2015年春、東北撮影の旅(05) 山形県河北町「自分遺産」と「冷たい肉そば」
一昨年は富士山、去年は富岡製糸場、今年は(まだ正式ではないですが)明治の産業革命遺産群と、立て続けに世界遺産に登録されています。
どれも世界の遺産として貴重なもので、俺も見に行っていますが、どうでしょうか、こんなにすばらしいものだけではなくて、きわめてプライベートなものでも「遺産」にはなるのではないかと思います。
そこで「自分遺産」というものを考えてみました。決して自分以外からは興味も持たれず、価値も認められないものですが、自分にとっては、すごく大切で、意味や思い出がある遺産です。
雑誌に連載中の記事で、最後はこの「自分遺産」で終わろうかなと思っています。俺の場合、それは生まれ育った河北町にあります。
「自分遺産」は俺の生家です。街の中心部、内楯というところでしたが、大学1年のとき、2kmほど離れた今の実家がある場所に引っ越しました。だからしばらく生家がどうなっているか、見に行ったこともありませんでした。
今回は、久しぶりで内楯を訪ねました。そしたら生家の木造2階建ての建物は今でもあったのです。当時すでにかなりボロい家で、子供心にも恥ずかしかったくらいですが、今でも車庫として使われていました。
あれから30年も経っていて、「すごい」と思わずつぶやいてしまったほど、いっそう「ボロい小屋」になっていました。よくこんなところで暮らしていたなぁと思います。これが偉人の生家だったらそれなりに感動もするんでしょうが。
でも、そんな「ボロい小屋」でも、俺にとっては子供のころは、まだ素直に育っていた時期でもあったし、楽しい思いでもたくさんあって、貴重な文化遺産です。
この生家の写真は雑誌で出したいので、ここではアップしないことにします。(雑誌で出した後アップします)
その代わり、俺の「原風景」を紹介しておきます。
役場の隣には児童動物園がありますが、いつもここを通って通学していました。友だちとは動物園内にあった小山を駆けて遊んでいましたね。
それと内楯の小さな神社「三社宮」も、学校が終わったあとの遊び場だったし、ふくらはぎに農機具の部品が刺さって大怪我をした場所(社殿の右奥)でもあるし、祭りの楽しい思いでもあります。
果樹園も俺の原風景ですね。マラソン大会では、果樹園のリンゴを食べながら走ったこともあります。掲載の写真はリンゴですが、サクランボの時期になると親戚の農家は忙しくなります。そしてサクランボが手元に届く嬉しい季節です。
ところですでに何度も書いていますが、最後に、河北町の「冷たい肉そば」について。
「肉そば」が食べ始められたのは大正時代とも言われているそうですが、鶏と鰹のスープの日本そばで、あまり塩辛くはなくて、むしろ甘めです。具として入っている鶏肉のスライスが堅めでコリコリしています。当時、河北町にはたくさんの養鶏場があったようです。
地元の人間は、真冬でもこの「冷たい方」を食べます。どうしてかというと、そばのコシを生かすためだそうですが、たしかに、暖かい部屋で、雪を見ながら食べるコシのある冷たいそばは格別です。暖かいと、どうしても、そばが柔らかくなってしまうからです。
そもそも俺はこの町を「捨てた」とも言えるわけで、今さら、地元を自慢するのも偽善者っぽくて好きではないのですが、こと「冷たい肉そば」に関してだけは、いろんなところで、いろんな物を食べている俺も、客観的に「うまい」と思えるもののひとつとして自信を持って紹介できる名物です。決して「かほく冷たい肉そば研究会」の口コミサポーターになったからではありません。
「名物に旨い物なし」と言われたのは昔のこと。今、まずい名物で満足するほど、舌の肥えた旅行者は甘くないですよね。だから何も言わなくても、「冷たい肉そば」は、確実に認知度が上がっているようです。
ちなみに、正確に発音するならば、「つったえにぐそば」です。
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