東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (16) 宮城県登米市&南三陸町「上山八幡宮」
石巻市を北上し登米市に向かいました。登米市は津波被害はなかったものの、揺れがひどくて多くの建物が倒壊した被災地でもあります。内陸の被災地は忘れがちです。
登米市には、明治4年に建てられた水沢県庁記念館、明治21年の教育資料館、明治22年の警察資料館など、明治期の建築が点在している街です。それと武家屋敷街も残っています。
警察資料館を撮影していると、向かいの商店のおばあさんから
「100年前の冷蔵庫、写真に撮っていかれませんか?」
と声をかけられた。
「えっ? 冷蔵庫?」
訳が分からず見せられたのは、高さ1mほどの木製の箱、タンスのようなものでした。
「これ、100年前の冷蔵庫。地震で本宅は壊れたんですが、この冷蔵庫は無事だったんです」
「写真に撮っていいんですか?」
「どうぞどうぞ。おたくさん、熱心に写真を撮っていたので、写真を撮る人かなと思って声をかけました」
とのこと。ようやく事情がわかってきました。
昔、電気がなかったころの氷で保管しておくための冷蔵庫だそうです。NHKも取材に来たというからかなり珍しいものらしい。あとで写真を見て気が付いたのですが「バター冷蔵器」の文字が。
それから話は、震災当時の辛い思い出や、いろんなところにおよび、何でも鑑定団に出品したというブリキのおもちゃを見せてもらったり、ビン入りサイダーを飲んだり、きな粉棒を食べたり。
最初のはハズレ。「これ食べてみて。私のおごり」と渡されたやつは、爪楊枝の先が赤い「当たり」が出て、もう一本食べることができました。
まるで小学生に戻って、近所の駄菓子屋にいるような気分に。
登米市から再び海側に出て、そこが南三陸町志津川。「さんさん商店街」にポータルセンターがあって、津波被害に関する写真パネルや、避難所生活の様子などわかるような展示がされていました。観光案内所も兼ねていたので、東北お遍路の巡礼地「上山八幡宮」の場所を教えてもらいました。
ポータルセンターから5分ほど。山際の幼稚園の横に「上山八幡宮」がありました。
鳥居のそばに津波襲来の碑が立っています。「災いを払い、復興支援者に敬意を払い、永久に注意を払い続けることを願って、ここに刻む」とあります。
八幡宮は、昭和35年のチリ地震津波の時には、防災庁舎の北隣にありましたが、昭和46年、今のところに移されたそうです。今回の津波は鳥居の下まで来ました。
南三陸町の防災庁舎は残されていますが、周りには土砂が高く積まれていて、かさ上げ工事が始まったら、どうなってしまうんでしょうか。遺族感情も考慮しなければならず、これを残すか壊すかは簡単な話ではないようです。
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