます様に」

「楽をして」というところがいいですね。俺もそう思います。

4月13日には春季大祭(例祭)が斎行されるそうです。
 
 
 
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2015/03/06

今日は、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」

150306(小鹿野町両神 福寿草園 2月下旬撮影)

今日は二十四節気の「啓蟄」です。二十四節気の中でも、「啓蟄」は好きな言葉上位に入るひとつです。

Wikiによると、「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す、とのことです。

ようやく春めいた日も増えてきて、閉じこもっていた穴倉から表に這い出るような感覚は、俺自身にもたしかにあります。昔の人は、うまいこと表現するなぁと感心します。

また啓蟄のときの七十二候は次のとおり。

初候: 蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく): 冬蘢りの虫が出て来る

次候: 桃始笑(もも はじめて わらう): 桃の花が咲き始める

末候: 菜虫化蝶(なむし ちょうと けす): 青虫が羽化して紋白蝶になる
 
 
 
 
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2015/03/05

秩父札所 「七番 法長寺」&「十九番 龍石寺」&「二十番 岩之上堂」

150305_1(秩父札所7番  法長寺)

150305_2(牛伏堂とも呼ばれる秩父札所7番  法長寺)

150305_3(秩父札所19番 龍石寺)

150305_4(秩父札所20番 岩之上堂)


「日本の古道」をテーマにしたムック本が4月発行される予定ですが、この中で「秩父札所の巡礼古道」を担当します。

その写真を選んでいるとき、まだ訪ねていない札所があったことがわかりました。以前の雑誌の連載「秩父桃源」のときは、秩父の自然や祭りや「秩父往還」についてが主な写真で、札所を掲載することはありませんでした。だから34カ所すべて行く必要もなかったからです。

でも、秩父巡礼については、最近また注目されているようで、個人的にもこの春は「巡礼」をやってみようかと思ってもいるので(秩父ではありませんが)、未訪問の秩父札所も一応全部まわっておこうかなと思います。

今回は、「七番 法長寺」 、「十九番 龍石寺」、「二十番 岩之上堂」です。


 
 
 
 
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2015/03/02

「感動地球スペシャル・中川翔子のボルネオ」で聞いた言葉「森の皮肉」

150302(Baobab trees, Morondava, Madagascar)

「感動地球スペシャル・中川翔子のボルネオ」を観ました。生態学者の安間繁樹さんがしょこたんを案内してボルネオを旅する番組でした。

ボルネオのジャングルは、高さ70mもある木が生い茂っています。動物たちは高さで棲み分けしているそうです。つまりジャングルは3次元的なのです。そこに200種類もの哺乳類が生きているジャングルの多様性があります。

まるで人間世界の「都会のジャングル」と同じですね。「高さ」で棲み分けしているというのは。お金持ちは「上」に住み、お金の無い人は「下」に住む・ ・ ・。

ところで、しょこたんも、雨のジャングルを歩いてヒルにやられました。気をつけていても、どこからかやってくる。しかも気がつくのが遅れます。痛くも痒くもないからです。俺もタイとネパールでやられました。毒もないし、痛くもないんですが、血がだらだら流れて止まらないのが気持ち悪いのです。

番組の中で印象深い言葉がありました。

「森の皮肉」と言っていたでしょうか。

昔ジャングルだったところは、ラワン材を取るために森が伐採され、その後に植えられたのがアブラヤシだそうです。パーム油の輸出のためです。

それで何が「森の皮肉」かというと、ボルネオにゾウはいないと考えられていたのが、ジャングルが伐採されて少なくなったことが、ゾウの発見に繋がったというのです。

「森の皮肉」で思い出すのは、マダガスカルの西海岸で見たバオバブの並木のこと。

地元ガイドから聞いた話では、バオバブの木というのは、ジャングルの中にあると形がわからないのですが、ジャングルが焼かれたので、焼け残ったバオバブの木の印象的な形が見えるようになったと。

バオバブは火に強いらしいんですね。それと関係あるのかもしれませんが、牛は水を含んでいるバオバブの木の幹をかじるのだそうです。

「バオバブが美しい」のは、自然破壊を伴っているからこそ、と言うと、言い過ぎかもしれないですが、森林が破壊されて見えてきたもの、という意味ではボルネオで見つかったゾウと同じかなと思います。だからこれも「森の皮肉」ではないかなと。

バオバブの風景にどことなく悲しさが漂うのは、現地の子供がしつこく物をねだるからだけではなくて、この森の破壊のせいもあるからかもしれません。
 
 
 
 
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2015/03/01

全国棚田[千枚田]連絡協議会「ライステラス」で、3歳半の記憶がよみがえる

150301

全国棚田[千枚田]連絡協議会「ライステラス」 第68号の特集は、第20回全国棚田サミット(山形県上山市)ですが、俺は「山形の棚田を想う」というエッセイを書かせてもらいました。

「山形」に対しては、ちょっと複雑な思いがあるし、もう山形に住んでいるわけでもないので、寄稿文の依頼を受けたときは躊躇したのですが、編集の方では、事情もわかったうえでの依頼、という説明だったので引き受けました。

それで、書き始めて思い出したことがあります。3歳半の思い出です。その場面がまざまざとよみがえりました。

どうして「3歳半」だとはっきり言えるのかというと、その場面は、3歳半離れた妹が生まれたシーンだからなのです。

稲刈りの季節でした。俺の実家も兼業農家だったので、裸電球が灯された家の中に天井まで稲が積み上げられていて、夜遅くまで脱穀作業の音がしていました。

そんな中で「生まれた!」という声がして、俺は声がした隣の部屋に行こうとしたら、親戚の人(たぶん叔父さん)に「入っちゃだめだ」と止められたのでした。それが妹が生まれたときの記憶です。

黄色い田んぼ、稲の匂い、裸電球の薄暗さもいっしょに記憶されていたのです。でも、この文章を書くまで、すっかり忘れていました。完全に無意識の中にしまわれてあったのです。

何がきっかけで古い記憶がよみがえるかわかりませんね。

でも、本当にこれが俺の実際の記憶なのかと自分で疑ってもいます。寄稿文で書いておきながら、それは「うそ」だったかもしれないと今になって告白するのも、我ながらひどい話だとは思います。

いや、書いているとき(去年の12月ころ)は確かな「記憶」だったのです。それはうそではありません。でも、だんだんと、3歳半の記憶なんて、ほかの人もあるのだろうか?と疑問が出てきたのです。幼いときの記憶がこれほど鮮明に覚えていられるものかどうか?と。

ただ、俺は開き直りました。仮に「作られた記憶」であってもいいのかもしれません、俺にとっては。夢と同じだと思えば。何かこのシーンには意味があるのでしょう。

フロイトがヒステリー患者を治療していたときに、患者が回想する過去の話(たとえば近親相姦的誘惑を受けたなど)が実際にはなかった、空想の産物であったというケースがありました。フロイトは、そういう患者の話を事実として受け取っていたのでショックだったようですが、やがて、そこから「心的リアリティ」という理論に行き着いたのでした。事実ではなかったとしても、患者が、本当に体験したように語るのは、「患者の心にとっては事実なのだ」というのです。

だから俺の「3歳半」の記憶は、フロイトが言うところの「心的リアリティ」と言ってもいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。きちんとした言い訳になっているでしょうか。
 
 
 
 
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