「忠犬ハチ公」、新潟県「タマ公」、北海道「消防犬ブン公」などと、新しく兵庫県「シンシア」
介助犬だったラブラドルレトリバー犬の「シンシア」の銅像が、3月14日、兵庫県のJR宝塚駅改札前に完成したそうです。
介助犬の先駆け・シンシア顕彰
(nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2015031401001273/1.htm )
先日は忠犬ハチ公像のニュースに触れましたが、日本にはたくさんの忠犬の像や碑があります。「シンシア像」で、もうひとつ増えました。
タマ公は、新潟県川内村(現五泉市)の刈田吉太郎さんが飼っていた雌の6歳になる越後柴犬で、昭和9年2月5日、刈田さんは仲間とともにタマ公を連れて猟に出かけましたが、雪崩が発生し、タマ公は雪を掘って刈田さんを助け出したという。
それから2年後、再び雪崩が発生、タマ公はそのとも刈田さんの命を救ったのでした。2度の人命救助は、新聞やラジオで全国に知られることになりました。その功績を称え、小学校や公園、新潟駅にタマ公の像が建てられました。そのひとつが白山公園のタマ公像です。
他にも、北海道の南富良野の「忠犬ハチ公」(渋谷のハチ公とは違います)の碑や小樽市の「消防犬ぶん公」の像、茨城県北茨城市の五浦海岸には「忠犬ジョン」の像、徳島県徳島市の眉山公園にも犬の像がありました。
いずれも、飼い主にとっては、まぎれもなく「忠犬」で、それ以上に「愛犬」であるがゆえに、像や碑をたてて永遠の記憶を残そうとした飼い主の思いが伝わってきます。
そこには日本の「供養の文化」とも関係しているのではないでしょうか。
2010年、宮崎県の口蹄疫の発生では多くの牛が殺処分されました。現地では牛の供養碑が建てられました。テレビのインタビューに答えた奥さんは、
「それはつらかったですよ。家族のようにいっしょに暮らしてきた牛でしたから」
と涙ぐんでいました。家畜ではあっても家族なのです。
311の震災後、原発の放射能問題で、牛を手放さざるをえなかった酪農家の人たちも、家族同様の牛と離れるとき涙を流していました。
日本では昔から塚や碑を建てて供養する風習がありました。動物はもちろんですが「針供養」さえある国なのです。物にさえ「いのち」があるという感覚は嫌いではありません。だから犬ならなおさらのこと。人間と同じように、いや、人間以上に丁重に供養されるということでしょう。
日本全国の犬像を約60体訪ね歩いた『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』が2017年4月下旬に出版されました。

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