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2015/03/01

全国棚田[千枚田]連絡協議会「ライステラス」で、3歳半の記憶がよみがえる

150301

全国棚田[千枚田]連絡協議会「ライステラス」 第68号の特集は、第20回全国棚田サミット(山形県上山市)ですが、俺は「山形の棚田を想う」というエッセイを書かせてもらいました。

「山形」に対しては、ちょっと複雑な思いがあるし、もう山形に住んでいるわけでもないので、寄稿文の依頼を受けたときは躊躇したのですが、編集の方では、事情もわかったうえでの依頼、という説明だったので引き受けました。

それで、書き始めて思い出したことがあります。3歳半の思い出です。その場面がまざまざとよみがえりました。

どうして「3歳半」だとはっきり言えるのかというと、その場面は、3歳半離れた妹が生まれたシーンだからなのです。

稲刈りの季節でした。俺の実家も兼業農家だったので、裸電球が灯された家の中に天井まで稲が積み上げられていて、夜遅くまで脱穀作業の音がしていました。

そんな中で「生まれた!」という声がして、俺は声がした隣の部屋に行こうとしたら、親戚の人(たぶん叔父さん)に「入っちゃだめだ」と止められたのでした。それが妹が生まれたときの記憶です。

黄色い田んぼ、稲の匂い、裸電球の薄暗さもいっしょに記憶されていたのです。でも、この文章を書くまで、すっかり忘れていました。完全に無意識の中にしまわれてあったのです。

何がきっかけで古い記憶がよみがえるかわかりませんね。

でも、本当にこれが俺の実際の記憶なのかと自分で疑ってもいます。寄稿文で書いておきながら、それは「うそ」だったかもしれないと今になって告白するのも、我ながらひどい話だとは思います。

いや、書いているとき(去年の12月ころ)は確かな「記憶」だったのです。それはうそではありません。でも、だんだんと、3歳半の記憶なんて、ほかの人もあるのだろうか?と疑問が出てきたのです。幼いときの記憶がこれほど鮮明に覚えていられるものかどうか?と。

ただ、俺は開き直りました。仮に「作られた記憶」であってもいいのかもしれません、俺にとっては。夢と同じだと思えば。何かこのシーンには意味があるのでしょう。

フロイトがヒステリー患者を治療していたときに、患者が回想する過去の話(たとえば近親相姦的誘惑を受けたなど)が実際にはなかった、空想の産物であったというケースがありました。フロイトは、そういう患者の話を事実として受け取っていたのでショックだったようですが、やがて、そこから「心的リアリティ」という理論に行き着いたのでした。事実ではなかったとしても、患者が、本当に体験したように語るのは、「患者の心にとっては事実なのだ」というのです。

だから俺の「3歳半」の記憶は、フロイトが言うところの「心的リアリティ」と言ってもいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。きちんとした言い訳になっているでしょうか。
 
 
 
 
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