『トータル・リコール』で描かれた「記憶インプランテーション」
記憶を植えつけるというSFみたいな話なんですが、『錯覚の科学』に「記憶インプランテーション」について書いてありました。
『トータル・リコール』という映画がありました。1990年、シュワルツネッガー主演のアメリカ映画ですが、2012年にはリメイク版ができています。
旧作『トータル・リコール』では、シュワルツネッガー扮する主人公クエイド(本当の名前はハウザー)が、偽りの記憶を植えつけられているという話ですが、これがSF映画だけの話ではなくて、実際こういうことができるらしいのです。しかも、映画のような大規模な機械を使う必要もありません。
1994年10月5日付けのニューズウィーク(日本語版)に「『偽りの記憶』のメカニズム」という記事が出ました。
それはワシントン大学で行われた実験です。14歳の少年クリスは、5歳のときショッピングセンターで迷子になったときのことを思い出すように兄に言われました。そのときはまったく思い出せなかったのですが、数週間後、そのときの様子を鮮明に詳細に思い出しました。
でも、ここが大切な点なのですが、クリスは、迷子になったことはなかったのです。心理学を勉強していた兄は、それをちゃんと知っていて、弟に偽りの記憶を植えつけたんですね。
人は実際に経験したときのイメージははっきりしていて、夢とか想像した経験はイメージがあいまいなので、その区別ができるわけです。
この場合、弟クリスは、自分の5歳のころを知っている兄の言うことだから完全に信じていたわけです。僕は5歳のときショッピングセンターで迷子になったはずだと。だから、無理やり思い出そうとしたために、いろんな体験の記憶をつなぎ合わせてイメージを作り何度も思い浮かべているうちに、偽りの記憶が固定されてしまった、ということらしい。
鮮明にイメージする能力が優れている人のほうが、偽りの記憶を植えつけられやすいことも研究でわかっています。
ところで最近問題になっているのが、裁判での目撃者証言。間違った証言で冤罪が増えていることです。
記憶の「誤情報効果」というものもあります。
目撃した後、誤った情報を聞いたことで、自分の記憶がゆがめられてしまうということがわかってきました。たとえば、事故現場にいたのは緑色の車でも、あとで他人から「あの青色の車のナンバーは覚えているか?」と聞かれたりすると、「緑」から「青」に記憶が変わってしまうということがあるそうなのです。
こうなってしまうと、目撃した人の証言は間違ったものになりますが、証言者自身はその間違いに気がつけません。わざと「嘘」の証言をしているのではないわけです。だから、かえってやっかいだとも言えますが。「私は確かにこの目で見た。青い車を」といった具合に。
だから最近は心理学者が司法警察と連携し、目撃証言を適切に解釈しようという取り組みが始まっているそうです。これで冤罪が減ったらいいですね。
写真家や絵描きは一般的にイメージする能力は高いと思われるので、もしかしたら、先日ブログで書いた俺の「3歳半の記憶」も偽りの記憶なのではないかと、ますます疑っています。
疑う理由は、あまりにも鮮明なイメージだということ。それと、部屋を高いところから俯瞰しているようなイメージもあります。
でも、記憶はゆがめられる、変わってしまうということをあまり悲観的に考える必要はないかもしれません。これも理由があってそうなっているのでしょうし。「ゆがめられる、変わってしまう」のが記憶だということを常に意識していれば。
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コメント
8ちゃんさん
コメント、ありがとうございます。
「錯覚の科学」面白いですよね。もう一回全講座を見直してみようかなとも思っています。
「毎日の生活が錯覚のような日々」というのは同感です。
でも、人間(生物)は錯覚しないと生き延びられないということでもあるんでしょうね。
今まで、物理的世界を「正確に」認識した方がいい(錯覚はいけないことだ)と思っていましたが、この「錯覚の科学」を勉強して、「おおむねそんな感じ」と理解して、脳にあまり負荷をかけないというのも大切なのかもしれないと、考えるようになりました。
投稿: あおやぎ | 2018/11/12 17:03
私もいま、「錯覚の科学」の科目を勉強しているところです。認識・知覚が錯覚に陥るのは不思議なことではないことを改めて知りました。毎日の生活が錯覚のような日々を過ごしているのかも知れませんね。
投稿: 8ちゃん | 2018/11/12 14:55