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2015/04/30

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (20) 岩手県大船渡市「津波記憶石」&釜石市「鵜住居メモリアルパーク」&「こすもす公園」

150430_1(大船渡市 津波記憶石)

150430_3(釜石市 鵜住居の常楽寺)

150430_4(釜石市 鵜住居メモリアルパーク)

150430_5(釜石市 こすもす公園、壁画全景)


150430_6(釜石市 こすもす公園、メインの太陽の絵)

陸前高田から大船渡へ。

大船渡の街に入り、前回まで何度か写真を撮っていた歩道橋に上りましたが、児童公園の桜はとうとうなくなっていました。

大船渡の役場で、吉浜海岸にある「津波記憶石」について聞いたのですが、担当者が不在でわからず、でも、行けばわかるだろうと行ってみました。こういうときは現場でなんとかするしかないのです。

吉浜海岸に降りようとしたら工事中で、道を迂回、迂回してどこにいるかわからなくなってしまいました。工事現場入口のガードマンに聞いたら、「週末になると、あのへんで何かを見ているようですよ」という情報が。

教えられた通りに行ってみましたが、工事現場で、それらしい石は見当たらず、諦めかけようとしたとき、プレハブ小屋の脇にクレーターがあって、白いものが見えたのです。

あれかな?と思い近づいてみたが、まさに隕石のよう。穴の中に白い石が埋まっています。工事の若い人に聞いたら「そうだよ」という。

年配の工事関係者がやってきて、周りはチェーンがかけてあったのでたぶん立入禁止なのでしょうが、作業員ならOKだろうからと、ひとりで石の近くまで降りて行って、刻まれた文字を読んでくれました。

 津波記念石
 前方約二百米突吉浜河口ニアリタル石ナル
 昭和八年三月三日津波に際シ打上ゲラレタルモノナリ
 重量八千貫

吉浜川河口付近にあった巨大な石が、三陸大津波で押し流されて陸地へ移動しました。当時の村民が後世への戒めにと、その石に「津波記念石」と刻んだものです。でも人目につきにくいところにあったため、いつしか道路工事で埋め戻されてしまっていましたが、すさまじい津波の破壊力により道路が壊され、再び「津波石」は姿を現したとのこと。

釜石の街から北へ20分、「鵜住居のメモリアルパーク」は工事中で、場所もはっきり確定していないとのこと。住民が大勢亡くなった鵜住居防災センターがあったところです。慰霊碑は、現在、常楽寺に移されています。この寺は「三陸お遍路」の寺にもなっているようです。

私設「こすもす公園(希望の壁画)」は、釜石の街から遠野に向かって30分ほど入ったところにあります。

東日本大震災の仮設住宅建設で公園が減る中、「子どもたちに元気に遊んでほしい」という願いを込めた手作り公園です。隣接する工場の外壁に「希望の壁画」がありますが、横43m、高さ8mの大きなものです。

「再生太陽の国」をテーマに、太陽と幸せを運ぶ鳥がカラフルに描かれています。元気が出る絵です。

公園を作った藤井さん夫婦は、ここで「創作農家こすもす」というレストランをやっています。
 
 
 
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2015/04/29

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (19) 岩手県陸前高田「奇跡の一本松」&旧道の駅&冷泉玉乃湯

150427_1(陸前高田市 奇跡の一本松)

150427_2(陸前高田市 奇跡の一本松)

150427_3(陸前高田市 見晴台からの奇跡の一本松)

150427_4(陸前高田市 かさ上げ工事の中の花畑)

150427_5(陸前高田市 道の駅の建物)

150427_6(陸前高田市 冷泉玉乃湯)

150427_7(陸前高田市 展望台からの市内)

150427_8(陸前高田市 かさ上げ工事のベルトコンベアー)

陸前高田市に入り、奇跡の一本松の近く、国道沿いに一本松茶屋ができていました。ここに車を停めて、一本松までは15分ほど歩きます。

途中「見晴台」というのができていたので、上りましたが、ベルトコンベアーに邪魔されて松はよくみえません。むしろ工事の見晴台です。

看板によると、このあたり「高田松原津波復興祈念公園」or「防災メモリアル公園」という名前になるようです。

歩道をさらに進んでいくと、橋を渡って、一本松のすぐ近くまで行けます。橋のゲートのオープンは8:00-17:00(6-8月は8:00-18:00)で、早朝の時は近づけなかったので、歩道から撮影しました。

かつての道の駅の建物は、津波遺産として残されるようです。俺たちが震災の2年前、旅の途中で立ち寄り、駐車したスペースの白線は残されていました。場所をはっきり覚えています。

建物の前には津波で根こそぎ取られた松の木の根っこが10本くらい並べられていました。すさまじい破壊力だったことがわかります。敷地内に追悼施設もできています。時おり車がやって来ては慰霊碑や建物に合掌する人たち。

市内から車で約30分、竹駒神社脇の道を上っていくと霊泉玉乃湯があります。温泉は何も変わっていませんでした。

この日は湯船に俺ひとり。なんて贅沢な。旧玉山金山の産金が全盛期のころは、全国各地から坑夫たちが集まり賑わっていたという、黄金伝説の郷にある秘湯なのです。

巡礼の半分の行程を過ぎましたが、生活がシンプルになります。次どこへ行くかは決まっているので、余計なことを考える必要もなく、ただ巡礼を進めるだけです。無心になっていくような気がします。

休憩室の畳で横になりながら、花が散った桜の木を眺め、青空を飛ぶ鳥を目で追いながら、この気持ちよさが永遠であってほしいとさえ思いますが、長くは続かないものです。良いことも悪いことも永遠ということはありません。

玉乃湯温泉の先、数キロメートル林道を走ると展望台があり、市街地が一望できます。ベルトコンベアー群も見えます。望遠レンズで覗いたら、かろうじて奇跡の一本松も確認できました。この地に新しい街ができるのはいつのことでしょうか。

暗くなると、ライトアップされているわけではありませんが、ベルトコンベアー群が、まるで近未来の風景のようになりました。
 
 
 
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2015/04/28

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (18) 宮城県気仙沼市「紫神社」&「みちびき地蔵」&「早馬神社」

150427_1(気仙沼市 マグロを水揚げする漁船)

150427_2(気仙沼市 魚市場)

150427_3(気仙沼市 海の市の入口)

150427_4(気仙沼市 紫神社)

150427_5(気仙沼市 大島のみちびき地蔵)

150427_6(気仙沼市 唐桑半島の早馬神社)

150427_7(気仙沼市 早馬神社に展示されている震災当時の写真)

150427_8(気仙沼市 早馬神社の馬の像)

宮城県気仙沼魚市場の2階見学デッキは、昔と同じに開放されていました。でも、水揚げ量はまだ100パーセントは戻っていません。フカヒレを取るサメや、カジキマグロ、本マグロが水揚げされて、セリにかけられているところはかつての活気が戻りつつあるのかなと感じさせます。

港に面した南町は気仙沼で最も古い歴史を持っているところで、東北お遍路の「紫神社」があります。津波で流された若い店主たちが中心となって、気仙沼復興商店街である南町紫市場をオープンしています。

車は観光駐車場に停めて、フェリーに乗って大島へ向かいます。

大島も震災前に訪ねたところです。フェリーの着く浦の浜漁港は、ひなびた感じがなんともいえない味があって、好きなところのひとつでした。今は、更地になって、仮設の建物がいくつか。

この大島にも東北お遍路の巡礼地に選ばれた「みちびき地蔵」があります。浦の浜から歩いて30分くらいのところです。みちびき地蔵には津波被害者の伝説があり、テレビ『まんが にほん昔ばなし』でも放送されたことがあります。

大島住民の信仰を集めてきた地蔵堂は、津波で流失し全壊しましたが、再建されました。

港に戻り、スーパーで手作り弁当を買ってベンチで食べました。暑かったですが湿気がないし、風もときどき吹いてくるので気持ちがいい。いろんなおかずが詰め込まれていてボリューム満点。「男の弁当」という感じがします。復興に携わる男たちが買い手なんだろうなと思いました。

次の日の朝は、気仙沼の市場をもう一度見学し、唐桑半島にある早馬神社に行きました。

「東日本大震災復興祈願碑」が立ち、今回のような犠牲者が出ないことを祈願して「大津波到達点 子々孫々語り継げ」と、また上の方には「大津波浸水高さここまで」と刻んであり、津波の高さと恐ろしさを伝えています。

今回は15mの津波が押し寄せ、神社境内には2.2mの浸水。唐桑町宿浦地区で残ったのは、この神社だけ。周囲300mはすべて瓦礫と化しました。

境内には十数人が逃げてきましたが、津波が最初の予報6mのよりも高かったので、さらに階段を上って逃げました。そこでしばらく暮らしたそうです。

境内に車は6台避難していていましたが、引き波で持っていかれました。それでも、大理石の馬の像だけは無傷だったでした。新品と思えるほど無傷なのです。震災当時の写真も展示してありますが、たしかに、馬の像は、倒れもせず、無事な様子がうかがえます。これは奇跡ですね。

漁業者は、今回の津波で大打撃を受け、やめようかと思ったところ、全国のボランティアの人たちの助けや応援もあって、また再開することを決心したそうです。
 
 
 
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2015/04/26

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (17) 宮城県気仙沼市「大川桜並木」&「地福寺、岩井崎」

150426_1(宮城県気仙沼市 大川桜並木 上は2013年、下は2015年撮影)

150426_2(気仙沼市 大川桜並木)

150426_3(気仙沼市 大川桜並木)

150426_4(気仙沼市 地福寺「海のいきもの供養の碑」)

150426_5(気仙沼市 岩井崎「龍の松」)

宮城県気仙沼までやってきました。

郊外の浜に住む三浦さん宅を訪ねました。三浦さん夫婦の写真も『花咲う』に使わせていただきました。

自宅の桜は2本あり、両方とも津波をかぶりましたが、1本は枯れて、1本は健在でした。三浦さんの自宅は、畳まで浸水しましたが、壊れることはなかったので、ここに住むそうです。

この地区は復興が早かったといいます。45軒中30軒は流されましたが、みんな上の方に土地(畑)を持っていたので、そこに家を建てることができたからです。

なお、岸壁は、地震で沈下した70cmを補うために、70cmかさ上げしたそうですが、なんと最近20cm元に戻ったという。つまり岸壁の高さが20cm高くなってしまったというのです。これは船から物を上げ下ろしする労力が増えることで、いいとこではないそうです。

「まさか、完全に70cm元には戻らないだろうが」

と言っていました。各地でこの話を聞きました。地盤はまだ安定していないようです。

気仙沼市の大川へ。ここは「大川桜並木」があって、何度も写真を撮った場所です。2年前も、かさ上げするので、並木は切られるらしいという話を聞いていましたが、実際桜並木は無くなっていました。写真を見ると一目瞭然でしょう。

川の反対側には数本立っていますが、これも切られることになっています。

街の南側に岩井崎があります。東北お遍路にも選ばれている「地福寺」、「龍の松」があります。

地福寺にも慰霊碑がありましたが、その中に、「海のいきもの供養の碑」というのもありました。人間だけではなく、すべての生き物に対する供養の精神があるのも、日本らしいと言えるのかもしれません。それどころか「針供養」という物に対する供養の文化さえあります。

岩井崎は断崖なのかなと思ったらそうではなく、70cmくらい地盤沈下したとはいえ、けっこう海と近い高さです。風が強く、波が怖く感じます。波風に立ち向かうように龍の松が立っています。津波にも耐えた龍の松です。この力強さが被災者の気持ちに響くのではないでしょうか。
 
 
 
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2015/04/25

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (16) 宮城県登米市&南三陸町「上山八幡宮」

150425_1(宮城県登米市 教育資料館)

150425_2(登米市 武家屋敷「春蘭亭」)

150425_3(登米市 100年前の冷蔵庫)

150425_4(南三陸町 さんさん商店街)

150425_5(南三陸町 上山八幡宮)

150425_6(南三陸町 「波来の地」の碑)

150425_7(南三陸町 防災庁舎)


石巻市を北上し登米市に向かいました。登米市は津波被害はなかったものの、揺れがひどくて多くの建物が倒壊した被災地でもあります。内陸の被災地は忘れがちです。

登米市には、明治4年に建てられた水沢県庁記念館、明治21年の教育資料館、明治22年の警察資料館など、明治期の建築が点在している街です。それと武家屋敷街も残っています。

警察資料館を撮影していると、向かいの商店のおばあさんから
「100年前の冷蔵庫、写真に撮っていかれませんか?」
と声をかけられた。
「えっ? 冷蔵庫?」
訳が分からず見せられたのは、高さ1mほどの木製の箱、タンスのようなものでした。
「これ、100年前の冷蔵庫。地震で本宅は壊れたんですが、この冷蔵庫は無事だったんです」
「写真に撮っていいんですか?」
「どうぞどうぞ。おたくさん、熱心に写真を撮っていたので、写真を撮る人かなと思って声をかけました」
とのこと。ようやく事情がわかってきました。

昔、電気がなかったころの氷で保管しておくための冷蔵庫だそうです。NHKも取材に来たというからかなり珍しいものらしい。あとで写真を見て気が付いたのですが「バター冷蔵器」の文字が。

それから話は、震災当時の辛い思い出や、いろんなところにおよび、何でも鑑定団に出品したというブリキのおもちゃを見せてもらったり、ビン入りサイダーを飲んだり、きな粉棒を食べたり。

最初のはハズレ。「これ食べてみて。私のおごり」と渡されたやつは、爪楊枝の先が赤い「当たり」が出て、もう一本食べることができました。

まるで小学生に戻って、近所の駄菓子屋にいるような気分に。

登米市から再び海側に出て、そこが南三陸町志津川。「さんさん商店街」にポータルセンターがあって、津波被害に関する写真パネルや、避難所生活の様子などわかるような展示がされていました。観光案内所も兼ねていたので、東北お遍路の巡礼地「上山八幡宮」の場所を教えてもらいました。

ポータルセンターから5分ほど。山際の幼稚園の横に「上山八幡宮」がありました。

鳥居のそばに津波襲来の碑が立っています。「災いを払い、復興支援者に敬意を払い、永久に注意を払い続けることを願って、ここに刻む」とあります。

八幡宮は、昭和35年のチリ地震津波の時には、防災庁舎の北隣にありましたが、昭和46年、今のところに移されたそうです。今回の津波は鳥居の下まで来ました。

南三陸町の防災庁舎は残されていますが、周りには土砂が高く積まれていて、かさ上げ工事が始まったら、どうなってしまうんでしょうか。遺族感情も考慮しなければならず、これを残すか壊すかは簡単な話ではないようです。
 
 
 
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2015/04/24

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (15) 宮城県石巻市雄勝町「玄昌石の里 波板」&牡鹿半島の「十八成浜白山神社」

150424_1(石巻市雄勝町 波板)

150424_5(玄昌石の採掘現場)

150424_2(玄昌石を見せてくれた伊藤さん)

150424_4(ナミイタ・ラボで作られている玄昌石の丸い硯)

150424_3(十八成浜 白山神社)

宮城県石巻市雄勝町の「玄昌石の古里 波板」を訪ねました。

震災前の波板の写真を偶然撮っていたことがきっかけで、住民の伊藤さんと知り合い、写真集『花咲う』にも登場していただきました。

今、波板は「玄昌石の里」として復興をはかっています。波板地域交流センター(通称:ナミイタ・ラボ)もできました。この地域の復興を進める拠点になりそうです。

伊藤さんに玄昌石の採掘場所を案内してもらいました。ナミイタ・ラボから1kmほど山に入ったところです。

これは立派な産業遺産ですね。いや「遺産」ではなく、今も現役で、むしろこれから再出発を果たす「未来産業」といった方がいいかもしれません。

玄昌石は粘板岩で、天然スレートとも呼ばれます。硬く光沢があり、耐水、耐火性が高く、5mm~10mmの薄い板状にも加工できるので、東京駅の屋根材をはじめ、国内で数多くの建築に使われています。

中国貴州省に住むプイ族の民家やネパールのヒマラヤ山麓で見た民家も石造りで、屋根には天然スレートを使っていますが、もしかしたら同じ種類の石ではないでしょうか。

「何もないってことは、何でも作れるってことだから」

これがこの村のモットーらしいのですが、自然体であるところに共感を覚えます。

畑では野菜が採れる。海では魚が獲れる。冬には昆布が浜にやってくる。山には石があった。竹があった。それを利用しているだけ。

こんなふうに、自然に対して受身的に見えるほど「自然体」なのがこの集落の特徴ではないかと感じますが、このゆるい感じがまたいいのでしょうね。ここにいると妙に落ち着くのです。

だからナミイタ・ラボでは、そのうちカフェも始める計画もあると聞いたので、これからの波板に期待しています。
 
 
 
女川を経由して、牡鹿半島に向かいました。半島西側の海岸に十八成浜に「白山神社」があります。

東日本大震災で大きな被害を受けた十八成浜で、地域のシンボルとなっている白山神社の鳥居が今年、ボランティアの協力で再建されました。神社の建物は無事でしたが、石造りの鳥居は倒壊してしまったそうです。

震災時の十八成浜行政区の後藤正信区長は「神社は地域の守り神。5月3日の例祭に間に合うように、鳥居を建立できて良かった」と感謝しています。

訪ねた時、ちょうど社殿の中で、神輿をきれいにしていました。5月3日の祭りの準備です。この神輿は海に入るのだそうです。

「こんなに寒くて、海に入るんですか?」と聞くと「入るよ」という答え。

神輿を担いで川や海に入る祭りは他でもやっています。俺は秩父で見ました。皆野町親鼻の祇園(川瀬)祭です。神事のあと、男たちがかがり火の灯る川の中へ入って神輿を洗うのですが、迫力満点です。

時間があれば祭りのときにまた戻って来たいのですが、この巡礼の日程はまったくわかりません。いつものことですが。
 
 
 
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2015/04/23

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (14) 宮城県石巻市「日和山公園」&「教会」&「西光寺」&「慶長使節団ミュージアム」&「普誓寺」

150423_1(石巻市 日和山公園)

150423_2(石巻市 日和山公園)

150423_3(石巻市 石巻ハリストス正教会)

150423_4(石巻市 西光寺)

150423_5(慶長使節船ミュージアム)

150423_6(石巻市 普誓寺)

石巻市の「日和山公園」に行きました。

「あれっ? まだ早かったかな?」と思ったのは間違いで、すでに満開は過ぎていました。はらはらと花弁が散っています。スタッフに聞いたところ、今年は1週間ほど満開の時期が早かったそうです。

伊達政宗は、ほんとうは日和山に築城したかったという説もあるそうです。たしかに見晴らしのいい場所です。

震災後、同じアングルで桜の写真を撮っている場所があります。桜を通して津波がひどかった門脇町、南浜町が見えます。

今回は、満開には間に合いませんでしたが、これでまた1年が過ぎたんだなと実感します。高校生たちの花見の写真を撮ったのはもう2年前なんですね。あの日もいい天気でした。

日和山の北側の住宅街に、キリスト教・正教会の教会で、明治13年築の「石巻ハリストス正教会」があります。

津波で2階まで冠水し、建物が傾き壁面が大きく破壊されるなどしましたが、流失は免れました。移築復元する方針だそうです。

日和山の南側の「西光寺」に行きました。

門脇町を見守るお地蔵さまがありますが、土から出てきたのもあるそうです。壊れたお地蔵さまはいたいたしい。

「宮城県慶長使節船ミュージアム」に着いたのが午後4:20で、すぐに閉館してしまい、中は見学できませんでしたが、復元船は上の公園の方からもよく見えます。

霧雨の中、「普誓寺」に寄りました。

大きなお寺です。江戸時代に北上川河口に住む人たちを水害から守り、石巻の発展の礎を築いた川村孫兵衛が伊達家の祈願を受け、遺言により建立した寺だそうです。

ここにも津波は押し寄せました。本堂の入口は板で塞がれたままです。今、門前の道路に面したところに、波の形を象った「津波到達地点」の碑がたっています。
 
 
 
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2015/04/22

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (13) 宮城県松島町「瑞巌寺・観瀾亭」&東松島市「富山観音堂」&「観音寺」

150421_1(松島 夕方の五大堂)

150421_2(松島 朝の双観付近)

150421_3(松島 瑞巌寺)

150421_4(松島 瑞巌寺境内の津波到達地点)

150421_5(松島 観瀾亭)

150421_6(東松島 富山観音堂)

150421_7(東松島 観音寺にあった多十郎の墓)


松島湾には大小いくつもの島が点在します。松島はこの島々の自然の力が最低限の被害で済んだ理由でもあります。景観的にすばらしいだけではなく、防災上からもいい場所であることを証明したわけです。

瑞巌寺は、平安時代から続く由緒ある禅寺で、江戸時代になって伊達政宗が再興させたところです。

国宝の本堂(再建中)、庫裡、御成玄関、回廊、および重要文化財の御成門、中門、大鼓塀など、桃山時代の代表的な建造物が多くあります。

仮本堂の庫裡に御本尊などが祀られていますが、フラッシュを使わなければ、撮影はOKだそうです。御本尊は「聖観世音菩薩」。青銅製立像、制作年代は不明。

宝物殿には、江戸後期作「松島塩釜図屏風」というパノラマふうに描いた絵がありました。こういう絵が好きです。西洋絵画の遠近法とは違っていて、遠いものを上、近いものを下に描く日本絵画の特徴がよく出ています。

また境内には津波到達地点を示す看板が立っていました。

瑞巌寺の門を出て、海側にある観瀾亭に入りました。

伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が松島に移したと伝えられています。小さな博物館も併設されています。

震災の時は観光客の避難場所になりました。スタッフの話では、津波はこの高さまではこなかったので、建物も無事だったとのことです。

松島から東松島へ車で20分、県道27号線から細い山道を5分ほど入っていくと駐車場があって、そこからは階段をひたすら上っていきます。モミ、イヌブナ、コナラなどの林は、松島の原生林の面影を残しているものです。

うっそうとした林の中を歩いて10分くらい。息を切らし、木造の古い仁王門をくぐると、ようやく赤色が鮮やかな奥州三観音のひとつ富山観音に到着しました。東北お遍路巡礼地には選ばれていませんが、将来選ばれるかもと思ったので、載せておきます。

山頂は116.8mの高さがあり、湾内のどこからでも見えるそうです。だからでしょうか、震災時には無線基地がおかれました。隣には大仰寺もあります。

松島湾内に点在する島々の中で、最大の島が奥松島にある宮戸島です。震災直後の4月下旬に訪ねた時は、島に渡る道自体が壊れてしまって、河原のようなところを行った記憶があります。

歴史博物館の敷地に自衛隊の炊き出し隊がいましたが、山形県神町駐屯地から派遣された部隊で、かいがいしく住民に食事の配給をしていたのが印象的でした。

歴史博物館の先にある観音寺は、東北お遍路巡礼地になっています。貞観地震の千年石碑があるそうです。

津波が来たらこの地点より高い所に逃げろ、と昔から言われていて、東日本大震災でも住民が宮戸小学校へ避難して全員助かりました。

巡礼地なので観音寺を訪ねたのですが、意外なものを見つけました。俺にとっては特別興味をひかれるものでした。

「多十郎の墓」というものです。しけに遭って流された地元出身の多十郎という人物が1804年に長崎に帰国しましたが、きしくも彼が日本人で初めて世界一周をした人物になったということです。

知りませんでした。まさか本人も、後世、そんな肩書きで有名になるとは思ってもみなかったでしょうね。
 
 
 
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2015/04/21

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (12) 宮城県仙台市「浪分神社」&「蒲生干潟」&七ヶ浜町「多門山」&多賀城市「末の松山」

150420_1(浪分神社)

150420_2(蒲生干潟 日和山)

150420_3(多門山公園 松島四大観眺望地)

150420_4(多門山公園 浪分櫻)

150420_5(宝国寺 末の松山)


仙台市若林区の霞目陸上自衛隊駐屯地付近にあるのが「浪分神社」。コンビニの向かいの小さな神社です。

「浪」を「分ける」という名前から想像した通り、天保期、慶長の大津波が二つに分かれて引いた場所に稲荷社を移し、津波よけの神社としたそうです。白馬にまたがった海神が大津波を南北に分けて鎮めたという伝説もあります。

近所のおばあさんに話を聞いたら、今回の津波はここまでは来なかったそうですが。

「蒲生干潟」には震災前にも行ったことがありました。それはここに「日和山」という標高6mの「日本一低い山」があったからです。その後大阪府にある4,5mの天保山に「抜かれて」しまい、ここが日本一低いとは言えなくなりました。だから「元祖・日本一低い山」だったのです。

そして今回の津波です。山が削られてしまいました。チベットの祈りの塚「オボ」のように石が積んであって表札が立っていましたが、これには標高3.0mと書いてあります。ここがまだ「山」と認められているなら、これで再び「日本一」になるわけですが。

七ケ浜町の「多門山公園」は、まだ東北お遍路巡礼地には選ばれていませんが、そのうちなりそうだなと思うので載せておきます。山は海抜56m。桜が8部咲きくらいでぽかぽかと暖かく、気持ちがいいところでしたが、震災当時、やはり多くの人たちが避難したとのことです。

駐車場から歩いて数分のところに毘沙門堂がありますが、そこから松島湾を望むことができます。松島四大観眺望地のひとつ「偉観」です。

「浪分櫻」の碑とともに2本の高い桜の木がありました。形が不思議だったので、もしかしたら津波に襲われた「被災桜」かな?と気になったので、役場に行って聞いたら、京都の桜守りの人からの寄贈だという。今年の3月に植えられたばかり。松島湾を背景に、見事な桜に育っていくことでしょう。

ところで、今年は東北も異常なほどに桜の開花が早く、あっという間に桜前線に追い抜かれて、もう追いつけません。しかも、ブログも日に日に遅れています。気が付かれているでしょうが。もう、リアルタイムではなくなっています。この「浪分桜」は数日前の写真です。

そして今日掲載する最後の巡礼地は、多賀城市の宝国寺にある「末の松山」。

「百人一首」で清原元輔が歌った

  契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは

の碑があります。古来から869年の貞観地震・津波を歌ったのではないかと伝えられていましたが、今回の津波もこの直前で止まったことから、伝承が正しいものと考えられるようになりました。

こういう碑が「遺跡」になってはいけないわけですね、防災の点からは。だから巡礼という生きている枠組みの中で、津波の記憶を伝えていくという方法は、いいアイディアでなないでしょうか。
 
 
 
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2015/04/20

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (11) 宮城県「貞山運河」&「仙台空港」&「閖上漁港」

150420_1(貞山運河)

150420_2(仙台空港)

150420_3(閖上 日和山)

150420_4(閖上 慰霊碑モニュメント)

150420_5(閖上朝市)

150420_6(閖上朝市での、海鮮バーベキューセット)


「貞山運河」は、宮城県岩沼市から石巻市まで続く運河。50kmの長さがあります。伊達政宗の命により、米などの物資を運ぶ大動脈として整備されました。

運河が津波の威力を減衰した可能性もある、この歴史的事実を後世に語り継ぐ必要があるというのも、巡礼地に選ばれた理由のひとつ。

東北の空の玄関口、「仙台国際空港」は津波で浸水しましたが、米軍の「トモダチ作戦」によって早期に復旧しました。

滑走路に津波が押し寄せてきた映像は、今でもよく覚えています。たしか、飛行機が津波にのまれて動いたのではなかったでしょうか。

空港屋上の展望台からは、遠くに仙台市内のビル群も見えます。

名取市の「閖上漁港と日和山」に行きました。

日和山は船の出入りを見るために1920年に築造された、こんもりとした小山です。

日和山自体は高さ6.3mですが、頂上付近には大きな松が立っています。その幹に20cmほどの傷があります。高さが2.1mのところなので、下から合計すると8.4mもの津波が来たということが推測されるそうです。

津波の当日、ここに中学生が避難し、流れてきた漁船に飛び乗って助かったという話もあります。

日和山の南側には白い慰霊碑が立っています。これは「種の慰霊碑」から発芽をした「芽生えの塔」が上へ上へ伸びていく様を表現しているそうです。これは震災で犠牲になられた方々が、天に昇っていく姿をイメージしたもの。

盛土を含めた塔の高さは、この地を襲った津波の高さに合わせて、8.4mとなっています。

閖上朝市は日祝日に開催されます。駐車場から入っていくと、さっそくいい匂いがお出迎え。

海鮮バーべキューセットを買いました。海鮮は自分で焼くスタイルです。店の前に炭火を起こしたバーべキュー用の網があって、そこで焼いて食べます。

知らない者同士、しゃべりながら食べるのも、また楽しい。ホタテは、最初平たいほうから焼くなんてことも、向かいの奥さんから教えてもらいました。俺は知らずに、反対側から焼いてしまって、多少固くなってしまったかもしれません。超巨大ホタテで、初めて食べるものです。カキも、イカもうまかった。

朝市は閖上漁港のそばです。閖上地区をかさ上げし、現地再建を目指すという話も聞きました。

閖上は仙台ができる前からあった集落だったそうです。それだけこの閖上という土地に愛着があるのでしょう。朝市も「俺たちはここで行きていくんだ」という住民の姿勢というか、決意みたいなものを感じさせます。
 
 
 
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2015/04/19

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (10) 宮城県山元町「戸花慈母観世音」&「中浜小学校と千年塔」&「磯崎山公園(唐船番所跡)」&亘理町「鳥の海」

150419_1(山元町 戸花慈母観世音)

150419_2(山元町立中浜小学校と千年塔)

150419_3(山元町 磯崎山公園の伊達政宗が座った石)

150419_4(亘理町 わたり温泉鳥の海)

150419_6(亘理町 祭りの神輿)

150419_7(亘理町 高さ7.2mの防潮堤)


山元町でも役場で情報収集しました。

戸花慈母観世音は、戸花山のふもとにありますが、工事中のところが多くて、迂回迂回で、なかなかたどり着けません。

ようやく山の入口に行ったら、その真ん前に子供を抱く観音様の石像がありました。山を背景に海側を向いています。平成26年10月18日建立。漂流した人が、一夜を過ごした奇跡の場所だということです。

山は遊歩道がぐるりと一周していて、散策するのにはよさそうです。桜が所々に植えられているので、何十年後は桜の名所になっているのではないでしょうか。

戸花山から3kmくらい離れた山元町立中浜小学校と千年塔は海そばにありました。

地震発生直後、教職員は児童全員を屋上の屋根裏倉庫へ上げました。そこだけは無事だったそうで、児童と教職員全員が助かったそうです。役場の話では、小学校の建物は残すか残さないかは検討中らしい。

慰霊碑の千年塔は2013年3月11日建立。

磯崎山公園には、海を見下ろす「潮見台」から外国船監視のために設置された番所跡があります。

またここには、伊達政宗が座った石、というのがありました。船番所を視察したときに休憩した石なんでしょうか。

亘理町へ移動。

わたり温泉鳥の海で、温泉に入りました。

5階建てビルに入っていくと、券売機と受付がありましたが、殺風景な感じがしたのは、あとになって話を聞いてわかりました。

津波は1階のレセプションカウンターなど、大きな柱を残してすべて流されたそうです。現在も、5階の風呂以外は再開のめどはたっていないとのこと。

幸いにして、温泉をくみ上げる設備は奇跡的に倒れずに無事だったので、温泉だけは半年前に再開することができました。仮設に住んでいる人たちが多いので、温泉の再開は待ち望まれていたようです。

5階までエレベーターで昇ると、そこに風呂場がありました。露天もあります。鳥の海を見ながらの入浴は気持ちがいいものです。

ちょうどこの日、近所の神社の例大祭で、神輿が練り歩きました。
 
 
 
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2015/04/18

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (09) 福島県新地町「龍昌寺」&「大戸観音堂」&「安波津野神社」

150418_1(新地町 龍昌寺のモニュメント)

150418_2(新地町 龍昌寺の本堂と桜)

150418_3(新地町 大戸観音堂)

150418_4(新地町 安波津野神社)


福島県新地町の役場を訪ねて、町内のお遍路巡礼地の場所を聞くことにしました。

ここ1週間の経験から、海そばの小さな神社は、かなり探すのが難しいことがわかったからです。住宅がまったくないことや、工事中でもあり、道路がわかりにくく、もちろん人に道を聞くわけにもいかないし。

役場の人は、いろんなところに連絡を入れてくれて、詳しい地図をくれました。東北お遍路についてもよく把握されていました。

龍昌寺は、国道6号線の西側にあります。この寺は有名なので、町のマップにも掲載されていたのですぐわかりました。

門をくぐると新しい観音像「さくら観音」と、東日本大震災の慰霊碑が立っています。

本堂の裏側(西側)に回ると墓地があって、桜の木が10本ほどありました。さらに奥へ行くと、広場のような平らな場所があって、観音像が立つ、こんもりとした塚のようなものが目に飛び込んできました。近づいてみると、それは数多くの墓石や地蔵などの石仏が積まれたものでした。

被災墓地の墓石を回収し、遺骨も収集して、観音様を建立してモニュメントにしたものだそうです。

ここにも、東北お遍路巡礼地の碑が立っていました。これは昨日、松川浦で行った津神社の入り口に立っていたのと同じものです。これが「プロジェクト第一号標柱」だそうです。

海側へ向かいます。

大戸観音堂は高台にありました。100人近い人が逃れて助かったそうです。

さらに奥に続く階段があって、赤い鳥居をくぐって10mほど竹林を進むと、墓地がありました。開けた風景が目に飛び込んできます。新地町の市街地も見えます。いくつものクレーンが立っている海のそばの大規模なかさ上げ工事が行われています。工事の音が聞こえてきます。

大戸観音堂から300mほど離れた小さな安波津野神社。釣師浜漁港の真ん前に位置します。海面からは高さ10m位でしょうか。豊漁と海上安全を祈る神社でしたが、流されてしまいました。欄干が壊れたままになっていて、津波の強さを物語っています。

今あるのは仮の神社で、再建される予定です。
 
 
 
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2015/04/17

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (08) 相馬市「稲荷神社(寄木神社)」&「津神社」&「松川浦」

150417_1(相馬市 稲荷神社(寄木神社))

150417_3(相馬市 津神社)

150417_4(相馬市 津神社)

150417_5(松川浦)

150417_6(松川浦 海鮮丼)

相馬市の東、松川浦の南側に位置するのが稲荷神社(寄木神社)です。海そばですが、高台にあり、住民をすくいました。

「津波がきたらお明神様に逃げろ!」の言葉があるそうです。、いざというとき真っ先に頭に浮かぶ避難場所でもあるというのは、いつも身近な明神様だからなのかなと思います。確実に「あそこだ!」というところを持っていることが海に暮らす人たちの身を守る知恵なのです。

一方、松川浦の北側に位置するのが、津神社です。

慰霊碑の台座に横に「←」が描いてありましたが、津波到達地点を表しています。階段4段ほどの高さで、神社の社殿がある上までは達しなかったようです。だから多くの住民が助かりました。

実は、貞観津波、慶長津波のときも、津神社は被害にあわなかったという伝承があるそうです。

ところで、ここには初めて見る「東北お遍路こころのみち」の碑が立っていました。これがそのうちすべての場所に立つことになるのでしょうか。

松川浦も被害を受けましたが、徐々に観光客が戻りつつあります。「復興チャレンジ海鮮メニュー」というのがあるそうで、栄屋で聞いたら、あることはあったのですが、ひとりで注文するものではなく、、複数人で注文するメニューだったので、今回は、海鮮丼を注文しました。

地元の人なのでしょうか。お風呂上りでつまみのエビフライを食べながらビールを飲んでいるおじいさんや、座敷で横になっている人たち。こういったくつろげる場所が復活したのは良かったですね。

食事後、松川浦温泉のホテル飛天へいって、日帰り温泉に入りました。松川浦を望む露天風呂もあります。のんびりできて、いい風呂でした。
 
 
 
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2015/04/16

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (07) 南相馬市「北萱浜神社」&「山田神社」&「御刀神社」

150416_2(南相馬市の北萱浜神社)

150416_3(南相馬市の御刀神社)

150416_4(南相馬市の御刀神社)

150416_5(南相馬市の山田神社)

南相馬市の「北萱浜神社」は、原町の道の駅から海側へ数キロ行ったところにあります。

社殿は新しい白木の部分が半分くらい。壊れたんでしょうね。周りの木はほとんど切られていますが、津波の被害があって枯れたのではないでしょうか。そのかわり桜の若木が20本ほど植えられています。

2012年5月に建立された「震災の碑」がありました。ここは10数メートルの津波に襲われ、53名の人命が失われました。碑の後ろ側には犠牲者の名前が刻んであります。

南相馬市の鹿島地区にある御刀(みと)神社に来ました。1000年の歴史があったようです。だいぶ荒れています。海までは何もありません。1、2キロ先に工事現場が見えます。鳥居と石灯籠が寂しげです。

狛犬らしい石の塊や、灯篭なども壊れて放置されています。ところで、この狛犬は、津波に乗って隣の家の座敷に鎮座していたそうです。

御刀神社から数キロ離れた山田神社にやってきました。海が見える高台にあります波の音がたえず聞こえています。海風が冷たく感じます。

今回の震災では、氏子46人が亡くなり、昔行われた干拓工事中の事故で11人の犠牲者が出ましたが、その慰霊碑も流されたそうです。もともと山田神社はこの干拓工事で亡くなった人を祀ってあった神社らしい。

鳥居は、「鳥いっぱい鳥居」というもので、オレンジ色の鳥の絵がかいてあり、明るい印象です。
 
 
 
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2015/04/15

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (06) 福島県富岡町の夜ノ森桜並木&南相馬市小高神社や小高駅前の桜

150415_1(福島県富岡町 夜ノ森桜並木)

150415_2(福島県富岡町 夜ノ森桜並木)

150415_3(福島県南相馬市 小高神社のしだれ桜)

150415_4(小高地区の幼稚園の桜)

150415_5(小高駅前のロータリー)

150415_6(南相馬市 道の駅)

2年前、富岡町の夜ノ森桜並木へ行った時も、こんな満開でした。

桜並木はほとんど何も変わっていません。帰還困難区域のゲートで並木は分断されていますが、それも変わっていません。玉子の自動販売機を覗いたら、これも同じでした。

ただ違っていたのは、所々に「除染済み」のコーンが立っているのと、観光客で混雑していることです。

富岡町を出て北上します。車は国道6号線を通れますが、二輪車は禁止されています。大熊町、双葉町は、素通りしなければなりません。それでも2年前はここを通れず、大きく西側に迂回して、2時間ほどかけて行ったことを思えば、30分で通過できるようになったのは、工事関係者や地元の人にとっても便利になったということでしょう。

東北お遍路の巡礼地には、「福島第一原発」や「熊川海水浴場」も選ばれていますが、今のところ近づくことはできません。

浪江町までやってきましたが、2年前撮影できた請戸川沿いの堤防も立入禁止で近づけず、桜の撮影はできませんでした。

南相馬市の小高神社は、お遍路巡礼地に選ばれています。ちょうど桜が満開でした。一番東側にあるしだれ桜はみごとですが、3年前と比べると、枝が短くなっていました。境内はすっかり元通りになっていました。

小高駅前にも行ってみました。ロータリーがに桜があるのですが、これは同じでした。近くの公園の桜も何も変わっていません。

南相馬の道の駅にある桜の公園です。遊具が増えました。それと桜の木の下に近づけるようになっていました。家族連れが桜の下で花見を楽しんでいました。
 
 
 
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2015/04/14

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (05) 福島県楢葉町清隆寺のしだれ桜&天神岬公園

150414_1(楢葉町清隆寺のしだれ桜)

150414_2(楢葉町清隆寺のしだれ桜)

150414_3(天神岬公園の展望台)

150414_5(北田天満宮のしだれ桜)

楢葉町の木戸駅近く、清隆寺のしだれ桜を見に行きました。

荒れた境内には江戸時代後期ごろに植えられたとされる桜の大樹があります。町指定天然記念物。震災前はたくさんの人たちがやって来ていたんでしょうね。今はひっそりと静まり返っています。

地上まで垂れ下がる枝ぶりはみごとで、散り始めた花弁が地面に落ちているのがまたよかったですね。

さらに数キロ北には、東北お遍路巡礼地である天神岬スポーツ公園があります。

もともとは菅原道真公を祀った北田天満宮に公園を整備したのがはじまりらしく、公園の一角には、この天満宮がありましたが、再建中でした。駐車場にあったのが一番下の桜です。
 
 
 
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2015/04/13

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (04) 福島県広野町「修行院」&咲(わら)う桜

150413_1(福島県広野町の桜)

150413_2(福島県広野町の桜)

150413_3(広野町「修行院」)

150413_4(広野町「修行院」の桜)

いわき市から広野町へ。

巡礼地に選ばれている「修行院」を探すために国道6号線から海側へ向かいました。川があって桜が何本か立っていましたが、ちょうど川霧が出ていて、思わず撮影です。

今回は4月の旅なので、「東北お遍路巡礼地」と「咲(わら)う桜」が重なる部分があると思ったのですが、まさにこんなところです。

写真を撮っていると、地元の老夫婦が散歩でやってきて、

「いいの、撮れますか?」

と声をかけてくれました。「所沢」ナンバーを見たからかもしれません。

「いいですねぇ。この川霧と桜、きれいです。ところで、修行院はこの先ですか?」

「あそこにこんもりとした木がるでしょう。そこですよ」

桜の撮影を小一時間くらいやったあと、修行院へ行きました。ここも工事中です。まだ正式には解放していないようで、本堂には近づけません。

境内には大きなカヤの木。これは福島県の天然記念物に指定されています。カヤの後ろには桜の木もありました。満開です。

原発の警戒区域解除の後、被災した寺を住職がひとりで片付けを始めていましたが、いわき市の大学生なども再建を手伝い、修行仲間有志によって「修行院復興ブログ」も開設されました。

広野町 修行院(真言宗智山派)復興ブログ
 
 
 
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2015/04/12

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (03) 福島県いわき市「塩野崎灯台」&「道山林」&「稲荷神社」

150411_1_2(いわき市「塩谷崎灯台」)

150411_2_2(いわき市「美空ひばり碑」)

150411_3_2(いわき市「道山林」)

150411_4_2(いわき市「稲荷神社」)

福島県いわき市、塩谷崎灯台ですが、今のところ上ることはできないようです。灯台を見上げる場所に、美空ひばりの歌碑があり、こちらは大丈夫です。

灯台をはさんで北側の薄磯海岸と南側の豊間海岸は壊滅的打撃を受けました。報道番組で見たのですが、たしか海底の地形が津波を高くしたのではなかったでしょうか。どちらも防潮堤と、かさ上げ工事中でした。

新舞子海岸には、江戸時代に作られた防災緑地があります。りっぱな文化的景観です。

海岸線に10キロにわたって県道の両サイドが松林です。道山林の後ろは津波の威力が小さくなったようで、浸水程度に終わったそうです。江戸時代の知恵が住民を救いました。ただ松の中には塩水で枯れたのか、黒くなった木も多かったです。

稲荷神社は、久野浜駅の東側)海岸側)にあります。このあたり、津波と火災の被害にあいましたが、この神社だけはが残りました。海岸側には防潮堤でしょうか、工事中で近づけませんでした。道路からの撮影になりました。
 
 
 
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2015/04/11

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (02) 福島県いわき市「勿来の記憶の広場」、「アクアマリンパーク」

150411_1

150411_2

150411_5

150411_3

150411_4

東北お遍路(こころのみち)は、巡礼地をひとつづつ北上していく予定ですが、撮影状況や天気、桜の開花状態、人と会う予定などいろんな影響で、すんなりと南から北へ行くことができず、うろうろと迷走するかもしれません。

さて、巡礼地の一番南に位置する第50番「勿来の記憶の広場」ですが、いくら調べてもわからなかったので市役所に聞いたら、まだできていないということでした。かさ上げ工事の最中だそうです。

いきなり被災地の現状を目の当たりにする巡礼地。でもこれも現実として「見る」ことが大切だと思って見に来ました。

たしかに看板が立って工事中でした。

そこから数キロ離れたところにある第49番「アクアマリンパーク」は、津波で9割の魚が死んだそうですが、スタッフたちの努力があり、2011年7月15日、4ヶ月後に営業を再開しました。震災後に生まれ、「きぼう」と名付けられたゴマフアザラシが注目を集めたそうです。

「きぼう」は、青森かどこかへ行ってしまったとかで、代わりにというか、ちょうど生まれたばかりのゴマフアザラシの赤ちゃん「くらら」を見ることができました。

トドも迫力ありましたが、何千匹もの空を泳ぐ魚はすごいですね。
 
 
 
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2015/04/10

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (01) 53ヵ所の巡礼地が選定

150410NHK東北キャンペーン「大好き♡東北」のポスター)

※4月12日(日)、19日(日)に放送される 「明日へ-支えあおう-」(総合 前10:05~ 全国)で、May J.さんが歌う「大好き♡東北」のキャンペーンソングが披露されるそうです。
 
 
 ☆☆☆
 
 
今日からまた東北の撮影が始まりました。今回は「旅」というより「巡礼」です。

「東北お遍路(こころのみち)プロジェクト」というのがあります。

東北お遍路(こころのみち)巡礼地

今年2月に第1次発表分として53ヵ所の巡礼地が選定されました。

とりあえず今選定されているところと、これから選定されるかもしれないところ、それと被災地の桜をめぐる「東北の咲う桜」にも重なる部分があるので、いっしょに撮影しながら巡礼をしたいと思います。

もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たす仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。たとえば、四国八十八ヵ所霊場のように。

巡礼というのは過程(時間)が大切なのだと思います。1ヶ所では1日で終わってしまいますが、何十ヶ所あれば、ある日数が必要になります。その期間、宗教心は無くとも、あるテーマ(巡礼地でもいいし、自分の内面の問題でもいいと思います)をひたすら考えながら巡ってみる。それが現代的な巡礼ではないでしょうか。

東北人の私ですが、正直に言うと、震災前までそれほど「東北」を意識していたわけではありませんでした。たとえば、原発が東北に造った意味とか。原発がどこにあろうが関係はなく、便利な電気は使う。それだけでした。311前は。

なので、これは写真家としても、また東北人としても、今、東北お遍路(こころのみち)を巡ることは意味あることだろうし、「東北」を再び考えるきっかけにしたいと思います。

もちろん「歩き」での巡礼が一番いいのでしょうが、それはまた別な機会にやることにして、今回は撮影も兼ねているので、車を使い、車中泊での巡礼です。
 
 
 
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2015/04/09

別冊宝島2329 『日本の古道』の「秩父巡礼古道」と、栄養と料理5月号の「電線・電柱は文化遺産?」

150409別冊宝島2329『日本の古道』の「秩父巡礼古道」

掲載写真のお知らせが2つあります。

ひとつは、別冊宝島2329『日本の古道』に「秩父巡礼古道」16ページ掲載されています。

秩父札所巡礼路の寺尾道、長尾根道、久那道の古道を中心に、一部秩父往還の風景もあります。
 
 
もうひとつは、「栄養と料理」5月号の、「電柱・電線は文化遺産?」です。電線王国の写真を旅写真として使ったのは初めてです。

この電柱・電線の写真は、どちらかというと「負」のイメージが強く、旅写真としては扱いが難しく感じていました。

でも最近は外国人も注目する「文化遺産」というくくりで見直してみると、これもりっぱな「日本的な風景」であり、そうであるならば当然観光資源にもなりえるのではないか?と発想の転換をしてみました。編集部のほうでもOKしてくれたので晴れて連載でも使うことができました。

ぜひ、雑誌で確認してみてください。
 
 
 
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2015/04/08

成田空港にLCCターミナルがオープンのニュース

150409

LCC、ローコストキャリア(Low-Cost Carrier)を初めて使ったのは、数年前、スリランカへ行ったときでしたが、そのとき日本がLCCでは後進国だと知りました。

世界的にはLCCが一般に浸透していて、日本がまるで世界の趨勢から取り残されたような「浦島太郎」状態だったんだと初めて気がつきました。

その後日本でも「ピーチ・アビエーション」などが就航し、ようやく日本のLCC元年が始まったわけですが、今朝、成田空港にもLCCターミナルが開業し、旅行方法の国際標準に向けて新たな段階に入った感じがします。

横になれるソファーとか、早朝から開いているフードコートもいいですね。待ち時間を利用した外国人用のツアーも出るようです。

あと気になるのは、Wi-Fi環境が遅れている日本ですが、まさかこのターミナルで使えないなんてことはないと思いますが。スマホやPC用の電源として、各国プラグや電圧に対応した変換アダプターなどもあったら外国人にはうれしいかな。

それとコイン・シャワーなどもあるんでしょうか。

ここまで完備されていれば、乗り換え時間が24時間あっても大丈夫です。

昔は、飛行機そのものが、非日常を演出する乗り物でしたが、飛行機が特別のものではなく、もっと気軽な乗り物として、「安全に運んでくれさえすればいい」という考えの人が増えてきたということもあるでしょう。

今まで、強制的に払わされていた(料金に含まれていた)、養鶏場のニワトリのように、食べたくなくても時間になると出てくる機内食などは、むしろ、必要だと思う人だけお金を払って買うという、当たり前のシステムになったことも、いいことだと思います。(以前航空会社の人から、機内食が1食2000円以上かかっているという話を聞いたことがあります) 荷物だって、たくさん持っている人が多く払うのは当然のことです。

少なくとも、選択肢が増えることは良いことだと思います。見たところLCCターミナルは建設費も設備費も抑えられているので、たしかに「チープ感」はぬぐえないし、せっかくの旅行に「特別感」を感じたいときもあるので、そのときは今まで通り普通の航空会社で高い料金を払って、いいサービスを受ければいいわけです。
 
 
 
 
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2015/04/07

映画 『es[エス]』 に、(自称)善人の危うさを観る

150407(この写真は何が変なのか?)

日本では2002年に公開された映画 『es[エス]』(The Experiment)を、あらためて観ました。

監督: オリヴァー・ヒルシュビーゲル
原作: マリオ・ジョルダーノ
出演者: モーリッツ・ブライブトロイ
      クリスチャン・ベルケル
      オリヴァー・ストコウスキ
 
 
心理学者スタンレー・ミルグラムが行った服従実験というのがあります。ナチス政権下でユダヤ人虐殺に関係したとされるアイヒマンに由来して「アイヒマン実験」ともいわれますが、普通の人たちも、ある状況の元では、権威者に命じられるままに、罪のない人に電気ショックを与え続けるという実験です。

それと並んで有名な心理学的実験は、フィリップ・ジンバルドの監獄実験というものがあります。

スタンフォード大学で模擬刑務所を作り、大学生を囚人役、看守役に分けて生活をさせるものでした。参加者たちは自分の「役」に没頭し、看守は攻撃的、威圧的になってゆき、囚人役はより服従的になっていきました。でも、囚人役が心身に異常をきたしたので、2週間の実験を取りやめ、6日間で終了したという実験です。

この映画『エス』はその実験を元にしたマリオ・ジョルダーノの小説『Black Box』を映画化したものです。

普通の人たちが「役」にはまることで、どんなふうに変わっていってしまうのか、見ていると恐ろしくなります。なぜ恐ろしいかというと、「彼らは特別な人間」ではないからです。

ミルグラムがいうところの「状況の力」がいかに人間の行動に影響するか、俺たちはなかなかわかりません。

たとえば、ある犯罪が起こったとすれば、「あいつは残忍で非情な性格だからあんなことをやったんだ」と、つい結論してしまいます。それは「あいつは異常で俺たちとは違うのだ」と思い込むことで、どこか安心したがっているところがあるからでしょう。「俺は犯罪を犯さない」という(根拠の無い)自信を持ちたいのです。

ところが「状況の力」を過小評価し、個人の性格などに理由を求めてしまうのは、人間が共通して持っている「基本的な帰属のエラー」と呼ばれるものだそうです。

つまり状況しだいでは、どんなに「善良な人」も、最悪なことをやってしまいかねないということです。ということは、「俺もそうやってしまうんだろうか」という不安がぬぐえないことになってしまいます。

でも、「状況の力」のことを恐れているなら、逆に、そういう状況を作らない、そういう状況を拒否することで、最悪な行動を取らなくてすむかもしれません。

「自分はそんなことはしない」という自信を持っている人ほど危ないとも言えるわけですね。「(自称)善人」の危うさはここにあるようです。

【ここから少しネタバレ注意】

映画でも一般市民としての「善人」がどんなふうに変わっていくかが描かれていました。

殺人まで行ってしまった看守役の男は、最後に我にかえり、主人公に向かってこういうのです。

「おまえのせいだ」

たぶん、そうなのかもしれません。主人公はとても挑発的です。看守がそうやってしまうような状況を作り出したのは、たしかに主人公であるのは間違いありません。

ここでの主人公は悪を暴く正義の味方でもなく、危険な実験の犠牲者でもなく、「状況」を象徴しているのではないでしょうか。

しかも彼の動機は、この実験に潜入取材をして雑誌に売り込もうという、ある意味不純なものがありました。だから騒ぎが欲しかったともいえます。つまり彼は「状況」どころか「悪い状況」そのものなのです。

看守役の男が言ったセリフは真実をついている、というか、実験の目的もそこにあったといえるかもしれません。
 
 
 
 
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2015/04/05

今日は、二十四節気「清明(せいめい)」、ご当地七十二候「八頭至(やつがしらきたる)」?

150405_1(島根県出雲日御碕灯台)

150405_3(ヤツガシラ)

広辞苑で、「清明」とは「清く明らかなこと」? だと思いますよ。いずれにしてもいい意味であることは間違いなさそうですが。

でも、今日はあいにくの小雨。ちょっと「清明」とは違って、肌寒ささえ感じる関東地方です。昨日も「皆既月食」と「桜」の組み合わせを見たくて、夜、外へ出ましたが、雲で月は見えず残念でした。

そして今日は七十二候「玄鳥至(つばめいたる)」でもあります。つばめの写真がないので、ヴィーノと日本一周車中泊の旅で立ち寄った島根県の出雲日御碕灯台で見たヤツガシラの写真を掲載しておきます。

出雲日御碕燈台は、島根半島最西端に位置する日本一の高さを誇る石造洋式灯台で1903年に完成しました。

灯台の写真を撮っていると、バードウォッチャーのおじさんから「めずらしいのがいますよ」といって教えられたのが、ヤツガシラ(八頭、学名Upupa epops)という渡り鳥。頭の毛が逆立って、モヒカン刈りのようになっています。

この日は「4月2日」だったのですが、「清明」の時期にここを通過しているのかもしれません。「八頭至(やつがしらきたる)」ですね。七十二候にこんなのは無いですよ、念のため断っておきますが。

でも、二十四節気も七十二候も、「季節」を具体的な事物で表現したものであって、だから当然地域差も出るし、地域差があるからこそ面白いとも思うので、「ご当地二十四節気」や「ご当地七十二候」があってもいいのではないかと個人的には思っています。


清明の期間の七十二候:

初候: 玄鳥至(つばめいたる) 燕が南からやって来る

次候: 鴻雁北(こうがんかえる) 雁が北へ渡って行く

末候: 虹始見(にじはじめてあらわる) 雨の後に虹が出始める
 
 
 
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2015/04/03

【電線王国】 智光山公園の桜と電柱

150403
 
 
 
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2015/04/02

【電線王国】 智光山公園の桜と鉄塔

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150402_3

150402_4

智光山公園にお気に入りの鉄塔があります。桜の園で撮影です。もう散り始めてます。
 
 
 
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